015
「菜月。そろそろ二時になるぞ。部屋に戻って寝た方が…、って、寝てやがる」
その日、俺の本を漁りにベッドの上で読書していた菜月。
俺が机で書類作成というクソメンドクサイ作業をしている背後で、一心不乱に聖界の知識を読み漁っていた弟が眠りこけていた。あどけない表情で眠っている弟に俺は目で笑い、羽ペンをペン立てに刺すとインクの蓋を閉めて椅子を引いた。
ベッドに歩んで開きっぱなしになっている本を菜月の手から取ると、散らばっている本を回収して机上へ。毛布を掛けてやり、ランプの火を消すために一旦きびす返し、明かりを落とす。
眠りこけている弟にデコピンし、俺もベッドの中に入った。
菜月を自室まで連れて行くのも、俺が移動するのも面倒だったんだ。だからって叩き起こす気にもなれない。じゃあ一緒に寝ることにする。いいだろ、兄弟なんだしさ。
「天使の歳でいえば十代前半だよな。菜月って」
片肘を立てそこに頭を預ける俺は小さな寝息を立てている弟を見下ろし、ちっとも成人を迎えたようには思えないと苦笑を零す。
ガキ扱いするなって怒られるけどしゃーないよな。十代前半なんだから。実は菜月って人間でありながら、年齢は天使と同じ歳の取り方だったりするんじゃねえかな。成人にしてはガキだしな。新種族って謎いことが多いな。
「んーっ」意味を成さない声を出し、菜月が俺の方に擦り寄ってきた。「珍しいな」甘えてきてるのか? 多分、無意識だなこりゃ。
「愛情不足かもしれねぇな」
昔、何かの本で読んだことがある。無意識のうちに擦り寄ってくる行為は愛情不足なんだと。異例子は常に愛情不足なのかもしれねぇな。
俺は微苦笑して弟の腹を叩いてやると、そのまま枕に沈んだ。くしゃっと頭を撫で腕に閉じ込める。そしたらどうだ。ぬくもりを貪るように、体を密着させて俺のローブを握ってきやがった。……寂しいのかもな。
常に誰かに忌み嫌われ、ぬくもりに渇望している異例子。基本的に俺等以外に話し相手はいない。柚蘭や小鬼以外、友好的に会話する奴なんざいないんだ。
人間界でどういう暮らしだったか、詳細は分からないが今の菜月は寂しいに違いない。菜月の名前すら、まともに呼ぶ奴は少ないんだ。菜月は内心寂しくて仕方がないんだと思う。本人は何も言わないけどさ。
「菜月、兄さまも姉さまも傍にいる」
寂しいと泣きべそ掻いている異例子に、自分の家族には愛されているのだと伝わればいい。
「今度、柚蘭の部屋に放り込んでみっかな」
起きた時の大パニックを想像できてしまい、俺は人知れず笑みを零してしまう。
柚蘭は笑って済ますだろうけど、菜月は赤面して何でこんなことになっているのだと目を白黒させるだろうな。あいつは喜んで菜月と寝そうな性質だしな。俺なんて昔、ベッドに潜り込んできた柚蘭に悪戯されて度肝を抜いたことがある。あいつって実は悪戯っ子なんだよな。あまり見せなくなった一面だけど。
「異例子はひとりじゃねえからな。菜月」
俺も柚蘭も異例子だ。
口にして妙に息苦しい念に駆られたのは何故だろうか。異例子と呼ばれるだけで、自分が正常じゃないのか、異常なのか、そういう錯覚に陥ってしまう。菜月はいつもこんな気持ちを抱いているのかな。腕の力を強くして俺は下唇を噛み締めた。
大丈夫、異例子はひとりじゃない。
俺も姉貴も同じ運命を辿る被験者。菜月が化け物だって言われるなら、同じ母体から生まれた俺達も化け物なんだ。聖界は俺達にとって暮らしにくい世界だけど、三兄姉弟一緒ならなんとか乗り越えられる。きっと、そう、きっと。
「聖界の片隅で」幸せに暮らせたらいいな、いやしような、眠り人に言葉を掛けて俺は目を細める。
「いつまでも続けさせないと。この生活」
そのためなら俺は、なんだってするさ。なんだって。それこそ神様に喧嘩だって売っちまう勢いで。
「これ以上の贅沢なんて言わない」ただ明日もあさっても一年後も十年後もこの生活が続けばいい。
守りたい弟のぬくもりを感じたまま、俺は瞼を下ろすこともできず、いつまでも夢を心中で口ずさむ。
近未来で“北大聖堂事件”という聖界を揺るがす大事件が起きるなんて、その時の俺は知る由もない。
今は菜月のぬくもりを抱いて夢を見る。菜月が俺に言ってくれたように俺も菜月に言う。「てめぇもあったかいよ」と。
菜月は大事な俺の弟だ。
End
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