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008

 


「―――…もう散々だったの。部下が大失態犯してくれちゃって…、指導担当だった私が上司にこっ酷く怒られちゃった」 
  

 姉・柚蘭が帰宅したのは九時過ぎのこと。
 
 やや疲労の色を見せている柚蘭は、部下の大失態が有り得なさ過ぎると弟達に吐露しているところだった。不注意もいいところだと嘆いている柚蘭がここまで愚痴を零すのも珍しい。
 よっぽど部下の大失態に腹が立ったのだろう。内容を聞けば確かに柚蘭が愚痴りたくなるのも分かったが。

 「大変だったね」柚蘭が帰って来たところで、菜月はコロッケを油で揚げ始める。

 「ほんと。困ったわ」明日もその部下を指導すると思うときが滅入る。柚蘭は苦々しく溜息をついた。

 「そりゃねえよな」先に席に着いていた螺月は散々だったなと同情し、微苦笑を含みながらサラダに入っていた木の実をつまみ食い。
 
 夕飯の支度ができ、揃って食事を開始しても柚蘭の愚痴話は止まらず、螺月と菜月は専ら聞く担当になっていた。
 ようやく姉の気が治まったのか、夕食後はいつもの微笑を見せてくれた。すっきりした、そんな顔を作っている。そこへ菜月が気を利かせて、二人にお茶とクッキーを出した。食後のおやつらしい。


「ハーブ薬草使ったんだ。薬草だし、どうかなー? って思ったけど、ハーブはハーブだから味は良かったよ」


 これでも食べて疲れを癒して欲しい。菜月の心遣いだった。
 同居を始めて約二ヶ月、随分弟の性格も可愛らしくなったものだ。最初は捻くれのどうしようもない虚勢張るガキだったが…、あの頃と大違いだ。

 お茶を啜った柚蘭は本当に良い味だと口角を緩める。


「菜月がちゃんとお世話してるからね。美味しい。あ、そうだ。螺月、菜月、今日はどんな一日を過ごしていたの?」


 最近の日課は互いの一日を語り合うこと。
 
 基本的に聖界にはテレビなどの娯楽がないため、家族等と談笑する事が聖界の娯楽なのだ。積極的に談笑する傾向にある。当初、菜月はこの文化をあまり受け入れてくれなかったが、今では自ら会話に参加する事が多い。

 「俺は変わりなかったけど」螺月は不機嫌な顔を作り、聖保安部隊が勝手に弟を聖堂に連れて行ったと柚蘭に報告した。
 「まあ、またなの?」驚きの声音を上げる柚蘭は、末弟に大丈夫だったのかと身を案じる。


「うーん。普通に尋問だけだったし、別段何かされたわけでもないし、大丈夫だったかなぁ。俺自身、あんまり気分は良くなかったけど」

「もう郡是隊長は勝手なんだから。前もって報告するって約束だったのに」

「だから俺が勝手に連れ帰った。さっき、『なんで勝手に連れて帰ったんだ』って抗議しに来たけどな」
 

 不機嫌にハーブティーを啜る螺月に、「それは抗議されるわ」柚蘭は微苦笑を浮かべる。


「ちゃんと連れて帰ります、って書置きして連れて帰らないと」
 

 ずれたことを言う柚蘭に、「部下には言ったんだぞ」螺月は肩を竦める。菜月はそういう問題でもないんじゃ…と失笑していたが、二人はそういう問題なのだと声を揃えた。
 
 ガタ―、突然リビングキッチンの窓の一角から物音が聞こえた。
 風で窓ガラスが揺れたのだろうけれど、三人の間に緊張が走る。素早く窓の方を一瞥。誰もいないことに安堵の息を漏らす。
 博学の天使との一件以来、何かと警戒心を抱くようになった。奴がいつまた襲来するか予想もできないのだ。一抹の警戒心を常に抱いておかなければ、またあんな騒動が起きるかもしれない。
 
 「嫌ね」こういう空気になると気分が落ち込む。柚蘭は小さく吐息をついた。
 「だな」ド不機嫌になる螺月が荒々しくハーブクッキーを口に放り込む。

「菜月、昼間は一人になることが多いから気をつけろよ」

 螺月の注意に、「そっちこそ」菜月は言葉を返す。


「俺はさ、聖保安部隊から常に監視されてるからある意味、身の心配は要らないけど、二人は気を付けてね。俺と違って外に出れば監視の目がなくなるんだし」


 父は去り際、二人のことも調べる価値あるって言ってたし。
 身を案じてきてくる菜月は本当に変わったと思う。
 
 博学の天使を思い出すだけでも虫唾が走る。博学の天使のせいで自分達はばらばらになったのだから。
 だけど、博学の天使のおかげで末弟と心を通わすようになった。皮肉だ。あの一件がなかったら、自分達が此処まで急接近することもなかった。


(こんなにも早く仲が改善するとも思わなかったしな)


 螺月は自分達のために作ってくれたハーブクッキーを見つめ、そっと口に投げ込んだ。
 菜月が自分達に本当の心を見せてくれるようになったのは、博学の天使に会った翌日からのこと―――…。
 



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