03-17
「もしも父上に一抹の家族愛が残ってくださるのなら、貴方のところに行かない。きっと母上のところにっ、母上のところに行くわ。信じられないっ、今の話」
――信じられない、か。
その言葉が妙に胸に突き刺さった。菜月は苦し紛れに苦笑を零す。
向こうが動揺していることは分かっているが、今の言葉は結構胸に深く刺さった。
分かっている。
自分は異例子。天使から生まれた人間で化け物なのだ。
どんなに自分を家族だと言ってくれても、どちらが大切かと天秤に掛けた時、彼等は真っ先に母を選ぶ。だから今も博学の天使の名を出し動揺、自分を信じられず激怒、そして母の名を出した。
分かってはいた。
二人の本当に大切な人くらい、分かってはいたのだ。
結局、自分達は名ばかりの家族。本当の家族になどなれない家族。分かっていたじゃないか。
(じゃあ、どうして)
こんなに胸が痛いのだ。
もしかして傷付いているのだろうか、自分は。
憎しみを向けていた兄姉の言の葉に傷付いているのだろうか。
何処かで信用したい自分がいたのかもしれない。いや、兄姉のことを信用したい自分が確かにいた。
馬鹿に冷静になる自分がいる。
「……博学の天使は家族を捨てたの?」
「ああそうだよっ! あいつは家族を捨てた。異例子が生まれた時も、母上がノイローゼ気味になっても、周囲が俺等を差別しても何もしなかった。どれだけ俺達が差別されていたのか、あいつだって知っていたくせに。どれだけ俺達が狂った人生を歩んでも、あいつは家族に見向きもしなかった」
そのような男が異例子を今さら、引き取りたいなんて、どんなお笑い種だろうか。
引き取りたいと思うのなら、最初から引き取ってしまえば良かったのに、何を今さら。
螺月の憤った悪態は次第に萎んでいく。
それはきっと、菜月の情けない顔を直視したせいだろう。いつものように嫌味ったらしく笑えていたら、万々歳だが……正直、気丈に笑えている自信がない。
息を詰める兄にぎこちなく笑みを返し、菜月は席を立った。
「悪かったよ、もう父親のことは聞かない。この話は忘れてほしい」
大丈夫、慣れている。
誰かに罵声を向けられ、憎しみをぶつけられることには慣れている。だいじょうぶ。
菜月は席を立つと、さっさと食べかけの夕飯が載った食器を流し台に置いた。そのまま早足でリビングキッチンを出て行く。
「待って、菜月」
足を止め、菜月は軽く後ろを振り返り、口角を持ち上げた。
「柚蘭、螺月、無理して異例子の家族になる必要なんてないよ。あんた達が狂った人生を歩ませる原因を作ったのは、家族を見捨てた父親じゃない。異例子として生まれた俺なんだからさ――いっそ、手放した方があんた達は幸せなのかもしれない」
「ちげぇ、菜月。俺達は無理なんてしてねえんだっ。俺達はっ」
「もう、やめてくれよ!」
これ以上、兄の言葉を聞きたくない。
菜月は腹の底から怒鳴り、もうやめてほしいと懇願した。
「分かっているんだ。俺が生まれたことで家族を狂わせたなんて、そんなの、誰でもない俺が分かっているんだよっ、全部……ぜんぶっ!」
「菜月っ!」
菜月はその場から逃げ出す。
置かされた現実を言えば言うほど、胸につよい痛みが走る。自分の存在と向き合う度に、苦しい孤独が襲いかかった。自分なんて生まれてこなければ良かったと思う度に、生きている意味が分からなくなった。
それらを振り払うように自室に飛び込むと、聞こえてくる足音を拒むようにドアノブを押さえた。程なくして、ドアノブが左右に動き始める。
「菜月、ここを開けて。お願い」
姉から執拗にノックをされるが、菜月は聞こえないふりをしてドアノブを押さえ続ける。
やがてノックが止まり、気配が遠ざかると、菜月はドアに背中をあずけて、その場に座り込んだ。自然と零れそうになる涙を堪え、くしゃくしゃに笑いながら膝を抱えて誤魔化す。
(知っていたじゃないか。異例子は誰かを不幸にすることしかできないって)
不幸にするのは異例子の十八番だ。
分かっている、自分は生まれながら誰かに憎まれる存在だ。
ああ、今日は怒涛の一日だった。カタテンと呼ばれた子供の出逢いに、聖保安部隊副隊長と距離感は縮まり、白衣の男に妙なことは言われるわ、兄姉とはまたギクシャクになってしまうわ、片隅で母のことを思い出してしまうわ。
ある程度予測はしていたとはいえ、やはり父親のことは家族にとってタブーだったのだ。
あの兄姉があそこまで動揺したのは初めて見た。見事に地雷を踏んでしまった。
本当は分かっている、向こうも動揺していただけだということは。傷付けるようなことを言うつもりは無かったということは。異例子のことではなく、父に怒りの矛先を向けていたことは。
それでも、言わずにはいれなかった。
だって、自分は、異例子は、家族を――愛されたい家族を狂わせた。
「菜月。聞こえてっか?」
膝を抱えて時間を過ごしていると、兄の控えめな声がドアの向こうから聞こえた。
ドアを開ける様子はないが、ドアノブに手を置く気配はした。
「俺は異例子を手放さねえ。仮に聖保安部隊が引き取りたいと言っても、あいつが引き取りたいと言っても、お前を誰かに引き取らせるつもりはねえ。これは俺の本心だ」
誰かに引き取らせればいいのに、兄はなにを言っているのか。
「俺の弟はお前だけなんだ。どこを探しても、弟と言えるのはお前しかいない。何が遭っても、ぜってぇ手放さねえよ――落ち着いたら俺達と話そう。そしてお前の話を改めて聞かせてほしい。面と向かって謝らせてくれよ」
遠ざかっていく気配に苦々しく笑い、「ばかだな」と、菜月は小さく悪態をついた。
「さっさと異例子なんて手放せばいいのに。ばかだなぁ、あいつらは人生を損しているよ」
『恐がり菜月……』
始終自分達のやり取りを影から見ていたカゲっぴが、ひょっこりと視界に現れた。心配してくれているのだろう。か細い声を掛けてきてくれる。
『喧嘩は良くないっちゅーの』
菜月は微苦笑を零し、「みんな不器用なんだろうね」と言って、肩に乗るカゲっぴの頭を撫でた。
「俺もあいつらもきっと肝心なところで不器用なんだ。そういうところだけは似ているのかもしれない。俺達、兄姉は」
本当にどうしようもない兄姉だと思う。
絶え間なく漏れる苦笑を自嘲に変え、菜月はカゲっぴの頭を撫で続けた。
まるで自分の気持ちを察してくれるように、子どもは大人しく頭を撫でられ続ける。片隅で明日からどう兄姉と向かい合おうかと思案に耽った。
考えるだけで億劫になるが、これからのことはしかと考えておかないと、明日の自分が困ってしまう。
――トントン、トントン。
ふと窓ガラスを叩く音が聞こえた。
もしや兄姉が外から回って中の様子を見に来たのか。
それにしては様子がおかしい。暗くてよく見えないが、窓の向こうに人影が見当たらないのだ。聖界の文化にカーテンは存在しないので、窓ガラスは何も仕切っていない。ゆえに人影が見えてもおかしくないのだが……。
カゲっぴと顔を見合わせ、菜月は小鬼を影に入れると、重い腰をあげる。
「……誰もいない」
恐る恐る窓を開けて、左右を確認する。
家の外壁や中庭が見えるばかりで、人っ子ひとり見えない。
菜月は軽く息を呑んだ。ああ、もうやめてほしい。辺りが不気味に見えてきたではないか。風が通り過ぎたと思いたい。
(気のせい。うん、気のせい)
そっと窓を閉める――ふわっと鼻に煙たい香りが纏わりついた。これは煙草の香り?
背後から香ってきた煙草の匂いに誘われ、ゆるりと後ろを振り返った。よれた白衣を纏った天使が、冷たい笑みを浮かべて立っていた。
「貴方はっ」
驚愕する菜月を嘲笑うように、博学の天使は紫煙を吐き出すと、きゅっと口角を持ち上げる。
「――成長したお前を、存分に調べさせてくれ。異例子」
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