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008



 
 仕事の出来の悪さに、こっ酷く叱られヘコんでいた時だろうか。
 

 慣れない仕事、慣れない環境、慣れない生活。

 慣れないことばかりで戸惑いを隠せず、しかも体力勝負ばかりで仕事が上手く出来ずに、ベテランの執事から毎日のようにこっ酷く叱られていた時期があった。

 上手く仕事が出来ない自分に非がある為、叱られても仕方がないと歯を食い縛って説教には耐えられるが、さすがに「辞めてしまえ」と毎日のように言われると菜月もヘコんでしまった。
 主人の前ではヘコむ姿を見せないようにしていても、ヒトリきりになると自分に落ち込んでは仕事を投げ出しそうになっていた。
 例え生活費や入院費のことがあっても、毎日のように叱られると執事の仕事を辞めてしまいたくなる。
 
  
 自分は執事という仕事に向いていないのかもしれない。
  
  
 そう落ち込んでいた時、主人が何の前触れもなく自分の部屋にやって来た。チェスセットを手に持って。
 
 
「あー……すみません。チェックメイトです」

「まったぁ? ちょーっと、イカサマしてるんじゃないのぉ?」
  
 
 脹れ面を作りながら、主人は「もう一回」と元の位置に駒を並べ始める。何度目のゲームだろうか。菜月は苦笑いを浮かべながら駒を手にとって元の位置に並べる。
 そして何度目か分からないゲームを始める。
 頬杖をついて駒を進めていく主人の目は真剣だ。負け続けて半分頭にキているんだろうなぁ、菜月はそう思いながら駒を進める。
 黙々とゲーム進めていると、主人が話し掛けてきた。


「あーたし。ムカツク奴とはチェスしないわけー」

「へ?」
 

 顔を上げて思わず主人を凝視する。
 主人は駒を進めて自分の番だと指摘する。
 菜月はボードに目を落とし、どの駒を進めようか考える。しかし菜月の脳裏を占めるのは主人の言葉だ。主人が言った言葉の意味、それは一体全体どういう意味だろうか。
 
 考えながら駒を進めると主人が唸り声を上げた。


 そんな主人の視線を向けていると、主人はまた口を開く。
 
 
「言わせたい奴には言わせとけばイイジャーン。別にあーたしは、今のあーんたで十分満足してるし?使えない執事は、あーたし三日足らずで切り捨ててきたし」
 
 
 思わぬ言葉に菜月は、今度こそ主人を凝視してしまう。
 主人はボードと睨めっこしながら訊ねてきた。

「あたしが今のあんたで満足してるって言ってるのに、あんたはまだヘコむのー?」
「…お嬢様」
「あたしの言葉と他の奴の言葉、あーんたはどっちを信じる?」
 
 言いようの無い驚きが襲って、言葉が詰まってしまう。 
 主人は閃いたとばかりに指を鳴らして駒を進めると口角をつり上げ、椅子から腰を浮かす。
 
 
「チェーックメイト」
 

 身を乗り出してきた主人が、前髪を掻き分けて唇を落としてきた。
 思考回路が完全に止まってしまう中、主人は満足気に笑い勝った事に対して喜んでいた。

 対照的に菜月は、額を押さえながら顔中を赤く染め、顔の火照りを感じていた。
 主人の優しさに触れ、ちょっとだけ泣きたくなった。

 



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