06-04
「――今日は何を作っているんだ。菜月」
前述で語った通り、菜月に専属監視役がついた。
見張られる時間が多くなったと同時に更生という名の再教育のおかげさまで、菜月は聖保安部隊隊員と話す機会が非常に多くなった。聖界に戻ってきた当初は人間界に置いてきた恋人友人を傷つけられた恨みがあり、菜月の態度も酷かったので、何かと聖保安部隊と対峙していたが、いまでは穏やかに話すことが叶っている。
少なくとも専属監視役の隊員たちは、異例子にあまり嫌悪感を抱いていない。
それは指揮を執る千羽副隊長をはじめ、彼の上司である郡是に晴天、鳥羽瀬、七簾……と、数は少ないが異例子をただの罪びと。監視対象。そして少年として接してくる。
特に千羽と晴天は群を抜いており、晴天に至っては積極的に菜月と会話してくれる。
責任を取る使命感に駆られている気持ちもあるのだろうが、晴天は誠実に菜月と接してくれた。
ひと学びを終えた菜月はリビングキッチンに立ち、ボウルに粉を入れて水に溶いていた。砂糖と牛乳を混ぜたところで、見張り役の晴天が興味津々に作業を覗き込んでくる。
今日の専属監視役は晴天が担当しており、菜月は先ほどまで彼に聖界の常識を教えてもらっていた。
お昼に食べるチーズドックを作っているのだと返事すると、熱したフライパンに生地を流し込んだ。
片面に焼き目が付いたことを確認すると、ハムとチーズをのせて生地を三つに折る。皿に盛ってハチミツを掛けたうえで、包丁で均等に切ると、一切れをフォークで刺して晴天に差し出した。
「お口に合うか分かりませんが、どうぞ食べてみてください。人間界の料理なんです」
任務に就く聖保安部隊は、見張る対象から飲み食いを提供しても殆ど口にしない。
万が一に備えているのだろう。隊長の許可が下りないかぎり、断るよう義務付けられている。
ただし例外もあり、専属監視役のように再教育する立場や、隊長の許可が下っている場合は『浄化の腕輪』を付けた上でそれが許されている。
『浄化の腕輪』はあらゆる毒や麻痺、眠りといった異常を無効にするもので、たとえ盛られたとしても毒や麻痺が効かず、寧ろそれらの有無が分かる魔具となっている。
これを身につけることにより、見張る対象の目論見を見抜く、というのが意図にあるらしい。
見張る対象と距離が縮まる間柄になればなるほど、『浄化の腕輪』は重宝されるのだとか。
晴天も例外なく『浄化の腕輪』を付けているものの、彼は無遠慮にチーズドックを口に入れて咀嚼した。
「甘じょっぱい。なかなかイケる味だな」
「ふふっ、それは良かった」
「お前って料理が上手いよな。一昨日くれたフォッサンもすごく美味しかった」
「ありがとうございます。晴天さん、俺といっしょにお昼を食べてくれませんか」
ひとりで食べるのは味気ないから。
晴天を誘うと、彼は嫌悪感を出すこともなく、承諾してくれた。
チーズドックにハチミツをかけた甘じょっぱい食事は、菜月にとって少々苦手な類いとはなるものの、晴天は好きだろうと踏んでいた。それを見越したうえでチーズドックを作ってみたのだが、予想は大当たりだったようだ。
とてもおいしい、と言ってチーズドックを頬張ってくれる。
菜月はそれに微笑み、冷たい牛乳を晴天のカップに注いだ。
「人間界は飯が美味いと噂で聞いていたけど、どの料理も本当に美味いんだな。未だに生魚を食べる文化は信じがたいけど」
「俺は日本に13年過ごしていたので、大好きなんですけどね。生魚を食べること」
「生を食べて腹は壊さないのか?」
「ちゃんと生で食べられる魚なら大丈夫ですよ」
信じられないと顔を顰める晴天に笑ってしまう。
聖界には生魚を食べる習慣がないので、しょうがない反応だろう。
食後は『ルーセントの呪病』の治療のため、ぬくもりの共有を行った。
自室に入ると、菜月のベッドのうえで毛布を広げ、ふたりでそれに包まり、ぬくもりを共有する。
その間もたくさんの話をした。世間話はもちろん、晴天からあれこれ聖界の面白い話を聞かせてもらった。相変わらず、聖保安部隊を愛している天使なので、訓練のこともたくさん聞かせてくれた。
それだけではない。今度武の勲章試験『空勲章』を取るために、十日ほど任務から外れることを語った。
曰く、勲章を取るために七日間、ヒズジェン山に籠って野外試験を受けるとのこと。
武の勲章には位がある。
月、星、天、烈、暁、空、大地……と段階があり、晴天は難易度が跳ねあがる空勲章を取るために試験を受けてくると言う。
どうやら本気で螺月に勝負を挑むことを目標にしていようで、まずは空勲章を勝ち取ってくる、と菜月に決意表明をした。
直後、妙に口を曲げながら、ぶっきら棒にお願いごとを口にする。
「必ず空勲章を持ち帰る。そしたら、俺にレラーンズを作ってくれるか?」
レラーンズは晴天の大好物の焼き菓子である。
菜月は以前、遭難した自分を助けてくれたお礼としてレラーンズを作り、晴天に贈ったことがあった。
晴天にとってレラーンズは育ての祖母が作ってくれた思い出の味で、それが大好物だと語ってくれた。
ゆえにあのレラーンズは誰にも真似できない、と言いながらも、菜月が作ったレラーンズを食べるや否や「これは菜月しか出せない味だな」と言って美味しそうにそれを頬張ってくれるのである。
建前ではないことが食べている顔で見て取れたが、彼はまた菜月の作ったレラーンズが食べたいと告げてきた。
菜月は努めてぶっきら棒な態度を貫こうとする晴天に目で笑い、「待ってますね」と返事して、彼に声援を送った。
「いつから試験があるんですか」
「来週の頭から。準備も併せて十日、休みをもらったんだ」
「じゃあ少なくとも十日間は会えないんですね」
「試験が終わったらまた戻って来るよ。郡是隊長や千羽副隊長には事前に相談したら、挑戦して来いって背中を押されたし、お前にも大見得切ったんだ。ちゃんと勲章を取って来ないとな」
「晴天さんがしばらく顔を見せなくなるのは、さみしいですけど、がんばってくださいね」
こうして聖界の話や聖保安部隊の話を、楽しく聞かせてくれるのはいつも晴天だから。
そう言って微笑むと、晴天はそういうところが厄介なのだと苦笑をひとつ漏らし、菜月との距離を詰めた。
毛布に包まっていることもあり、晴天と密接な距離となった菜月だったが、やさしいぬくもりが離れがたくて、そのままの状態で過ごした。
「俺にできる精一杯のお祝いをしますね。晴天さんが帰って来る日を待ってます」
なによりも聞きたい言葉だったのだろう。
絶対に取ってくると子どもような笑みを浮かべると、「いつか責任を取らせてくれよ」と菜月に真摯な気持ちを伝えてきた。
何を言うか。晴天は何度も菜月を助けてくれたのだから、責任を取るだの、他人の肌を見ただの、過去の過ちはとうに白紙になっている。晴天は許されているのだと菜月は訴えた。
しかし、晴天は責任を取る気持ちは変わらないと告げ、兄の螺月に勝負で勝ったら必ず自分が責任の取り方を決める、といたずら気に頬を緩める。
ここまでくると責任の押し売りであるが、晴天は気づいているだろうか。
「きっと必ずお前の罪が許される日が来る。そしたら、俺の家でレラーンズを焼いてくれよ」
それを食べながら、ふたりでたくさん話をしよう、と晴天。
彼は菜月が自由の身になった暁には、ぜひうちに来てほしい、と誘った。
本当の意味で自由になる日は、きっと生涯懸けても来ないだろうと菜月は思っている。自分が異例子であるかぎり。
それでも、なぜだろう。
笑顔で語る晴天の期待を裏切りたくない。
菜月はひとつ頷くと約束だと言って、彼の右小指を自分の小指で絡めた。
「罪が許されたら、晴天さんの家に遊びに行ってレラーンズを焼きますね。それを食べながら、おばあさまといっしょに過ごした思い出や晴天さんの暮らしている世界を聞かせてください」
だから、ゆびきりをしよう。
これは人間界の約束のしるし。
ゆびきりをしたら、絶対に守らなければいけないのだと笑い、晴天の暮らす世界をどうか見せてほしい、と頼んだ。
二度、三度、頷いた晴天は絡めた小指を見つめると、「お前って鈍ちゃんだな」とひとつ笑い、言質は取ったとご機嫌になる。
それはどういう意味なのだろう。
きょとんとする菜月に、またひとつ笑い、晴天はちゃんと約束は守れよ、と念を押してきた。始終、彼はご機嫌だった。
妙に引っ掛かりを覚えたので後日、菜月は晴天とのやり取りを千羽に話してみた。
鈍ちゃんと言われるような原因が見つからない、と疑問を投げ、千羽に何か分かるか、と尋ねた。
一連の話を聞いた千羽は「任務中に大胆な奴だよ」とため息をつき、取りあえず今の話は秘密にしておいてやる、と釘を刺したうえで答えた。
「異例子。聖界にはいくつか定番の誘い文句があるんだが、そのひとつに『自分の家に他人を招いて飯を作ってほしい』ってのがある。おかしいと思わないか?」
「何がです?」
「だって自分の家に招いているんだぞ。客人にご馳走を振る舞うのが常識だろう?」
まあ、確かに。
菜月はうんうん、と頷く。
「だけど晴天はお前にレラーンズを作ってほしい、と頼んだ」
「はい」
「つまり、お前の手料理が食べたいというわけで」
「はい」
「晴天はお前が恋しい。だからいっしょにいてほしい、と口説いたわけだ」
「は……はい?」
素っ頓狂な声を出す菜月は、またまた、と冗談交じりに苦笑するが、千羽は意味深長にこちらを見つめるばかり。
本当に口説かれたのだろう。
菜月は目を白黒にすると、「気づかなかったです」と小声でつぶやいた。
文通でも責任を取るために口説かれたことがあったが、今回もその類いだろうか。責任を取ることはもういいのに。彼にはもっといい人がいると思うのに。
そう吐露すると千羽が、これまたガックリと肩を落として唸った。
「猪突猛進のくせに、変なところで回りくどいことをするから、肝心なところが伝わってないじゃないか」
おかげで見守るこっちがやきもきすると千羽。
まあ、そういう部下の大ばかなところが可愛いのだけれど。
千羽は菜月を見やると、「隙を見せていると外堀を埋められていくぞ」と含みある助言をした。
「一度火が点いたら、あいつは誰も止められない。それなりに覚悟しておいた方がいいぞ異例子」
「止められないって言われましても……」
「ばか真っ直ぐなんだよ。まあ、それが晴天のいいところでもあるんだけどさ」
なんだかんだで、しっかりと部下を認めて褒める千羽を見つめ返し、菜月はなるほど、と頷いた。
晴天が聖保安部隊を愛するわけだ。
任務のことなんぞ露一つ分からないが、千羽のような上司が分け隔てなく晴天望を認めているのだから、彼は聖保安部隊を居場所にしている。
きっと千羽が尊敬する郡是も同じ型で、表裏なく晴天望を評価しているに違いない。
十日後、晴天は宣言通り、空勲章を持って菜月の前に現れた。
その日は非番だったにも関わらず、無理やり巡回メンバーに引っ付いて菜月に会いに来た。
よりにもよってこの日の専属監視は郡是だったので、勝手な行動を取った晴天に隊長は苦い顔をしていたが、「友人としての面会としてやろう」と部下の行動を大目に見ていた。
鬼隊長と呼ばれている郡是だが、じつは少々部下に甘いのやもしれない。
「見てくれ。ちゃんと取ってきたんだ。空勲章」
晴天は空勲章を菜月に手渡し、それを持たせてくれた。
非常に大切なものだろうに、彼は惜しみなく菜月にそれを差し出して、試験についてあれこれ語ってくれた。
おおよそ話したくて仕様がなかったのだろう。
青い猫目を輝かせ、子どものように無邪気に語っていた。菜月は彼の語りに相づちを打ち、言葉の合間に今からレラーンズを作ると返した。精一杯のお祝いをする約束を果たしたかった。
するとどうだ。
その日の午後から専属監視役は急きょ、非番だったはずの晴天に任された。
郡是から急いで身支度をするよう命じられた後、自分は部署に戻って書類の片づけをすると言い放ち、菜月は晴天とふたりっきりになった。おかげで菜月は晴天にお祝いのレラーンズを作ることができたし、それを食べながら、晴天は離れ離れになっていた十日分の話を菜月に面白おかしく聞かせてくれた。
それこそ午後の巡回を迎えても、彼の語りは終わらず、菜月はいつまでもそれを楽しく聞いていた。
それはそれは「しあわせ」な時間であった。
聖界に戻ってきて半年、菜月は確かに「しあわせ」な時間を過ごせるようになっていた。
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