異例子とカタテンと、時々聖保安部隊
* *
(腹が立ちすぎて、アタマがどうにかなりそうだ。くそっ)
異例子の兄、鬼夜螺月は怒り心頭に発していた。
嫌々晩餐会に出席した螺月は八時過ぎに帰宅するつもりであった。
あれこれ自分を肝試しの催しとして声を掛けてくる天使たちは鬱陶しいし、上司は力天使候補の称号試験を受けた方が人生楽だぞと耳がタコになるほど言ってくるし、かと思ったら異例子の兄だからと意味深長な会話を切り出されるし。
挙句、まったくその気のない天使の女達から誘われる始末。
本当に勘弁してほしかった。
螺月はさっさと帰って家でゆっくりしたかった。自分に心を開いてくれた弟の手料理を食べながら、楽しく談笑したかったし、ぬくもりの共有だってしてやりたかった。
螺月の願いはそれだけだった。贅沢ではなかったはず、なのに。
八時を回るまで長テーブルの隅っこで適当に飲んでいたら、妙な胸騒ぎがして天を見上げた。
そしたらどうだ。三階から落ちる菜月の姿を偶然見かけるわ。それを追う聖保安部隊を見かけるわ。力天使候補の遊佐月が菜月をめぐって聖保安部隊と対峙しているわ。異例子を称号試験の相手に選ぼうとしているわ。
なりゆきで遊佐月の相手に名乗り出た螺月は見事彼から星を勝ち取り、力天使の称号試験に受かった。
正直、勝負にすらならなかった。
称号試験開始と同時に、全力で相手に槍をお見舞いしたら、ものの三分足らずで相手が伸びてしまった。一切手加減ができなかったせいで、鬼夜遊佐月を病院送りにしてしまった。並行して「異例子に手を出すと兄の鬼夜螺月が黙っていない」と、やかましい噂が立ってしまったのは不覚である。本当のことであるが。
まったく、なんでこうなる。こうなった。訳が分からない。
苛立ちが最高潮に達している螺月は称号試験後、まず聖保安部隊に説明を求めた。
しかしながら、族長の命令だと言って彼らは口を閉ざすばかり。郡是隊長も、千羽副隊長も、部下を庇いつつ、多くの言い訳は述べなかった。
思わず彼らに掴みかかろうとしてしまったが、遅れて合流した姉の柚蘭に止められたことで思い留まることができた。
聖保安部隊や姉と合流後、螺月は彼らと共に族長の待つ三階の大部屋を訪れる。
そこで元凶の鬼夜菊代と対面した。当然、螺月と柚蘭は説明を求めた。
なぜ、どうして異例子を晩餐会に出席させた。異例子が晩餐会に出席すれば騒動になる。それは誰もが容易に想像できることだったはずだ。
すると菊代は聖保安部隊を責めないでほしい。彼らは自分の命に従っただけだと前置きをし、「これが今の鬼夜でございます」と言葉を重ねた。
「四天守護家は名実ともに腕のある天使が減少しています。そのような天使が称号を得れば、どうなるか。幼子でも分かります」
「もしや、自分に称号を取らせるために菜月を?」
眉をつり上げる螺月に、「称号は力となります」と菊代。
「どんなに腕があろうと地位がなければ、己が意見が通らないことが多い。実力だけであれば、聖保安部隊の方が二枚も三枚もうわ手でございます。しかしながら、彼らは実力不足の天使の下で耐えることしかない。地位を与えられないせいで」
それが歯がゆいと菊代。
自分の一存で決めて良いのであれば、実力のある天使には平等に地位を与えたい。
反対に螺月には地位を得られる機会がある。ならば、地位を取らない理由はない。地位を得れば、それだけ螺月の理想や守りたい世界が保たれるだろう。
菊代は真摯に言った。
螺月が称号を得れば、実力不足の天使が力天使になることは早々ない。
妙ちきりんな言動で聖保安部隊を、市井の聖界人を困らせることもない。異例子の知名度を利用する輩も減らせるだろう。
だから、そう、だから異例子には晩餐会に出席してもらった。異例子を出席させれば、必ず螺月は称号試験を受ける。ひと悶着あることも想定していたが、彼にとっても良い経験になっただろう。菊代は柔和に微笑む。
「遊佐月の言動は目に余っていました。異例子の知名度に目を付けることも想像できていました。郡是隊長、貴方や隊の皆にもたいへんな迷惑を掛けましたね。族長として謝罪を申し上げます」
「いえ、此度の騒動を広げてしまい申し訳ございません。責は郡是忍が取りますゆえ」
「貴方ならそう言うと思いました。安心してください、責は遊佐月に取っていただきます。これは四天守護家の天使が追うべき責務でございます」
どうぞこれからも鬼夜族を支えてほしい、菊代は恭しく郡是に頭を下げた。
郡是はそれを見るや否や片膝をついて深く首を垂らした。
族長が理解者になっているので、聖保安部隊は安心していると言葉を付け加えて。
こうなってしまえば、螺月の分が悪い。
称号なんぞ一ミリも欲しいと思ったことは無かったし、力天使なんて正直面倒極まりない。
力天使候補ならば適当に誰かの言いなりになっておけば良かったが、力天使になってしまえば自ら指揮を取ることも多くなる。コミュニケーションを取る必要も出てくる。螺月はそれが嫌で堪らない。
けれど、称号を取らせる目的の真実が『螺月のため』であり、『異例子のため』であり、『市井の聖界人のため』だと暗喩に聞かさせてしまえば怒れるに怒れない。
さすがは慈愛の象徴と呼ばれた族長、鬼夜菊代。祖父も認めた実力のある大女神だ。
結局、文句の一つもぶつけられず、螺月は姉や聖保安部隊と共に部屋を後にするしかなかった。
部屋を出ると、開口一番に郡是がこのようなことを言ってくる。
「貴様が力天使になってくれたことに感謝する。鬼夜遊佐月は理由もなく、部下を傷つける坊ちゃんで手が付けられん」
今宵も遊佐月の行いのせいで、晴天望が肩に火傷を負う羽目になった。
それでも彼は遊佐月に反撃することなく、遊佐月の魔法をただただ耐えてくれた。
晴天ほどの実力があれば、容易に魔法を跳ね返すこともできただろうに、部下はそれをしなかった。したら聖保安部隊が罪を科せられると知っていたからだ。
それを踏まえたうえで、郡是は告げる。「異例子を連れ出した罪は俺ひとりのものだ」と。
なるほど。力天使に昇格したのだから、罪を科せることができると言いたいのだろう。
冗談ではない。
螺月は舌打ちを鳴らすと、「俺が勝手に腹を立てているだけだ」と素っ気なく返した。
「私情で罪を科すなんざ、それこそ力天使どころか四天守護家の天使として名が泣くぞ」
「貴様のような四天守護家の天使が増えてくれたら、こちらも肩身の狭い思いをせずに済むのだがな」
ますます決まりが悪くなる。
ああくそ、腹が立っているのに、誰にもぶつけられなくなってしまったではないか。
苛々する螺月を目にした柚蘭が静かに微笑み、「貴方の良いところよ」と褒めてくれる。放っておいてほしい。
「郡是隊長、菜月はどこに?」
そうだ。菜月はどこに行った。
姉の疑問に、螺月が弾かれたように郡是を凝視する。
すると郡是は間髪容れず、三階の小部屋にいることを告げた。そこのソファーに異例子を休ませているそうだ。曰く、『ルーセントの呪病』の悪化に加え、気絶の呪いを受け、思うように体が動かないらしい。
なにせ異例子は魔封の枷を無視して、魔法陣を書き換える行為をした。実際は魔法陣の書き換えは失敗。ルーン文字の配置をずらす程度で終わった。
本来であれば咎められる行いであるが、郡是は今回の件は不問するよう願い申し出ている、と説明した。
書き換えを行う経緯を辿れば、あれは致し方がないことだったと鬼隊長は声を窄めた。
どうやら菜月は聖保安部隊のために、遊佐月の魔法陣を書き換えたそうな。螺月には当時の状況を知る由もないが、四天守護家の天使は横暴な輩が多い。聖保安部隊の苦労を少なからず同情してしまった。自分も四天守護家の天使だが、菊代の言う通り、実力は市井の天使の方が上回っていることが多いのである。
ゆえに郡是にこのようなことを言った。言ってしまった。
「郡是隊長。俺はテメェほど腕の立つ天使を知らねえ。ポンコツ腕前の遊佐月を伸したところで、ちっとも称号を得た気になれねえんだ。今度相手になれよ」
「接待試合の申し出ならば、快く引き受けるが?」
「抜かせ。手加減したらはっ倒すぞ」
「武に関しては貴様と心底気が合うよ」
「手を抜かれて喜ぶばかがどこにいるんだ」
「貴様のような四天守護家の天使の方が少ない」
「どいつもこいつも腐ってやがる」
「まったくだな」
小部屋に入ると、待機していた聖保安部隊隊員と弟が目に飛び込んできた。
遊佐月が起こした横暴な騒動のせいで部下が怪我を負った、と郡是が言っていたが、それは本当だったようだ。
ソファーに腰を掛ける晴天が上半裸になっている。仲間内から火傷を負った右肩を手当てされている。それを隣で心配そうに見守っているのは菜月であった。分厚いブランケットに包まいながら、いつまでも晴天の手当てを見守っている。
誰も彼も小部屋に螺月たちが入ってきたことに気づいていない様子だった。
「晴天さん。大丈夫ですか?」
「ああ、なんてことないよ」
「すみません。あの時、俺のせいで」
「お前は何も悪くないよ。謝られる覚えはないさ」
「だって俺のために怒ってくれたでしょう? 遊佐月さんに天使になり損ないの、ただの人間だからと。奉仕しか取り柄がないと……と言ってきたことに」
あんな風に言われても仕方がない、異例子はそういう存在なのだから。
力なく頬を緩める菜月だが、晴天が怒ってくれたことに申し訳なさが占める一方、嬉しかったと真摯に吐露する。
異例子のため他人のために怒ってくれる聖界人は片手で数えられる程度。人間界では友がいて、怒ってくれる人がいたけれど、聖界にはそういう人が異例子にはいない。晴天を怪我させてしまったことは悲しいが、どこかで嬉しいと思う自分がいる、と言い、菜月は晴天に感謝を伝えた。
すると晴天はローブを着直しながら、「あくまで俺のためだよ」と軽く返事した。
「遊佐月さまの言動が許せなかった。だから怒った。それを反抗的だと見なされて、ぶっ飛ばされた。それだけだよ。お前のせいでもないし、お前のためでもないんだ」
「それでも感謝させてください。俺は嬉しかったので」
「なら感謝は受け取っておくよ。だけど、申し訳ないと思ってほしくない。俺は俺のために反抗しただけなんだから」
やんわりと晴天が微笑むと、菜月もそれに笑みを返してブランケットを巻き直した。
少しばかりの沈黙の後、「貴方にはいつも助けてもらってばかりだ」と、言って菜月は視線を床に落とした。
出会いこそ最悪であったが、晴天と文通をしたり、世間話をするのは楽しい。代わり映えのしない日常に、晴天は彩をくれる。菜月はいつも救われている、と語った。
それだけではない。
博学の天使に襲われた時だって、晴天は守ってくれた。化け物に対してぬくもりの共有だって進んでしてくれる。今だって鬼夜遊佐月に怒り、三階から落ちる自分を助けてくれた。
見返りを求めない優しさが、晴天の魅力だろうと菜月。
自分にはない強さと明るさ、まっすぐな心はいつも憧れる、と眦を和らげた。
「俺も晴天さんのように、つよくて明るい人になれたらいいな、と思います。この身分が許されるなら、ずっと傍にいてほしいと思えるほど」
我が弟はとんでもない発言をしているのだが、気づいているだろうか。
こめかみに手を添える螺月をよそに、呆気に取られる晴天。目を点にする鳥羽瀬と七簾。そして反応がないことに首を傾げる菜月とその他もろもろ。
やがて七蓮が「直球過ぎる口説き文句とよ」と呟いたことで、菜月は自分の発言を反芻。相手に贈った言葉の意味を考え、考えた後、瞬く間に顔を紅潮させた。
そうじゃない。チガウチガウ、口説こうとかそういう気持ちはない。なかった。なかったのだ。
菜月は必死に訴えるも、螺月たちの存在に気づいて大パニック。
自分の失言を取り消すことができない現実に羞恥心が湧いたようで、ブランケットを頭からかぶると、ふらふらと螺月と柚蘭の下に歩んでふたりの陰に隠れてしまう。耳を澄ませば、「違うんだよ。口説くつもりはなかったんだよ。傍にいてほしい意味が違うんだって」とごにょごにょ言い訳を述べている。
いい兄貴であれば、さり気なく擁護してやるところだろうが、生憎螺月はブラコンと称された天使。
五年も六年も時間を要して和解に至った弟を取られるのは、大変面白くないと思っている天使なので、わざとらしく弟に声を掛けた。
「留守番させて悪かったな菜月。帰るぞ」
「え」
「ちゃんと俺と柚蘭が傍にいてやるから安心しろ」
頭を乱暴に撫でると、さっさと菜月の背中を押して小部屋から退散する。
その際、軽い夕飯を作ってほしい、と話を持ちかけた。散々な晩餐会だったから、ちっとも飯が食べられなかった。腹立たしいことも多かった。早く家に帰ってゆっくりしたい。家族団らんの時間を過ごしたい。
そのようなことを言って、菜月の頭からブランケットを取っ払ってやる。
「もう螺月ったら。子どもみたいなことをして」
姉から呆れかえる声が飛んできたが、知ったこっちゃない。
螺月は兄に憧れて何年も過ごしてきた天使なので、簡単にくれやらないのである。甘い空気? クソくらえである。
幸い、菜月は純粋な気持ちをありのまま伝えただけのようで、紅潮している顔は少しずつ元の色を取り戻し始めていた。
また落ち着きを取り戻すと、ブランケットを畳む螺月にそれを肩に掛けたいと申し出る。今宵の『ルーセントの呪病』はちょっと酷いとのこと。すでにカーディガンを着ているが、寒気が強く感じるらしい。
『ルーセントの呪病』は完治まで時間を要する。
さらに厄介なのは『ルーセントの呪病』は「暖」を求めて奇行な態度を取ることがある。
特に寒暖差が激しくなる晩は、寒さに耐えかねて倒れたり、他人を傷つけてぬくもりを求める恐れがある。この奇行は『ルーセントの呪病』の由来にもなっているのだが……菜月は自分が奇行に走らないか心配していた。
螺月を挟んで隣を歩く姉に目をやると、菜月は柚蘭の隙を見て、そっと耳打ちをした。
「螺月、今晩は俺の傍にいてほしい。柚蘭を襲うかもしれないから」
返事の代わりに、髪をくしゃくしゃにしてやる。
菜月はそれだけで嬉しそうに頬を緩ませ、「ありがとう」と感謝を述べてきた。
これだ。これでいい。どのような形であれ弟は兄を一番に頼り、甘えてほしい。まだまだ自分は兄としての時間を堪能したいのだから。
螺月の心境を見抜いているのか、見抜いていないのか、柚蘭は苦笑いを零した。
「螺月が弟離れできるのは当分先ね」
「ばか、今までずっと弟と離れていたんだ。これからまだまだ口を出すぞ俺は」
「困ったお兄ちゃんね」
小部屋に残された聖保安部隊は、返事すらできなかった晴天を弄っていた。
「晴天。お前、せっかくのチャンスをものにできないなんて情けないぞ」
「異例子から口説かれたとに。へたれっていう奴とよ」
「うるせぇなお前ら。突然口説かれた俺の気持ちを考えろよ」
「しばらく鬼夜螺月が邪魔するだろうな」
「せいぜい専属監視役を外されないようにするとよ。鬼夜螺月は力天使に昇格したんから」
「貴様ら。何をもたもたとしている。任務中だぞ」
廊下から戒める声が飛んできたことで、わらわらと聖保安部隊隊員は小部屋を後にする。
先を歩く郡是と千羽は部下の様子を横目で見つつ、「難儀だな」「難儀ですね」と苦笑いを零した。
私情について、とやかく言うつもりはないが、まったくもって部下は難儀な恋をしているものだ。異例子に脈があるのかどうかは計り知れないし、魔界人と繋がっていた聖界人なので、公に応援できる恋ではない。そもそも先にやらかしたのは晴天なので、肌を見せる行為が表沙汰になれば『責任を取る』ことになるだろうが……。
はてさて、部下の晴天は深いため息をついていた。何も反応ができなかった自分に自己嫌悪しているようだ。
「まさかひと目がある場所で、あんなこと言うと思わないじゃないか。俺は相手されていると思っていいのか? はあ」
ああ、それに、鬼夜螺月と鬼夜遊佐月の昇格試合を目にして思った。
自分はまだ鬼夜螺月の足もとにすら及ばない。なんだあの槍術。悔しい。あの才能に嫉妬してしまう。自分の努力が霞んでしまうではないか。いや、このままでは終われない。絶対に負かす。勝ち星を取る。そのために星勲章を取る。
そのようなひとり言が聞こえてきたので、郡是と千羽は視線を交わして肩を竦めた。
「あいつにとって、いい刺激になっているようですね」
「空回りしないことを願うよ。晴天は猪突猛進ゆえに、一度火が点くと止まらんからな」
良くも悪くも真っ直ぐなのだ。我が部下は。
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