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06-03



 さて、兄姉は菜月と推定十歳前後離れている。
 菜月は人間の年齢で言えば二十歳程度であるが、聖界人天使種族の年齢でいえばおおよそ十代後半といったところ。
 成人していると自負しているものの、兄姉と比較したら精神年齢的にまだまだ未熟なところが多く、子どもと見られがち。向こうの方が心身大人である。そんな二人から見た菜月はやっぱり子どものようで、何かあるとすぐに飛んでくるし、心配を寄せてくるし、とても可愛がってくれる。
 それはそれは、本当に可愛がってくれることが多い。

「菜月。具合はどう?」

 体調を崩して、ベッドから起き上がることができずにいた休日の昼下がり。
 浅い眠りに就いていた菜月は、姉のやさしい声に反応して瞼を持ち上げる。
 ぼやけた視界の先には、濡れタオルを冷やす柚蘭の姿。大丈夫だと微笑むも、姉は浮かない顔をして、額に手を当ててくる。

「またお熱が上がったみたいね」
「心配してくれてありがとう。寝ておけば大丈夫だよ」

 姉の貴重な休日を無駄にしたくない菜月は、おとなしく寝ておくと答(いら)えるが、スツールに腰を掛けた柚蘭はちっとも離れようとしない。入院している母親の面倒をいつも看ているのだから、家にいる時くらいゆっくりしたいだろうに、彼女は諸共せず、菜月にお腹は減っていないか、寝汗を掻いていないか、喉は渇いていないか、と矢継ぎ早に疑問を投げてくる。
 ひとつひとつに大丈夫だよ、と返事すると、「ゆっくりおやすみなさい」と腹を叩いて微笑んだ。

「菜月が眠るまで傍にいるから。何も心配しなくていいわ」
「自分の時間を大切にしなよ。俺の傍にいても退屈だって」
「どうして? 私はかわいい弟の傍で過ごせて、とても楽しいわ。こうして面倒看ることが大好きなの」

 昔は螺月の面倒をこのように見ていた、と柚蘭。
 今はちっとも世話になろうとも、焼かせようともしてくれないので、少々さみしいのだと胸の内を語った。
 世話を焼こうとすると逃げられる、と唇を尖らせる。

「そのくせ菜月の面倒は自分が看るって聞かないの。ずるいと思わない?」
「柚蘭も螺月に負けないくらい弟想いでブラコンだね」
「あら、褒め言葉として受け取っておくわね」

 多少、ブラコンの自覚はあるようだ。
 どうしても目が離せないのだとはにかんだ。
 そこで菜月は尋ねる。遊びに行きたいと思わないのか、友人とお茶をしてきても良いのに、と。
 すかさず柚蘭は答えた。職場でそれなりに友人はいるものの、それはそれ。これはこれ。家族の時間が自分にとってなにより大切なのだと。異性とデートにも行ったことがあったし、数年前は恋人も作ってみたが、記憶には薄いそうな。
 差別されている身分だから、というよりかは単純に個々人の相性がちょっと、だったとのこと。

「菜月が私や螺月の私生活を心配しているのは、見て取れるけれど、だいじょうぶ。私も螺月も、いまが楽しいのよ」

 過ぎ去った時間を取り戻すように時間を過ごしている、それが楽しいと柚蘭は語った。
 ああ、頼れる姉だな、と思いつつも、やっぱり少しだけ勿体無い思いが優った菜月は、ちょっと自分の机にある物を見てほしい、と柚蘭に頼みごとをした。
 姉がきょとんとした顔で机に向かう。
 間もなく、柔らかな声が上げた。

「菜月、これ」
「聖界の女性は髪留めをお洒落として使うことが多い。だから作ってみたんだ」

 まだ未完成ではあるものの、ほぼ完成だと菜月。
 ゆっくりと身を起こして、スツールに戻ってくる姉の手から手作りの簪を受け取ると、珠と花が連なるそれに目を落とした。
 薄紅色のガラス珠と、桃色の花の装飾はこっそり螺月に頼んで買ってきてもらった。

「これは俺が暮らしていた国の髪留め。髪の長い柚蘭なら似合うと思ってさ」
「もらっていいの?」
「うん、もらってくれると嬉しいよ」
「少しだけ挿してみてもいいかしら」
「まだ未完成だよ。花の装飾が足りない」

 それでも挿してみたい、と申し出る柚蘭の願いを聞き入れた菜月はブラシを貸してほしいと返事する。
 さっそくブラシを持って来た柚蘭に後ろを向くよう言うと、結っている髪を解いて、手早く髪を一つにした。
 お団子にした髪に簪を挿してやると、手鏡で確認した柚蘭は子どものような笑顔を零した。似合うか、と聞いてくるので、すごく美人だと答える。「おませさんね」と一笑を零す柚蘭は、笑みを深めて鏡に映る自分を見つめた。
 家族の時間が大切だと言っても、やっぱり姉も年頃の女性である。流行りの服や雑貨に興味があるのは、半年暮らす中で気づいていた。

 だから、少しでもお洒落ができれば、と記憶を頼りに簪を作ってみたのだが、こんなに喜んでもらえるとは。

「これの他にも、ひし形の珠や花形だけを連ねた簪を作ろうと思う」
「ほんと?」
「店の商品には負けるけど、ちゃんと形にはしてみせるよ」
「ありがとう菜月。楽しみにしているわ」

 笑顔を絶やさない柚蘭は、今日一日中簪を付けておきたい、と言った。
 まだ未完成だというのに……。
 いいよ、と菜月が答えると、姉はリクエストがあったらしてもいいか、と話を振ってくる。
 もちろんだと言ったところで、咳が出てしまったので柚蘭が寝るよう促してきた。

「寝るまで傍にいるからね。菜月」

 遠のく意識の中で姉が語りかけた言葉に菜月は小さく頷いた。起きることが少々つらかった。


 日が落ちた頃、ふたたび菜月は柚蘭に声を掛けられた。簪は付けたままだった。

「菜月。お粥を作ったわ。食べられそう?」

 軋む体を起こした菜月は、姉から差し出された器を受け取り、何気ない気持ちでそれに視線を落とす。
 声が出そうになるほど驚いてしまった。聖界のお粥はクミンと呼ばれた雑穀を牛乳でふやかした「クミン粥」が主流で、それは麦に近い。クミン粥は白濁した見た目をしている。
 けれど湯気立っているそれはひと目でクミン粥ではなく、米粥だと分かった。
 半透明の湯に浸かっている米粥と、真ん中にぽつんと載せられた赤い実の叩きは、もしや梅干しだろうか。
 匙でそれを掬い、少しだけをかじる。懐かしい酸味と調味料の味がした。梅干しと醤油の味がする。今度は米といっしょにそれを口に入れる。ああ、これはまごうことなき菜月が慣れ親しんでいる米粥だ。

「柚蘭、これ」

「ここ七日、ずっとお熱を出して寝込んでいたでしょう? 少しでも元気になってもらおうと思って、私と螺月で貴方の育った食文化について調べたの。じじ上は昔から人間界の日本文化が大好きだったし、以前から聞かされることも多かったから、日本文化を調べることは簡単だったわ」

 曰く、柚蘭は仕事上がりに螺月と人間文化に詳しい朔月を連れて、何度も市場に赴いたそうだ。
 聖界には物珍しい理由で、人間界の食べ物や道具を売られている。特に食に関しては人間界の方がおいしい、と祖父も言っていたし、自分達も祖父の勧めや末弟の手料理で何度も人間界食を食べたことがあるのでそれは知っていた。

 ただ日本文化は曲者だった。
 柚蘭が調べたところによると、和食と呼ばれる料理が特徴で、米という穀物を主流。
 味噌や醤油、腐った豆や生魚を食べる。魚介類はだいたい生で食べる等など記載されており、病人食に不向きだと頭を抱えた。柚蘭にとって魚を生で食べるなんぞ、想像もつかなかったのである。

 結局、人間界マニアのこと鬼夜朔月に同行を頼んで市場へ赴き、目星をつけて人間界の食材を買った。
 彼に借りた人間界の料理本の通りに作ってみたのが、このお粥だという。

「初めてお米や梅干しや醤油というものを使ってみたから、上手くできているかは分からないの。そこだけは勘弁してね」
「ううん。すごく嬉しいよ。まさか米粥がまた食べられるなんて思わなかった」

 菜月は和食が大好きだ。
 米も醤油も味噌も梅干しも全部好んで食べる。
 聖界に戻ってきてからは、二度と食べられないだろうな、と密かに涙を呑んでいたが、別の意味で涙が出そうである。
 菜月にとって病人食といえば、やっぱりこれである。梅干しの酸味が高熱に魘された体に沁みる。おいしいと米粥を頬張ると、柚蘭は良かった、と眦を和らげて、梅干しに視線を向けた。

「私も螺月も梅干しを試しに食べてみたのだけど……言葉にならない味で、ちょっと苦手だったわ」
「ふふ、聖界にはない酸味だよね」
「螺月ったら『本当に食べられるのか?』って疑心暗鬼になっちゃって。何度も朔月に聞いていたくらいなのよ」
「そういえば螺月は?」
「朔月の家よ。買い物に付き合ってもらったお礼に、彼のお話に付き合ってあげるんだって。朔月は人間界が大好きだから、今日返してもらえるかちょっと心配ね」

 米粥を半分ほど平らげた頃、無事兄が帰宅する。
 螺月はフォッサンの入った紙袋を持って自室に入って来ると、「体調はどうだ」と言うや否や、菜月の額に手を当てて熱を測ってきた。

「まだ熱いな」
「お粥のおかげで気持ちは元気だよ」
「口に合ったみてぇなら良かったよ」
「螺月、ありがとう」

「俺は何もしてねえよ。食材を探してくれたのは朔月で、作ったのは……って、柚蘭、簪をもらったのか? 似合ってるじゃねえか」

 目ざとい螺月は姉の変化に気づき、とても似合うとぶっきら棒に褒める。
 螺月なりの精一杯であり、照れ隠しをしているのだろう。視線はあさっての方を向いていた。
 姉は気にすることもなく、嬉しそうに簪を触ると、「完成したら職場につけていくの」と頬を緩ませる。菜月としては外出にちょっと付けてくれたらいいな、という思いで渡したのだが、姉は肌身離さず付ける気満々のようだ。

 米粥を食べ終わると、菜月は『ユーガイア』を呑み、冷え始めた両手をさする。
 そろそろ「晩」のぬくもりの共有の時間のようだ。
 それに気づいた姉がベッドの縁に座り、菜月に此処に座るようスペースを叩く。

「ぬくもりの共有をするから、ここにいらっしゃい」
「晩は俺が担当するってことになってるだろう?」
「螺月は帰って来たばっかりで疲れているでしょう?」
「なわけあるかよ。ったく、菜月、真ん中に座れ」

 今日は姉と自分が一緒に「晩」のぬくもりの共有をする、と螺月は告げた。
 言われるがまま二人の間に座った菜月は、一枚の毛布を三人で分け合い、そっと身を寄せた。

「来週の休日までには体を治せよ菜月。一緒に散歩するぞ」
「散歩?」
「ちったぁ体を動かさないと、体が腐っちまうだろう? 熱を出している原因も、体力の低下だと思っているんだ」
「俺、家から出られないけど」

「土の拝は研究所に行く日。寄り道しても構わねえだろう」
「ええ? それ、郡是隊長に怒られない?」
「ほっとけほっとけ。何をしても怒るんだ。今さらだろ」
「ええー…」

「だいじょうぶよ。聖保安部隊もいっしょに寄り道をすればいいもの」
「それはだいじょうぶじゃないと思う」

 姉まで何を言い出すのだ。
 声を上げる菜月に対して、二人はそれくらい許してもらえるだろうの一点張り。
 ひとりで寄り道をするわけではない。三人で寄り道をするのだ。きっと楽しい散歩になるだろう。

「言い訳は柚蘭と螺月が考えてよね」

 苦笑いを零すものの、菜月にとってそれはそれは弾みのある談笑だった。
 何気ない日常であったが、菜月にとってまぎれもなく「しあわせ」であった。




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