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天秤は正義と思いやり



 
 ―――…それは少し前に話が遡る。
 

 西ゲヘナ域の地下牢・アウトロー・プリズンに投獄された菜月は大半の時間を暇で弄ばしていた。
  
 窓があった西プリズンと違い、アウトロー・プリズは地下牢なため暇を潰せる窓もなければ景色もない。他の囚人と違って異例子は特別隔離されているため、牢内に話し相手もいない。別の囚人達は数人ずつ牢に押し込まれているため、向こうから話し声も聞こえるが。
 他の囚人の身の安全を確保するために異例子という存在を隔離したのだろう。そんなに大それた存在でもないのに、菜月は欠伸を噛み締め、せんべいのような平べったいベッドの上に寝転んでいた。
 
 実を言うと菜月には話し相手がいる。
 
 自分の影の中に隠れている影小鬼のカゲっぴだ。なんとカゲっぴは、菜月の身の上が西プリズンに投獄された時から付いて来てしまっていたのだ。
 正確には、菜月の影の中が、カゲっぴにとって一番安全なため付いてきてしまったのだが(菜月は魔封枷をされているため魔力が消えている。影の中にいるカゲっぴも魔力が消えるため、菜月の影の中が安全なのだ)。
 

 しかし看守の目があり、なかなか出て来ることが出来ない。
 

 出てくる時は大抵、食事の時くらいだ。


 その日も時間になるまでカゲっぴは菜月の影の中にいた。
 食事頃になると影から顔を出し、菜月のローブを引っ張って食事を要求する。囚人の食事は非常に不味いのだが、カゲっぴは文句言わず平らげていた。菜月はそんな偉い小鬼に綻び、共に食事をする。平和な時間を過ごしていた。

 だが食事を取っていた時のこと。
 菜月は偶然にも、見回り兼囚人達の面子をチェックしていた看守二人の会話を耳にしてしまう。

 
「西区はこれで全員か。ん? おい、例のセントエルフの名前がないぞ。魔界人と繋がりがあったなら、こっちに収容されるんじゃないか?」

「ああ。二ヶ月前に死亡したとさ。さっき聖保安部隊から直々に伝達が回ってきた。そっちの名簿から外して欲しいだと」
 
 
 ジェラールさんが、死んでいる?

 それは菜月にとって思いがけない凶報だった。
 
 慌てて菜月は格子を掴み、通路向こうに看守達に声を掛け、今の話は本当なのかと尋ねた。
 酷く億劫な面持ちで看守のひとりが肯定の返事を返した。ジェラール・アニエスは死亡している。しかも自ら命を絶ったのだと、嫌味ったらしくも懇切丁寧に情報を提供してくれた。菜月は途方に暮れた。二ヶ月前といえば自分が聖界にやって来た月、その頃にはもうジェラールは死んでいたというのか。

 いやしかし、誰もそんなこと…、聖保安部隊でさえ自分に何一つ教えてくれなかった。


 もしかして故意的に教えられなかった?

 
 悲しみよりにも先に驚愕が、涙よりも先に絶望が、菜月を支配していた。
 

 菜月自身、ジェラールが逃亡計画を企てていたことは知っていた。

 ジェラールと別れる際、彼女は隙を盗んで逃げてやると菜月に断言していたのだから。ジェラールは聖界に行く前に家族に会う予定だったのだが、彼女は家族には迷惑を掛けないと逃亡する計画を目論んでいた。少し前に両親に逃げるよう連絡は入れたから、時間稼ぎのためにも逃亡を実行する。彼女は強く言った。

 無論菜月はそれを止めた。
 失敗すれば、より重い罰を科せられるからと、全力で止めた。下手すれば生死に係わると何度も言ったのだがジェラールは笑った。逃げて失敗したらその時はその時。牢にでも閉じ込められるだろう。

 でもきっとまた会える。大丈夫。逃げたら逃げたで、こっそり菜月に会いに行くから。
 屈託なくセントエルフは笑っていた。嘘偽りない笑顔だったのに。
 
 初めての聖界人の友達が、死んでしまったなんて。

 事を教えてくれなかった聖保安部隊を責めればいいのか、それとも嘆けばいいのか、どうすればいいのか菜月には分からなかった。
 



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