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06-14




 言わずも、大講堂の一階は異例子の出現とその兄の昇格試験で盛り上がっていた。

 誰も彼もが異例子を見たか。どのような化け物だったか。鬼夜螺月の腕前は目に瞠るものがあった。さすがは『月』勲章所持者。化け物の兄も化け物なんじゃないか等など、称賛の声にまじって揶揄する声が挙がっていた。

 ゆえに堂々と正面から一階に降りることは叶わず、菜月は兄姉や聖保安部隊と共に裏階段を通って一階に下りていた。
 少々手間であるが裏門から移動魔法許可所へ向かうことになったのである。
 注目を浴びるよりずっと良いと思っている菜月は、ようやっと大講堂を脱することに成功したことにホッと胸を撫で下ろした。大聖堂ほどではないが、大講堂もあまり気分の良いところではなかった。
 鬼夜遊佐月が起こした騒動もあるので、早いところ離れたかったのだ。

 そうそう、鬼夜遊佐月が起こした騒動は兄姉にしっかりと知られていた。
 夜のお誘いはもちろん、むやみやたらに口づけされたこともバッチリ知っていた。
 それゆえ兄姉、特に兄は憤りを通り越して殺意を抱いていた。病院送りにしたが、もう一度病院送りにした方が良い。そうしよう。骨にして土に埋めてやろう、なんて物騒なことを言っていた。

 遊佐月は菜月の容姿を気に入っていたが、兄姉の容姿も気に入っていたので、ふたりは手を出されなかったか。大丈夫だったかと話を振った。
 もしかすると手を出されていたのでは、と思っていたのだが、ふたりは揃いも揃って顔を引き攣らせていた。どうやら自分達が標的になっているとは思わなかった様子。

「なんで俺まで標的にしてるんだよ気色悪い」
「カッコイイもの螺月」
「俺はこの顔が好きじゃねえ」
「そう言わないで。私は好きよ」

 父親似の顔が兄は好きではないらしい。
 兄は飛びぬけて父に対して憎悪を抱いているので仕方がない反応だろう。
 菜月は不機嫌になる螺月に苦笑いを零していた、その一方で近くを歩く聖保安部隊をチラ見。ばっちり晴天と目が合ってしまい、大慌てで視線を逸らした。頬が熱くなっていくのを感じる。変に意識する自分が忌々しい。

(口説くつもりはなかったんだ。傍にいてほしい、なんて俺なんかが言える立場でもないわけだし)

 傍にいてほしい。
 いつも誰かに想いを寄せていた。
 最初は母に、次に祖父、そして悪魔と人間界で出逢った友人――みながみな想いを寄せて不幸になっていた。
 異例子は誰かを不幸にすることしかできない。今度は誰を不幸にするのだろうか。兄か、姉か、それともまだ見ぬ母か。なんて言ったら、また兄姉に叱られてしまうだろうか。
 鼻を啜って、肩に掛けているブランケットを強く握り締める。願うなんて愚かだ。叶わないだけなのに。

「寒いか?」

 隣を歩く螺月が声を掛けてくる。
 顔を上げた菜月は小さく頷き、寒気が強いと返事した。
 今すぐぬくもりの共有が必要なわけではないが、暖は取りたい、と伝えた。
 螺月はひとつ頷いた後、「うじうじ悩むくらいなら言えばいい。聞いてやるから」と頭を撫でてくる。思い悩む菜月の心情を見抜いているようだ。自分と違って螺月は真っ直ぐだから、真っ直ぐ菜月の気持ちを察するのだろう。
 さすがは頼れる兄。覚悟を決めて異例子の兄と名乗っているだけある。

「菜月、螺月、仲間に入れてね」

 兄を通り越して隣にいる柚蘭が微笑んでくる。
 姉も本当に頼れる天使だ。少しでも菜月が思い悩めば、それをいとも容易く見抜いてくるのだから。

 自然と笑みがこぼれたところで、大講堂の裏門が見えてきた。
 草深い茂みが多いものの、そこを通れば移動魔法許可所が見えてくるはずだ。
 今宵は月明かりも強いので、翳りある小道もよく見える。

 と、小道の茂みが大きく揺れた。
 獣がいるのかと思いきや、そこから飛び出してきたのは小さな小さな天使の男の子。
 傷だらけの天使は茂みから飛び出すと、ろくに前も見ずに走り、走って、やがてふらつく足が縺れた。

 その場に転んだ天使の容姿を見た瞬間、菜月の記憶が蘇る。
 それは左翼しかない若葉色の髪を持つ子どもであった。菜月には見覚えがあった。あれは、あの子は、あの時出逢った少年。カタテンと呼ばれた天使――漣 流聖。

 菜月は無我夢中で子どもの下へ走った。

 おなじ頃、子どもの後を追うように、ふくよかな天使が飛び出した。
 鬼の形相をしている天使は初老の男。流聖を見つけるや、鼻息を荒くして顔を紅潮させた。殺す殺してやる売れるその翼は売れるなどといった意味不明な雄叫びをあげて手に持つ斧を振り下ろした。

 動けない流聖に駆け寄り、子どもを庇うように抱き締める。
 呆けた声が聞こえたが、「こンの無茶しやがって馬鹿野郎がッ!」と、頭上から菜月を罵る声。斧を弾く金属音。蹴り飛ばす物音によって最悪の事態は免れたと察する。
 顔を上げれば、螺月が槍で斧を弾き、晴天が男の鳩尾に蹴りを入れていた。
 なおも男は狂ったように暴れ回り、流聖に執着した。斧を拾おうと走り、子どもの翼をもごうと目を血走らせた。もちろん、聖保安部隊や力天使に昇格した兄の前で、男の暴力なんぞ通用することもなく、男はあっという間に取り押さえられた。

「良かった。助かった」

 菜月は呼吸を整えると、腕の中にいる子どもを抱き起こした。

「流聖。大丈夫? 流聖ッ!」

 子どもは血まみれであった。
 こめかみや左翼から血を流し、片方しかない翼はへし折れていた。
 恐怖に震える子どもは助かったことが分からないようで、「ごめんなさい。もう逆らわないから。翼をもがないで」と繰り返し、菜月に何度も謝罪した。声を掛けてもまったく声が届かなかった。
 そこで強めに抱き締めて背中を叩いてやると、少しずつ正気に戻っていく。
 流聖は短く呼吸をすると、きょろきょろと辺りを見回して、そっと視線を持ち上げた。

「こんばんは」

 菜月が顔を覗き込むと、子どもはこぼれんばかりに目を見開いた。

「菜月おにい、ちゃん?」

 流聖は菜月のことを憶えていたようだ。
 ひと目見るだけで菜月の名前を呼んだ。

「うん。そうだよ。久しぶりだね流聖。俺のこと覚えてる?」

 もちろん、もちろんだと何度も頷く流聖は、嬉しそうに笑った。

「よかったお兄ちゃん。またお会いできた。ぼく、ずっと会いたくて」
「俺も会いたかったよ。まじないが効いたね」

 流聖はまたひとつ頷くと、「生まれ変わる前に会えて良かった」と泣きそうな声で笑う。
 どうやらこの騒動に関わることのようで、流聖はぐったりと菜月の胸部に頭をあずけ、カタテンは今日あすで生まれ変わるのだと呟いた。曰く、自分を引き取った叔父と伯母がカタテンを正しくするために“聖の裁き”を受けさせる手続きを取った。が、身体的な理由で受けられず、申し出は受理されなかった。
 だったら自分達の手で正しくするしかないと、叔父が流聖を納屋に閉じ込め、斧を持って翼をもごうとした。

 流聖は怖くてたまらず、納屋から飛び出し、逃げ出してしまったそうだ。
 子どもは嘆く。ああ、なんて自分は悪い子なのか。出来損ないの存在は罪でしかないのに、迷惑でしかないのに、自分は痛いのが嫌で、翼をもがれるのが怖くて、恐ろしくて、納屋から逃げ出してしまった。悪い子。本当に悪い子だと言って小さな涙を流す。

「カタテンなんて、迷惑を掛けるだけの存在なのに」

 逃げ出した自分が浅ましい、と泣き笑いする流聖は菜月にごめんなさいと謝った。
 それは迷惑を掛けてごめんなさいなのか。
 ローブを血で汚してごめんなさいなのか。
 それとも出来損ない天使と会ってしまったことにごめんなさいなのか。
 助けてほしい、と一言も言えない子どもがあまりにも見ていてつらい。

 菜月は下唇を噛み締めると、痩せぎすの子どもを抱き上げる。
 非力な菜月でも流聖は軽々と持ち上げられた。

「流聖。俺が異例子だってこと憶えている?」
「はい、おぼえています」

「じゃあ話が早いね。お兄ちゃんは悪い聖界人だ。聖保安部隊に捕まることをして、みんなを困らせている悪人だ。そんな異例子はこれから流聖のことも困らせようと思う」

 どんなことをするのか。
 ここで再会してしまったが最後、流聖はもう家に帰れない。
 今から流聖は攫われる。異例子と呼ばれる男の手によって。

「流聖が嫌だと泣き喚いても、俺は君を連れて行く。ごめんね」
「菜月お兄ちゃん……ぼくの傍にいてくれるの?」
「お家には帰れなくなるけどね。流聖は今日から俺の弟にする。家には帰さない。俺は流聖を連れて行く」

 そう言うと流聖はひとつ頷いた。ふたつ頷いた、そして三つ頷き、嬉しそうに、けれど大粒の涙をこぼして、うんっと大きく頷いた。

「う……っ、ぅう、いいよっ。ぼく、お兄ちゃんなら、攫われていいよっ」

 むしろ、そうしてほしい。
 流聖は菜月のローブを掴むと怖いのも、痛いのも、翼をもがれるのも嫌だと訴えた。
 これが夢でもいい。夢の中で連れ去られてしまうのなら、どうかこの夢は醒めないで。どうか。おねがい。ずっとこのままでいて。

「おにいちゃん、たすけて」

 か細い声で流聖は願いを口にする。
 心細い思いをしていたのだろう。体の震えはいつまでも止まる様子がなかった。
 そんな子どもの体を優しく叩きながら、菜月は聖保安部隊に向かって告げる。


「俺、この子を攫います。罪を科せられてもいい。流聖をここに置いておけない」





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