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18-16


轟々とうねりを上げている炎部屋から逃げた一行は、五階ある階段を一気に駆け上り、地上に出る。


夜だというのに地上は地下よりも遥かに光で溢れかえっていた。
 
柔らかな月光が自分達を迎えてくれる。


ここから先は柚蘭が先導に立った。


大神殿の内部構造を詳しく調べ上げていた柚蘭はこっちだと皆に指示し、中庭を駆け抜けて裏門も目指した。

螺月が衛兵を伸してくれていたおかげで、裏門の警備は手薄どころか何もない。

難なく門を潜った一行は眠る街を過ぎり、中央区街外れの雑木林に飛び込んだ。

 
雑木林なら仮に追っ手が放たれてもすぐに見つかることはないだろう。

念のために街が見渡せる断崖まで出ることにした。

此処まで来れば大丈夫じゃないか、そう判断した一行は動かす足を止めて弾んだ呼吸を整える。
 
 
「もう走れないわ」


璃子の言葉に便乗する拓海は、ごつごつとした地べたに座り込んでぐったり項垂れた。

三年分の徒競走をした気分だと愚痴を零し、その場に寝転がる。久しぶりの地上に外界の空気だと重い息を吐き、荒呼吸を繰り返した。
 


 
側らでは同じく荒呼吸を繰り返している柚蘭が両膝をついて自分以上に呼吸を乱している弟を見やり、大丈夫かと気遣う。
 
その灰に染まりかけた翼や瞳の異質な色に懸念を抱くものの、弟はなんてことないと返し、それより菜月は大丈夫かと視線に腕を落とした。つられて柚蘭も螺月の腕で瞼を下ろしている末弟の顔を覗き込む。
 
ぱちぱち、ぱちぱち、瞬きをして呼吸を繰り返している末弟がそこにはいた。


「菜月」柚蘭が声を掛けると、「ねーさま」異例子は相手の呼び名を紡ぐ。同じように弟が声を掛けると、「にーさま」末子がそちらに視線を流す。
 

途方に暮れたような、信じられないような、泣きたいような、笑いたいような、そんな曖昧な面持ちを浮かべらざる得ない。
  

「ちょっと見ない間にこんなにやつれちゃって。最後に見たのはいつだったかしら」


柚蘭は異例子の前髪を撫ぜる。声が涙に染まった。
 
生返事を零す螺月を尻目に、そっと末弟の胸に手を当てた。心音はまったく伝わってこない。


けれど信じられないことに、腕の中にいる末弟は忙しなく呼吸を繰り返している。


月明かりを浴びているせいか、それとも血が通っていないせいか、その肌は青白い。

末弟は生きているのか、それとも死を迎えているのか、判断しかねるところだ。
  

「さっきまで呼吸さえしていなかったのに」


螺月は地面に末弟を寝かせ、これからどうすればいいんだとローブを握り締める。

博学の天使は必ず、異例子を狙いに姿を現すだろう。

何より研究に情熱を注いでいる男だ。狙ったら最後、食い下がって放さない。


「あいつ。菜月にナニ注射しやがったんだっ。ナニしやがったんだよ。生きてるだって? 馬鹿がっ…、安易な希望を持たせるんじゃねえよ。あのクソ野郎っ…」

「螺月…」


「例えあいつを憎んでいても、俺は…、どっかであいつを信じちまうんだ。弟をまだ喪いたくねぇ」
  

「もしも」本当に菜月がまだ生きている可能性があるなら、自分はそれに懸けたい。蚊の鳴くような声音で螺月は呟いた。
 
「けど」もし一度死んでしまった身の上で、なおのこと蘇生されそうならば自分はこれ以上弟を化け物扱いという呪縛で縛りたくない。

なにより化け物だと見られて欲しくない。見られてしまうくらいならば、見られてしまうくらいならば。
  

その言葉の意味がどういう意味を持っているのか、螺月は十二分に承知の上なのだろう。

「菜月は化け物じゃない」一端の人間で聖界人なんだっ、周囲が罵っても自分は主張する。ただの人間なのだと。研究などと他人のエゴで苦しめたくない、下唇を噛み締め、螺月は苦言を漏らした。


「どうしょうもねぇよな。現実を受け入れたくない俺がいる。……どちらにせよ、親父の手には渡せねぇ。あいつの手に渡ったら今度こそ菜月は化け物として、新種族の被験者として地獄を見る。生死に問わず、菜月は親父の手に渡しちゃなんねぇ」
 

横たわっている末子の頭を螺月が一撫でると、はにかみを見せて菜月が手を伸ばしてきた。

頭を撫で返そうとしているのか、それともその手を掴みたいのかは分からない。

それでも菜月はその手を二人に伸ばしていた。自分の意思を宿して。

完全に意識と心が戻ったわけではないのだろう。それでも末弟はまだ生きている、これから先を生き始めようとしている。もし一抹の希望があるなら、自分達は。


伸ばす手はあと少しのところで届かず、末弟がやきもきし始める。

仕方が無さそうに弟がその手に触れてやると、末弟が手が届いたと満足げに笑った。


たったそれだけのことなのに柚蘭は泣きたくなる。

きっとそれは螺月も同じなのだろう。力なく小さな手を握ってやっていたのだから。

弟の手を離れた小さな手の標的が柚蘭に向く。

手を伸ばしてくる末弟に応えるために、己の手を伸ばした。触れるか触れないか、タッチの差で伸ばしていた手が力尽きたように地面に落ちる。


目を見開き、急いで視線を流せば息苦しそうに呼吸をし始める末弟の姿が。

血相を変えた螺月がどうしたのだと声を掛けるが、応答はない。忙しなく呼吸が繰り返されている。


「もしかして薬、か? あいつの投与した薬が切れ始めたのか?」


どうやらそうらしい。

名を呼ぶと微かに反応する。重たそうな瞼を持ち上げ、名を返そうとしていた。何度も、なんども。しかし、うまく言葉にできない。

見る見る弱っていく末弟はまさしく虫の息になりかけている。哀れな姿に言葉を詰まらせてしまった。


「やっぱッ、眠らしてやるのがいっちゃんかもしれねぇ。こんなに苦しんで。……眠らせてやるしかっ。けど大丈夫だ。約束あっから。俺達、いつだって、いつの時だって一緒だから」
  
 
現実の無情と生死の恐怖に身を震わせている弟を見ていられなくなった柚蘭は、もしも末弟が生きているならば自分の治癒魔法は効く筈だと手を翳した。

驚愕する弟を少しでも安心させたい。そして自分もまた恐怖心を打破したい。


その一心で柚蘭は自分の得意分野である治癒魔法を弟にかけていく。

言の葉は治癒の理を引き出すための鍵となり、引き出された言の葉は柚蘭の呪文によって魔力と融解していく。


掌に集まる癒しの光が柚蘭を媒体に異例子の体に解け消えた。

治癒力は瞬く間に全身にめぐったのか、青の淡い光が末弟を包む。

しかし傷は一向に癒える気配がない。相手が生を宿らせた有機物ならば些少ならず、傷は癒えてくれる筈なのに。

 
焦燥感を募らせる柚蘭に対し、螺月が何も言わず肩に手を置いてくる。末弟を亡骸と判断したのだろう。

「俺の我が儘」聞いてくれねぇか? おずおずと申し出てくる。その申し出の哀切に薄々勘付いていた柚蘭は、「まだよ」治癒は始まったばかりじゃないかと一蹴する。



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あきゅろす。
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