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09-10



 

「螺月!」

 
 
 呼び声に螺月は足を止め、うつらうつら顔を上げる。無二の親友が駆け寄って来ていた。
 突然、走り出した自分の後を追い駆けて来てくれたのだろう。柚蘭と砂月の姿が見えないが、きっと二人は一緒にいると思う。心配はいらないだろう。螺月は他人事のように思考を巡らせていた。

 空色の髪を靡かせながら自分の前に立った朔月は、乱れた呼吸を整えながら、いきりなり走るなと文句を垂れてくる。
 心配したと早口で言ってくる朔月とは対照的に、螺月はゆっくりと言葉を紡いだ。


「菜月、ゲヘナ域に入っちまった。連れて行かれちまった。俺、なあんにもできなかった」
 

 自嘲する螺月に朔月は言葉を失う。連れて行かれたと繰り返す螺月は、ゲヘナ域がある方角を見つめる。
 立ち入り禁止区域を囲むコンクリート塀。むき出しのコンクリート塀は遙か向こうの青空に向かって伸びている。ご丁寧な事にてっぺんには鋭い柵と魔鉄線。脱獄できない造りになっていた。

 ぼんやりと向こうを見つめる螺月は言葉を重ねる。


「菜月さ。俺等の弟になりたいって。あいつ、俺等の弟になりたいって言ってくれた。認めてくれたんだ。…なのに、ちっとも嬉しくねぇ」

「螺月…」
 

「折角菜月が弟になりてぇ言ってくれてるのに、その弟を救えねぇ。喪っちまうかもしれねぇ。それが恐ぇ。“聖の洗浄”を受ける弟が仮に天使に生まれ変わったとしても、俺はちっとも嬉しくねぇ。俺の弟は異例子って呼ばれてる人間のガキなんだ。そいつだけなんだ」

 
 なんだよ。 

 何年も何年も小さな努力を重ねてやっと幸せを掴んでも、結局奪われるだけじゃねえか。何をしたって聖界は俺等の幸せを奪うじゃねぇかっ。
 あれほど聖界に尽くしていた母上が入院しても聖界は冷たくて、弟が帰って来ても聖界は冷たくて、だから手前でどうにかしようってしても馬鹿を見る。どうにかしようって奔走しても馬鹿を見るのは結局俺達なんだ。聖界じゃねぇ、一個人が馬鹿を見る。
 
 なあ、朔月。
 俺等のしてたことは無駄だったのか? 絶望を味わうために努力してたんじゃねえよ。俺等は人並みの幸せが欲しかったんだ。それだけだったんだ。
 

「聖界なんざクソくらえだ。四天守護家も鬼夜もクソくらえだ! もう信用しねぇ。期待も何もしねぇ」


 虚ろから一変。
 螺月は怒に満ちた表情を作る。持ち前のエメラルドグリーンが決意の光に満ちていた。朔月は懸念を抱く。今の親友ならば何を起こしてもおかしくない。そんな眼をしていた。「落ち着け」朔月は親友の両肩を掴み、軽く揺する。

「いいか、落ち着け螺月。ここで思い余った行為を取るともっと事態は悪くなる。お前には柚蘭さんや御母上さまがいる。お前の行動一つが二人の立場を危うくさせるかもしれない。まずは冷静になれ。菜月くんも…、お前にそう言う筈だ」

「朔月、俺は決めてンだ。一度は見捨てた弟の手を、今度はしっかりと繋いでおこうって。柚蘭も分かってるよ、俺の性格。俺のことをブラコンとか過保護とか言うくれぇだし、何より俺が長年抱いていた兄貴の夢を知っている。俺が何をしてもあいつは分かってくれる。それに母上には柚蘭がいる。大丈夫だ」
 
 俺は諦めねぇ。このまま終わって堪るかよ。普通の道が歩めねぇなら手前で作るだけだ。
 何が何でもこの状況、打破してやる。これで俺が諦めると思ったら大間違いだ。鬼夜のジジイ共。…朔月、心配してくれてありがとう。大丈夫、てめぇにだけはぜってぇ迷惑掛けねぇから。
 
 
 肩を叩き、螺月は脇をすり抜けて行く。その足取りは速かった。朔月は軽く目を伏せる。
 
 何年も何年も彼の傍で家庭環境や差別されていた現場や姉弟仲や、気苦労を沢山見てきたが自分は何もできなかった。差別される親友を助けてやることも、取り巻く環境を変えてやることもできなかった。
 二人で遊んでいても「俺といて楽しいか?」なんて気遣わせることもあったっけ。

 今もそう。親友に何もできない。
 ―…何もできない? それは逃げるための口実だ。自分は子供ではない。してやれることを探すことのできる大人じゃないか。

 「やれやれ」朔月は微苦笑を浮かべると、先を歩く螺月の背中を追い駆けた。
 後ろから螺月の首に勢いよく腕を回す。つんのめりになる螺月が何か言う前に、軽く額を小突いてやった。何度も額を小突いてやった。




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