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03-04


  
 一方、千羽も精神的に疲労が増すと重々しく溜息をついていた。

 何が悲しくて自分ひとりで異例子のお目付け役をしなければならないのだろうか。
 尊敬する上司の命でなければとっくに投げている、こんな仕事。敬っている上司が自分に異例子をこっそりと、そして騒ぎを起こさぬよう西大聖堂の部署に連れて来て欲しいと言うものだから、こうやって仕方が無しに仕事をこなしているが。

 悪魔に魂を売った少年と共にいるだけでこんなにも胃がムカムカする。異例子が汚らしいと思えてならない。

 
 下手なことをすれば少年の兄姉が文句を言うため、グッと堪えてはいるが、嗚呼、さっさと仕事を済ませてしまいたい。

 
 チンタラと背後を歩く異例子に目を向ける。
 彼はキョロキョロと周囲を見渡していた。目に飛び込む街々の光景に興味を示しているようだ。千羽は舌打ちを鳴らす。何をもたもたとしているのだ。さっさと歩いてくれ。こっちは仕事が詰まっているというのに。
 苛立ちを急上昇させながら後ろをチラチラ見ていると前からトン、と衝動が来た。誰かとぶつかったのだ。
 

 嗚呼、やってしまった―!

 千羽は慌てて足を止め、「余所見をしてた。悪い」と視線を前に向ける。

 
 目に飛び込んできたのは若葉色の髪を持った少年。
 千羽は瞠目する。ぶつかった少年は天使なのだが背には左翼しか生えていない。右翼の姿が何処にも見当たらないのだ。
 片方しか翼の生えていない天使少年、同じ天使だというのに千羽は少年の姿にまるでべつの種族を見ているようだと思った。片方しか翼がないなんて変な気分だとも思った。
 
 「ごめんなさいっ…」尻餅をついている少年は千羽に怖じた目を向けていた。地には鞄から飛び出した教科書類がばら撒かれている。
 それを拾う余裕もないほど、少年は千羽の反応に怯えていた。
 
 慌てて千羽は少年に大丈夫かと尋ね、手を差し伸べる。
 少年は千羽の顔と手を交互に見やっていたが、フルフルと体を震わせ身を小さくしてしまった。千羽は片膝をつき、何処か怪我をしたのか、痛いのかと壮年に尋ねる。「ごめんなさい」少年は謝罪を述べるだけだった。すっかり自分に怖じてしまっている。

 どうしたものかと千羽は頬を掻いた。
 
 仕事を任されているため、さっさと先を進みたいのだが。少年は何を怯えているのだろうか。しかも今の時間帯、子供達は聖堂で勉強に勤しんでいる筈。どうして少年はひとりでこんなところに?

 泉のように疑問を湧かせていると、後ろを歩いていた異例子が追いつき、膝を折って教科書等を拾い始める。綺麗に砂を払って拾ったそれを重ねると、天使の少年に差し出した。
 やっぱり少年は怯えてしまっている。目に見えるほど震えていた。

 「ごめんなさい」何度も詫びを口にする少年は千羽に許しを乞う。どうかぶつかったことを見逃して欲しい、と。二度と無礼な真似はしない、と。
 あまりにも大袈裟な謝罪に千羽は面を食らった。


「こっちは大丈夫だから。それよりお前は? 怪我は無いのか? 何でここにいる。聖堂で勤勉に励む時間だろ?」

「ゆ…許して下さい…、わざとぶつかったわけじゃ…なくて…」


 駄目だ。話にならない。
 途方に暮れ、千羽は大きく溜息。それにまたビクリと反応する天使少年。状況はますます悪化する一方だ。この状況をどうにか打破できないものか、千羽が思考を巡らせていると静観していた異例子がそっと口を開いた。
 

「君、お名前は?」

「ぼ…ぼくは…えっと、カタテン…です。片方しか翼が無いからカタテン。……ごめんなさい」
 

 しどろもどろ答える天使少年は“カタテン”と言うらしい。
 無論、それが本当の名ではないことくらい誰が聞いても分かる。
 
 「そうじゃなくて名前は?」千羽が急かすように尋ねれば、天使少年は身を縮み込ませる。またしても詫びを口にしてくるものだからいい加減にしてくれと千羽はウンザリした。




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