06-09
さて一方。
柱近くの手すりに凭れていた七簾は、鳥羽瀬に声を掛けて「どう思うとよ」と同僚の様子を親指でさす。
同僚のこと、晴天と尤も親しい鳥羽瀬は「任務中によくやるよ」と呆れ顔を作るも、その眼はやさしい。
「まあ、晴天次第だと思うよ。あいつの気持ちを否定する気はない」
「相手は異例子なんやけどねえ」
「話す分には、ただの少年でもあるけどな」
「それも否定しないとよ。化け物と呼ばれているから、どげんやつかと思ったら、年相応の少年で正直拍子抜けしとるオイラがおる。もちろん悪魔と意中になったり、博学の天使のいう新種族の面もあるから、警戒心は抱いておいた方がいいけんど」
「晴天だってそれは分かっているさ。ただ、あいつにとって異例子は身近な存在に感じられるんだろう。境遇が似ているからな」
異例子は母親に捨てられ、祖父に育てられるも、祖父が死んだことで孤独を抱えて生きてきた。
晴天もおなじく両親に捨てられ、祖母に育てられるも、祖母が死んだことで孤独を抱えて生きてきた。
表向きは底知れぬ明るさを見せる晴天だが、家族の話題になると物さみしそうに笑うことが多い。
たった一人の家族を失い、拠り所を聖保安部隊に置いているのはそういった意味がある。
異例子も兄姉こそいれど、やはり母の話題になると会話を控えることが多い。それは自分を捨てた母を憎んでも憎み切れない感情が心の奥底に宿っているからだろう。
晴天の両親は行方不明になっているが、異例子の母親は居場所が分かっている。
そこが二人の大きな違いだろうが、両者とも『親に捨てられた』共通点を持っている。それは捨てられた側にしか分からない孤独であり、辛酸であり、悲しみなのだろうと鳥羽瀬は語る。
だから、というわけではないが、晴天は異例子を気に掛けている。
どのような話でも楽しそうに晴天の話を聞く異例子に惹かれ、奥底に仕舞っていた孤独を癒しているのではないか、と鳥羽瀬は七簾に同意を求めた。
七簾は弱々しく笑うと、晴天を見やって目を細めた。
「隊長も副隊長も、分かっていて異例子の傍に置いとるとよね」
「たぶんな」
「異例子相手は難儀やね」
「そうだな」
「それは晴天のしあわせなんかね」
「俺達が決めることじゃないさ」
「それもそうやね」
「ただ」
「ただ?」
「異例子よりも難儀なのは、鬼夜螺月じゃないか。あいつどうするつもりなんだろうな」
「違いないとよね。異例子の兄貴は手が付けられないブラコン天使やけん、晴天は苦労するとよ」
へらりへらりと笑う七簾と鳥羽瀬は、同僚に心底同情しつつも、まあ応援してやろうかと噴き出した。
(――はあ、お前らも任務中によく話してくれるよ)
部下の様子を見守っていた千羽は私語が多い、と思いつつも、それを許容範囲にしている郡是に目を向け、微苦笑する。
「今日は大目に見てやるつもりですか」
「晩餐会なんだ。多少の雑談くらい許してもいいだろう。すでに通常勤務時間は超えた。一階では飲食も談笑も許されているのに、我々が許されないのは道理に合わん。また俺たちの任務はあくまで異例子の監視。異例子が妙な真似をしなければ問題はない」
「妙な真似をしそうなのは、我々の部下なんですけどね」
「他人の肌を見るばかはしたが、根は気のいい部下だ。相手の許可なく手を出すような真似はしないだろう」
千羽は柱の陰で笑い合う部下と異例子を見守る。
異例子と世間話で盛り上がっているであろう晴天はじつに楽しそうだ。
下心があるのかないのか、しっかり異例子の両手を握って「暖」を与えている。それに拒絶反応を見せない異例子も異例子である。仮にも肌を見た相手なのだから警戒心を抱いておくべきなのに、すっかり心を許している。
きっとそこに差別という差別の目がないからだろう。異例子にとって、晴天の向ける眼はとても心地良いのだと思う。
(……ジェラール・アニエスのことをいつか伝えてやりたいんだけどな)
そう思ってしまうのは罪悪感からなのか、同情からなのか、罪滅ぼしなのか。
異例子は千羽にも心を許している。それは喜ばしいことであり、監視する立場としてもより効率的になるものの……これでいいのだろうか、と自問自答する日々が続いている。
異例子は魔界人と繋がり、罪を犯して枷を付けられたが、千羽はより重い命を奪う罪を犯した。
それが直接的じゃなかったとしても、間接的だったとしても、自分は自害するセントエルフを止められなかった。
なのに、どうして自分の手には枷を付けられていないのか。
「誰しもが罪を犯す。それは貴様であっても、俺であっても」
複雑な感情が顔に出ていたようだ。
郡是は手すり越しに一階の様子を眺めながら、「生きるとは罪だ」と言って、千羽に視線を投げる。
「生涯を美しく生き通すなんぞ、ただのきれいごとだ。俺も貴様も罪を犯す。きっと見えない罪を数多に背負って生きている。知らないところで誰かを傷つけていることもあるだろう。貶めていることもあるだろう。追い詰めることもあるだろう。異例子はたまたま目に見える罪を犯しただけで、俺達も本質は異例子と変わらんさ」
なおも、こうして平然と生きているのだから、生きるとは罪だと郡是は苦笑した。
「千羽。泥臭く生きろ。自責ばかりしても何も進めん」
千羽は何も口にしていないが、郡是は一方的な言葉を投げるだけ投げて口を閉じた。
まったくもって、これだから鬼隊長と呼ばれた男は尊敬に値するのだ。
部下の心情を察して、現実の厳しさを説きながらも、ぶっきら棒な励ましを送ってくるのだから。
自責ばかりしても何も進めない。その通りだ。仮に責任を取って死を選んだところで、それが最善の答えとは言い難い。
では、どうするか――泥臭く生きるしかない。罪を背負いながら、それを自覚しながら、自分に何ができるかを考えながら、意地汚く生きる。それがきっといまの千羽にできることなのだから。
「そこにいるのは、やはり郡是忍隊長じゃないか」
聞き覚えのある声に、和やかな空気が音を立てて崩れていく。
(この声は……)
千羽がそっと視線を螺旋階段に向けると、階段を上り切った天使がひとり。
それはレイピアを腰に引っ提げ、毛先までコーラルピンクに染まった髪をひとつに束ねていた。切れ長の眼は垂れており、目に映る聖保安部隊をどこか見下している。
ああ、やはりそうだ。
あそこにいるのは力天使候補の鬼夜遊佐月ではないか!
聖保安部隊に身に置いている者なら誰しもが思う『絶対にお会いしたくなかった天使』が現れたので、千羽は心中で舌打ちを鳴らす。
千羽ですらそう思っているのだから、部下の七簾は……露骨にゲンナリと顔を顰めていた。正直な天使だ。
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