01-10
しかし今の言葉は幾らなんでも聞き捨てならない。菜月は下唇を噛み締め、握り拳を作った。
お前等が自分の何を知っていると言うのだ。母親に捨てられるまでの自分の、何を知っていると言うのだ。
人並みならぬ努力をしたなんて知らないくせに。何も知らないくせに。
まさか、好き好んで“化け物”として生まれてきたとでも思っているのだろうか。
菜月は受けた痛みなど忘れ、床を蹴ると罵声を浴びせてきた青年に向かって体当たりを食らわせた。
どうにか踏み止まった青年が振り返った瞬間、菜月は胸倉を掴んで自分の方に引き寄せた。
「あんたが俺の何を知ってるんだ! 母親に捨てられた俺のっ、化け物として生まれてきてしまった俺の何を知ってるって言うんだ! 何も知らないくせにッ…、何も知らないくせに知ったような口振りでほざくな! 差別されたことも無いくせに!」
「お前のような者のことなど、誰も知ろうとも思わないな」
「ッハ、それがおエライ聖保安部隊のお言葉ですか? だったら名だけだよ! 聖保安部隊なんて!」
向こうの癪に障ったようだ。
素早く菜月の手を払い、綺麗に右頬を拳を入れた。殴り飛ばされた菜月は石炭焜炉(こんろ)にぶつかり、その場に崩れた。
衝撃で木苺ジャムの入った鍋が背に落ちてきた。
「ウァアッ!」
菜月は悲鳴に鳴らない悲鳴を上げた。
木苺ジャムはまだ粗熱がとれていなかったのだ。砂糖のせいで煮え滾っていたジャムが背に落ちてきた。
衣服を身に纏っていても火傷は免れない。純白のローブが木苺色に染まっていく。
菜月は苦痛のあまり身悶えた。
『こ、怖がり菜月っ』
影から小さな声で自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
大丈夫とカゲっぴに言ってやりたいが、言葉にならない灼熱が背を焼いている。
それでも向こうの腹の虫はおさまらないようだ。
よほど聖保安部隊の名を汚されたことが腹立たしかったらしい。鞘から刃先を抜いている。さすがにそれは不味いだろうと他の二人が止めに入るが、怒り心頭しているらしく菜月を睨むばかり。
痛みに小刻みに震えながらも、菜月は声を振り絞ってニヒルチックに笑ってやる。
「あんたは……俺の触れられたくない過去を……侮辱した。だから俺はあんたの、誇っている物を穢(けが)しただけ。お互い様だ」
「ッ、異例子」
「聖保安部隊は、そうやって気に食わない相手に対しては口で返すこともせずッ、暴力で相手を黙らせる集団なんだろ! 風花やネイリーさんの時だってそうだッ。あの二人にあんな怪我を負わせて、聖保安部隊の掲げる正義なんて口先ばかりの暴力にしか過ぎないんだ!」
お返しだとばかりに目いっぱい悪態をついてやった。
すると向こうの堪忍袋の緒が完全に切れたようでソードを振ってきた。
「馬鹿!」
「冷静を欠くな!」
向こうの仲間たちの止めの声が聞こえてくる。
飛んでくる斬撃に菜月は目を瞑り、新たな痛みを覚悟した。背に感じている火傷以上の痛みは覚悟の上だった。
しかし待てど暮らせど痛みは襲ってこない。恐る恐る目を開けてみると視界が薄暗い。
うつらうつら顔を上げれば、脚が切れている椅子を片手に仁王立ちしている天使の姿。菜月は瞠目する。
ギリリッと奥歯を噛み締め、自分を守ってくれているのは帰宅した兄だった。
「てめぇ等! 俺等の留守中に弟に何してくれてるんだ!」
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