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06-10



 努めて冷静なのは郡是だ。
 フードを取ると、三階に赴いて来た遊佐月に会釈をする。
 相手がどのような輩であろうと、市井の天使は四天守護家の天使に逆らえない。身分を弁えたうえの振る舞いであった。

「鬼夜遊佐月。晩餐会の最中だというのに、なぜ三階に?」

 ここは晩餐会の会場ではない、と郡是。

「それはこちらの台詞だよ。聖保安部隊が鬼夜の晩餐会を高みの見物しているなんて良い身分だね」

 言い換えれば、お前らのような天使が晩餐会を見物するなんて、大した度胸だと言いたいのだろう。

 たいへんな嫌味をどうも、である。
 こちらとて好きで晩餐会を見物しているわけではない。
 任務でなければ、さっさと家に帰って晩酌を楽しんでいるところだ。

 千羽は青筋を立てる七簾に抑えるよう目を配った。
 いまにも食い下がりそうな七簾に小声で、「お前は下がっておけ」と強く命じた。
 下手に手を出せば、謹慎処分を食らいかねない。先ほども述べた通り、四天守護家の天使と市井の天使は身分が違うのだから。
力天使候補の天使に対して、まっとうに言い返せるのは隊長の地位を確立している郡是くらいだ。
 遊佐月は聖保安部隊の心情を察しているのか、察していないのか、「丁度良かったよ」と話を切り出してくる。

「君たちが大講堂に入って行くのを偶然見かけて、ここに赴いたわけだけど、郡是隊長に会えたのは好都合だ」
「と、言うと?」

「今宵、称号試験があってね。力天使候補の僕は手合わせの相手を三名決めなければいけない」

 遺憾ではあるが、力天使に名乗りをあげたのは遊佐月のみ。
 ゆえに力天使候補同士で手合わせすることが叶わないので、族内で手合わせできる相手を探しているのだそうな。
 とはいえ、力天使候補と手合わせしてくる鬼夜族がなかなかいなくて困っている。勲章をちょうだいしている自分の腕に恐れおののいているのだろう。わかる、遊佐月自身が周りの立場なら手合わせをしたくない。

 けれども、ああ、このままでは称号試験が受けられない。
 そこで遊佐月は郡是に手合わせになってほしい、と頼んだ。郡是は鬼夜族の天使ではないものの、鬼夜族直属の聖保安部隊の長。みな手合わせの相手として認めてくれるだろう。

「郡是隊長ならば、こちらの都合を色々と汲んでくれるだろうし、ね」

 この野郎。千羽は憤りを噛み締めた。
 遊佐月は遠回し遠回し、郡是に空気を読んで適当に負けてくれ、と言っているのだ。
 接待試合を申し込んでくる遊佐月に郡是は小さな吐息をついた後、「いまは任務中だ」と言いつつも、「拒否権はないのだろう?」と聞き返す。
 話が早いと指を鳴らす遊佐月は一方的に交渉成立だと、嫌味ったらしく微笑む。

「『星』勲章を持っている郡是隊長なら、菊代さま達もお相手として認めてくれるだろう。あとは千羽副隊長、君も『烈』勲章を持っていたよね」

 ああ、そしてこっちに話を振ってくる。
 千羽は静かに肯定すると、郡是に視線を投げた。

「指揮の責任者は如何しましょう?」
「七簾、鳥羽瀬辺りに任せる」
「分かりました。遊佐月殿、貴殿の申し出、自分も受け入れましょう。お相手を探しているのですよね?」

「ふふ、君たちは本当に話が早くて助かるよ。あとひとり、聖保安部隊の中からお相手になってくれる天使がほしいんだけど」

 千羽と郡是は視線を合わせると、順に七簾、鳥羽瀬、そして晴天に目を向けた。
 言わずも「自分が行きます」と名乗ったのは、『空』勲章を取ったばかりの晴天だった。
 場の空気を読んだのだろう。遊佐月の称号試験の相手を引き受ける、とふたりが命じる前に名乗ってくれた。まこと申し訳ない気持ちになる。部下に接待試合はさせたくないのだが……。

「『空』『烈』『星』勲章所持者が揃った。これで三名になる。満足だろうか?」
「ありがたいよ。ようやっと力天使候補から力天使に昇格することができそうだからね。相手は慎重に選びたかったんだ」

 なあにが慎重に選びたかった、だ。
 絶対に自分に勝ちを譲ってくれる天使を探しているくせに。

 千羽はねっとりと笑う遊佐月から目を逸らし、荒々しく頭部を掻く。
 こういう輩が聖界を先導する天使だなんて、想像するだけでも吐き気がする。
 ああ、ほら、背後では七蓮の怒りのボルテージが最高潮に達している。どうか接待試合が終わるまでは抑えてほしいのだが、だいじょうぶだろうか。

 千羽の思いを汲み取ったのか、晴天が七簾に声を掛けて、柱の陰にいる異例子を指さした。

「あいつの傍にいてやってくれ。鐘の音が鳴り始めたら、取り乱す可能性がある。なるべく離れるな」

 千羽にも聞こえる程度に、晴天は軽く耳打ちする。
 少しでも遊佐月から気を逸らそうと声を掛けたのだろう。
 幸い、遊佐月は異例子の正体に気づいていない。自分達はさっさと遊佐月と共に称号試験に向かった方が得策だろう。

 誰もがそう思ったその時、異例子が心配そうな面持ちで柱の陰から姿を現す。
 偶然、少年を目にした遊佐月の動きが止まった。それこそ螺旋階段を下りようと向けていたつま先を返すと、早足で千羽と郡是の脇をすり抜け、七簾に声を掛けている晴天を押しのけて、柱の陰に隠れている異例子の腕を掴みあげた。
 顔を隠しているフードを迷わず取っ払うと、戸惑い驚く異例子を見下ろし、「やっぱりそうだ」と遊佐月は声を弾ませた。

「聖保安部隊が晩餐会にいる謎が解けた。君が原因か――異例子の鬼夜菜月」

 黒髪焦げ茶の瞳。
 まったく感じられない魔力。背中にない翼。手足と首の厳重な枷。
 晩餐会とは無縁の聖保安部隊が、大講堂の三階にいる理由。

 間違いない。これこそ噂の異例子。鬼夜族内を騒がせている人間だと遊佐月は興奮した。

「異例子が聖界に帰還していることは聞いていたけれど、初めてお目にかかったよ。天使から生まれた人間くん」

 これは絶好の好機だと語る天使は、まじまじと異例子の顔を観察する。
 差別と偏見の孕んだ眼は異例子の容姿に思うことがあるようで、「へえ。顔は愛らしいんだな」と感想を述べた。
 罵倒がくるだろうと身構えていた異例子は拍子抜けしたように呆けた顔を作り、遊佐月は異例子の顎に指を当てて、品定めするようにそれを見つめる。

「異例子と呼ばれているから、どのような化け物かと思いきや……これが鬼夜螺月、鬼夜柚蘭の弟。ずいぶん似ていない容姿をしているね」
「まあ、俺は人間ですので」

 当たり障りのない返事をする異例子に、「惜しいよ」と遊佐月。
 もしも天使であれば、みなから愛されていただろう。それほどの容姿をしている、とひと笑い。
 ああ、だけど、人間を理由に見逃すのは惜しい容姿をしている。まったく惜しい容姿をしている。遊佐月は異例子になめ回すように眺めた。

「不機嫌の代名詞と言える鬼夜螺月の弟にしては愛嬌のある顔立ち。かと言って、美しい天使と呼ばれる鬼夜柚蘭の弟にしては、可憐さが強い。やはり惜しい。念のために聞くが君は彼らの弟、だよな? 不仲だとか」

「……はい、弟で合っています。俺は男ですので。不仲かどうかはご想像にお任せします」

 心外だと言わんばかりに片眉をつり上げる異例子は、どう見ても男だろうと口を曲げている。
 それについては千羽から何も言えない。
 自分は性別を疑ったことはないが、部下が性別のことで大騒動を起こしているので、つよく擁護できないのである。

(まあ、男受けする顔だからな。異例子)

 ちらりと晴天を見やれば、あさっての方向を見て誤魔化していた。
 遊佐月は異例子の容姿を気に入ったようで、「力天使になれば関わることも多くなるだろう」と言って顎を掴んだ。
 素早く顔を振って、その手から逃れる異例子の態度に構うことなく、遊佐月は宣言した。

「気に入った。僕が力天使になった暁には、君を僕の花にする。君は花となって育ってほしい」
「は、花?」
 
 おいうそだろ、何を言っているんだこいつ。
 愕然とする千羽達とは対照的に、異例子は疑問符を浮かべた。

 なぜどうして自分が花にならなければいけないのか、分かっていない様子。
 ちなみに花は隠語になっており、夜のお誘いとして使用される定番の口説き文句である。
 悪魔と共に暮らしながらも、純粋無垢な少年である異例子のこと鬼夜菜月が聖界の口説き文句を知っているわけもなく……自分は花になれないが花を育てるのは嫌いじゃない。どんな花を育てたいのか、と彼に返した。




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