白衣と煙草とデータと
その男は常によれた白衣を身に纏っていた。
男にとって白衣ほど身軽な恰好は無かった。室内外どこでも白衣に黒のワイシャツ。これが男のお気に入りのスタイルだった。着替える手間が省ける上に、思い立ったら直ぐに研究に専念できる。主流となっている純白のローブなど男のスタイルには合わず、男は常に白衣を身に纏っていた。
常時持ち歩いている安定剤は煙草だった。
一服がささくれ立っている神経を落ち着かせる。ニコチンが今の自分にとって穏やかな安定を与えてくれるのだ。肺がんになろうが健康に悪影響だろうがそんなもの承知の上。すべて自己責任の上で喫煙している。煙草は男にとって無くてはならない代物だった。
今も男は時計塔の上で一服している。懐かしい故郷を眺めながら。
満目いっぱいに広がる故郷は酷く色褪せて見えた。昔、盛んに通っていた西大聖堂も西図書館も店々も男の目にはとても色褪せたものに思える。変化の無い街並みに肩を竦めた。つまらない。もう少し変化を見せても良いというのに。
相変わらず聖界は不変に固執している。変わることを恐れているかのようにも思える。変化があって初めて発見することも多々あるというのに。まあ予想はついていたが。
暗紫色の瞳を細めて街並みを見ていた男だったが一本を吸い終わる頃、紫煙を吐きながらポツリとごちる。
「研究データを集めないとな。数年ぶりのデータ採取だ。あれからどうなっているのか…。
大きく変化している確率は72%。予想を上回っている確率は56%。危険度は88%といったところか」
だが問題はどう接触するかだ。
手に入れた情報によれば、あいつ等と同居を始めたと聞く。聖保安部隊の監視下に置かれたとも聞く。接触する上でどう対処していくか。先にあいつ等から接触しても良いか。向こうのデータも欲しいし。どうしようか。
思案を巡らせながら男は不敵に笑みを浮かべる。「会った時の面が楽しみだな」自分に会った時、奴等は憤るだろうか。それとも驚愕するだろうか。主体となるデータは自分のことを憶えていないだろうが、あの二人は自分のことをはっきりと憶えているに違いない。
嗚呼、真実を話してやってもいい。
きっと今まで以上に強いつよい念を抱くに違いない。反応が楽しみだと男は笑声を漏らした。
「あいつは自分の最高傑作。これからも最高傑作であり続けてもらわないとな」
そう最高傑作なのだ。人々の記憶に、聖界の歴史に名を刻んだ最高傑作。哀れな研究動物はこれからも最高傑作であり続ける。
何度も自分に言い聞かせ、男は吸殻を地に落とすと足で揉み消しその場を去る。
その際、ふわっと黒髪が靡いた。黒髪は研究動物の髪と同じ色を放っていた。
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