06-08
間もなく、晩餐会が始まる。
大講堂から鐘の音が鳴った瞬間、菜月は悲鳴を上げそうになり、傍にいた晴天の腕を掴んで身を震わす。
事前に聖堂のトラウマを聞かされていたのか、晴天は驚くこともなくカーディガンを取り出して、それを肩に掛けてくれた。
「吐きそうになったら言えよ。鐘の音はこれから何度も鳴る」
「す、すみません……どうしても鐘の音はダメで」
「いいさ。誰だって無理なものはある」
励ましをもらったところで、一階に鬼夜族長が姿を現す。
その瞬間、一同が立ち上がり、体ごと族長の方を向いた。
族長のこと鬼夜菊代はみなに楽にするよう告げると、いまの鬼夜族の評価を述べた後、今後の鬼夜族の指針を伝え、みなに気を引き締めていくよう言葉を投げた。
堅苦しい挨拶が終わると、飲食が始まるので、やはり晩餐会は飲み会だと菜月は思って仕方がない。
果たして自分が参加した意味はあるのだろうか。
確かに族内の様子は伺えたし、家では見られない兄姉の姿を見られて満足ではあるが、それだけの感想に終わる。異例子の身内であろうと兄姉はモテるのも分かった。
ああ、ほら、思った側から姉は言い寄ってくる男から逃げて、友人の下に戻っている。
対照的に兄は女天使に声を掛けられ、不機嫌のまま返事をしている様子だった。
朔月が始終苦笑いを零しているので、たぶん相手を振り払えずにいるのだろう。弟のことなんぞ気にせず遊んでもらっても構わないのだが、そもそも螺月は興味がないようで、さっさと席を立ってしまう。逃げたようだ。
(うーん、暇だな)
菜月は両手をさすりながら兄姉や晩餐会の様子を見守っていたが、少々退屈になってきた。
三階は飲食もできなければ、談笑する相手も聖保安部隊に限られる。
であれば、晩餐会に出席する必要はないと思うのだが、鬼夜菊代は本当に異例子を出席されることが目的だったのだろうか。妙に引っ掛かりを覚えてならない。
なにより、ああ、寒くなってきた。そろそろ晩のぬくもりの共有の時間だ。
ここでぬくもりの共有をすることは難しいので、薬を飲みたいところである。
両手に何度も息を吹きかけていると、晴天が見計らったように『ユーガイア』の小瓶を差し出した。
「冷えてきたんだろう。向こうの柱の陰に移動しよう。そこでなら薬も飲める」
柱の陰であれば、簡単に「暖」も取れると晴天。
彼は菜月が返事をする間もなく腕を掴むと、郡是と千羽に断りを入れて、大理石の柱の陰へ移動。
小瓶を開けると菜月の両手に持たせ、その両手を自分の手で包んで温めてくれた。
「かなり冷たい。やっぱり薬が必要になったな」
持ってきて正解だっただろう、と晴天が嬉しそうに微笑む。
「お前は意外と自分のことになるとズボラだからな」
心配していたのだと言葉を送られ、菜月は苦く笑った。
言い返す言葉も思いつかない。晴天の言う通り、菜月は自分のことにわりとがさつになる。
自分で自分の世話をすることが面倒になるのだ。それゆえに薬を呑み忘れることも多いし、熱が出てもただただ寝るだけだし、自分だけの食事を作る時は適当になる。
晴天はよく自分を見ているな、と菜月は思った。
その旨を伝えると、「専属監視役は伊達じゃないからな」と返し、柔和に笑った。
「そんなんじゃいつまでも俺から見張られるな」
きっと、明日もあさっても、これからも、自分に見張られることになると晴天。
それが嫌なら、ちゃんと自分の面倒を看るように、としっかり釘を刺してくる。
いつまでも優しいまなざしを向けられるので、菜月は小さくはにかむと小瓶を自分の方に引き寄せた。
「それはつまり晴天さんのお話をたくさん聞けるということですね」
晴天の話はいつだって楽しい。それを聞けるのは嬉しいと菜月は語った。
するとどうだ。晴天が小さな唸り声を上げて、「なんで言い負かされるんだ」と吐息をつき、視線を背けてしまった。
きょとんとする菜月に早く薬を飲むようぶっきら棒に命令してくる。ますます首を傾げていると、柱に背中をあずけていた七簾が意味深長に笑い、こちらを見てくる。
「異例子は想像以上に天然タラシやんね。そりゃあ晴天も言い負かされるわけとよ」
「へ?」
「だっ、七簾っ。なんでそこにいるんだ」
「んー? 隊長が近くにいろと命令をもらったけん、ここにいるだけと」
にししっ、残念でした。
小ばかに笑う七簾は片眉をつり上げる晴天を見るや否や、怖い怖い、と言って柱から離れていく。
盛大な舌打ちを鳴らす晴天は、薬を飲む干す菜月を横目で一瞥すると、深いため息を零した。
「俺は相手にされているんだか、されていないんだか。もっと強引にいった方がいいのか」
菜月は鈍感だと言われ続ける男だが、今だけなんとなく気持ちを察した。
「晴天さん。すみません、少しだけ手を握ってもらってもいいですか」
空になった小瓶に蓋をすると、菜月は晴天に「暖」を取りたいと願い申し出た。
薬を飲んだばかりだからなのか、ちっとも体温が上がらない。だから甘えてもいいだろうか、と言って長身の彼を見上げる。
澄んだ猫目が菜月を捉えると、「ああ。いいよ」と目で笑い、柱の陰で菜月の両手を握りさすってくれた。合間に晴天は言う。自分は専属監視役。異例子を見張る立場。いつだって異例子の言動を見張る。一方で異例子の肌を見た天使、いつか責任を取る、とつよく謳った。
責任を取ることについては物申したいものの、菜月は叶わぬ自由を口にしつつ返事した。
「俺が自由になるまで、晴天さんは俺を見張ることになるんですしょうね」
「ああ。きっとな」
「貴方との約束を守りたいなぁ」
「守らせるように見張っておくんだよ。菜月、俺は待っているよ」
いつか自分の家で、レラーンズを作ってくれる日を。
晴天の言葉は果たして口説きなのか、それとも純粋な思いなのか。
菜月は彼の言葉に微笑みを返すと、大きな手を握り返して、それを触った。大鎌を握っているせいなのか、硬いタコが手のひらにできていた。努力の証なのだと容易に察した。
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