007
中に入るとテーブルの上におやつと飲み物を並べている螺月の姿。
気配で二人が戻って来たことが分かったのだろう。顔を上げてこちらを見て来る。だっこされている菜月を見た螺月は「あ!」と声を上げてきた。
「菜月テメッ、また柚蘭にだっこ強請りやがったな。このンところ毎日だっこ強請ってやがるだろ、テメェ」
「ま、毎日…じゃないですもん。昨日とー、その前とー、そのまた前とー、そのまたまた前とー」
「それを毎日っつーんだッ。分からないわけじゃないだろ、テメェ」
兄の機嫌が急降下している。菜月は察し「手を洗ってきます」と柚蘭に下ろしてもらうよう言った。
柚蘭は笑いながら床に菜月を下ろす。床に下ろしてもらった菜月は兄の鋭い視線から逃げるように、一目散に手洗い場に向かった。
「ったく」舌打ちをして螺月は頭を掻く。柚蘭は菜月をフォローするように口を開いた。
「親が恋しいのよ。菜月。母上も父上も、最近お仕事で帰り遅いから菜月に構ってあげられていないし。きっと誰かに甘えたいのよ」
「親父はともかく…母上、今日も遅くなるだろ?」
「今、修羅場みたいなの。今日も午前様になるんじゃないかしら。大目に見てあげてね」
菜月が戻って来る。
ローブで手を拭きながらやって来るものだから、螺月が「タオルで拭け」と注意。菜月は今度から気を付けると言い、早々と席に着いてしまう。調子のいい菜月に溜息をつき頭を叩く。
「にーさまが叩いたー!」菜月が頭を押さえて脹れる。
「にーさまのバカー! 叩かなくても良いじゃないですかー! バカバカバーカ!」
「ッ、兄貴に馬鹿っつってるのはこの口か?」
「いひゃひゃひゃ!」
頬を抓ると菜月が悲鳴を上げた。
「ごめんなさーい!」菜月が謝罪を口にすれば、螺月は手を放してやる。ほんのり赤くなった右頬を擦りながら菜月は唇を尖らせた。
「ねーさまにはしないくせにー。にーさまのバカ」
「菜月、聞こえてるぞ」
「っ!! なんでも、ないです!!」
また抓られては堪らないとばかりに両手を口に当て、椅子から飛び下りて柚蘭という名の避難所に逃げ込む末弟。
姉の元に逃げれば叩かれないで済むと学習している末弟は、本当に調子がいい。
本日何度目かの舌打ちをする螺月に対し、柚蘭が笑いながら席に着こうと仲裁に入る。
「テメェ。菜月に甘いんだよ」愚痴る螺月だが、自分だって末弟に甘いではないか。思えど口にはしなかった。口にすれば臍を曲げてしまうだろうから。
自分の後ろに隠れてしまっている末弟に席に座るよう催促する。まだ兄を気にしているのか、兄の顔色を窺いながら菜月はゆっくりと自分の席に座った。
しかしそれもテーブルの上に置いてあるマフィンを目にすれば、コロッと態度を変えてしまう。
挨拶と同時に一生懸命、菜月はマフィンに食らいついていた。
皿の上にカスをボロボロ落とす汚い食べ方に、螺月は溜息、柚蘭は可笑しそうに自分の分のマフィンを食べていた。末弟の様子を見ながら、今日の授業やクラスメートのことで2人は他愛もない話を飛び交わす。明日は祈祷があって嫌だの。あの授業の意味が分からないだの。
幼い菜月にとってまだ分からない話ばかり。
すっかり蚊帳の外にいた菜月は少し淋しくなりながら、マフィンを食べていた。ふと思い出したように菜月は訊ねる。
「あの、今日はとーさまとかーさま…早いんですか?」
「遅くなるみたいなの。だからイイ子で待っておきましょうね」
「でもー…俺、待ってたら寝ちゃってます。オフタリ、夜は遅いですし、朝は早いですし。最近お会いしてません。早く帰れないんですか? 早く帰れるよう頼もうかな」
「仕事だから仕方ねぇだろ。我が儘言うんじゃねえよ」
兄に軽く頭を叩かれ、ムッとした菜月は半分ほど食べたマフィンを皿に置くと椅子から下りる。
そして「にーさまのバーカ!」と思い切り舌を出した。カチンとくる螺月の怒りを菜月は更に煽る。
「にーさまの短気! 叩かなくても良いじゃないですか! イヤーンでワルーイオトナになっちゃいますよ! にーさま、とーさまにソックリなクセにー!」
嗚呼、それは螺月にとってタブーな単語。
焦る柚蘭に対し螺月は、イイ度胸だとばかりテーブルを叩いて椅子を倒すと菜月を睨む。
「テメェ聞いてればっ、さっきから我が儘バッカ言いやがって」
「俺っ、いっぱいいっぱい我慢してます! この前だって一緒いてくれるっ、言ったけど、お仕事でダメでしたし! でも我が儘言いませんでした! どれだけ我慢すれば俺のお願い叶うんですかー!」
「ああ?! 知るか! テメェが我が儘言わなくなったらじゃねえか?!」
「にーさまのバーカ! トンチンカーン!」
アッカンベーと舌を出し、台所から飛び出してしまう。
柚蘭が止めようとしたが「ほっとけ!」と螺月が怒声を上げた為に、呼び止めることが出来なかった。フンと鼻を鳴らし荒々しく椅子に座って腕を組む螺月と出て行った菜月に、柚蘭は深く溜息。
いつもの兄弟喧嘩だから心配することないだろうけれど、何でこうなったんだか。二度溜息が零れた。
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