010
「あーたしのこと好きだよね?」
執事を解雇され別の仕事場を受け持った菜月のところに、何の前触れもなく主人がやって来て言い放った第一声がこれだった。
突然現われた主人と向けられた言葉に菜月は動揺を隠し切れなかった。
どうにか動揺を抑えながら「勿論、好きですよ」と、返答すれば「恋愛感情での好きでしょー?」と言葉を重ねてくる。これには焦る他なく、菜月はしどろもどろになってしまった。
「な、な、何を仰っているのですか。お嬢様。俺には何のことか」
「ねえ。好きなんでしょー?」
射るような眼と逃げ道を塞ぐように同じ質問を繰り返され、菜月は周囲に人が居ないことを確かめた。
そして観念したようにそっと吐息をつくと「仮にそうだとしたら…」と言葉を濁す。
「どうなされますか? 執事のクセに抱いてはならぬ感情を抱いたことに嘲笑いますか。それとも旦那様にお話して屋敷から追い出しますか。俺としては前方を望みます。今、職を失くすのは痛手なので」
「ザーンネン。今の選択肢には、あーたしの望む選択肢はないよぉ」
では、自分に何を求めているというのだろうか。
自分の気持ちを完全に覚ってしまっている主人に対して出来ることなんて限られている。
焦燥感に苛む菜月は思わず主人を睨んでしまった。反抗的で失礼な眼だと罵られても仕方がない眼差しだったと思う。
しかし、主人は菜月の眼差しに口角をつり上げた。
「あーたしの意見、言ってもイイ?」
「俺が駄目と言っても、お嬢様は言うおつもりなのでしょう?」
「ピンポーン。あーたし、人の言うこと聞かない女だから。あーんたが聞きたくないって言っても、あたしの意見は聞いてもらうよぉ」
勝手なことを言う主人に苛立ちがピークに達する。
自分に何をして欲しいのだろうか。何を望んでいるのだろうか。何を求めているのだろうか。
全く主人の心が読めない為に、苛立ちが募りに募って爆ぜそうだ。
主人から視線を逸らし、悪口(あっこう)を待っていると次の瞬間、蝶ネクタイを掴まれた。驚いて視線を主人に戻す。主人は蝶ネクタイを引っ張り、菜月を引き寄せて真顔になった。
「誰の許可得て辞めてるの? マジ腹立つんだけど」
「…お嬢様?」
「あーんたは自分の立場を分かってない。あんたは親父の執事じゃない、あたしの執事。解雇をするしないを下すのは、あたしだってこと」
目と鼻の先まで顔を近付け、主人は話を続ける。
「あんたがあたしを好きになる。それは当然。だーってあんたはあたしの執事だから」
まるで自分が主人を好きになることは、必然的なのだとでもいうような言い草。
菜月は唖然として主人を見つめる。真顔を作る主人は凍てつくような眼をしていた。
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