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兄と呼ばれなくなって


 

「寝て、るよな」
 

 深夜。

 気配を殺して弟の部屋に忍び込んだ俺は、月と星明りだけを頼りにベッドに歩んで両膝を折る。
 小さな寝息を立てている弟の顔を覗き込んで、まずは周囲をぐるりと一瞥。べつに疚しいことをするわけじゃないが、なんとなく忍び込んだ罪悪はある。だからコソ泥のように周囲に警戒心を募らせちまうのはしごく当たり前の心情で。
 
 誰もいないことを確認すると、俺は弟の前に手を翳し、軽く振って寝ていることを再確認。微動だにせず寝息を立てている弟、とても深い眠りに就いているようだ。
 ホッと胸を撫で下ろすと俺は弟を見据えて、恐る恐る右の手を伸ばす。触れるか触れないかのところで弟が身じろいだ。硬直する俺はだらりと背に汗を流し始める。どうか覚醒しませんように、どうか覚醒しませんように、どうか覚醒しませんように、心中で繰り返す俺の願いは神様に届いたようで弟は起きることなく眠り続けている。

 脱力。
 驚かせるなよな、あくまで心の中で毒づいて俺は持ち上げたままの右手を弟の頭に乗せた。そしてゆっくり撫でてやる。わりと柔らかい髪糸、俺や柚蘭とは異なった髪の色を持っている。やっと叶った一つの行為に俺は目尻を下げ、弟の頭を撫で続ける。
 起きている内にやれば嫌悪されることが分かっているから(そして売り言葉に買い言葉を繰り返して喧嘩に発展するという)、眠っている内にこうして撫でる。どうしてもしてやりたかった弟への行為。今の俺にはこの行為すら弟に赦されちゃない。今の俺にはこの行為すら。
 「異例子か」何処が化け物で、何処が異例な子供なんだろうな、ただの人間なのに。俺を含めて周囲の奴等は何を勘違いしているんだろう。

「ごめん、ごめんな」
 
 勘違いしていた己の愚考を詫び、俺は相手の頭部に額を乗せる。
 絶縁していた弟と再会して四年目。その間、繰り返しくりかえし聖界に帰ってくるよう弟に求め、様々な諍いと衝突を乗り越えて、俺達の下に戻って来た。当時七つだった弟も月日を経ては既に二十歳。一応成人はしているらしい。
 けど天使と人間では年の取り方が異なっているから、俺の眼からしてみればまだまだ子供同然だ。
 
 十三年ぶりの同棲はトラブルの連続で、結論からいうと家庭内は上手くいっていない。
 
 それでも今は、人間界に根付いていた弟が聖界に戻ってきた。それだけ俺も柚蘭も幸せなんだと思う。相手には嫌われ毛虫なんだけどな。でも良いんだ、嫌われていても。嫌われるってのは気分良くねぇけど、俺は七年間、幼いこいつを死に至らしめるほどの酷な環境に放り込んだんだ。嫌われて当然なんだよ。
 母上に愛されていなかった末子に見せ付けるような愛情を貰って、食事も強制的に自室で食べさせて、聖堂(学校)にも通わせなくて。常日頃から自室に缶詰させていた弟をシカトや陰口、母上から暴力を振るわれていても知らん振り。

 挙句、“聖の洗浄”を受ける弟の死を普通に喜んでいた。
 
 儀式が不成立したらしたで母上に捨てられた弟を鼻で笑っていた。誰よりも傷付いている弟を指差していた嘲笑していたんだ。そんな兄貴が“兄貴”と呼ばれなくなるのも当然。ゆえに嫌われるのも当然。そうだろ? もし俺が弟の立ち位置に立たされたら、同じように嫌う。いや殺意さえ抱く。

 どれだけ自分のしていた行為が愚かだったか、そして残酷だったのか、嗚呼、思い出しただけでも自責の念で胸が締め付けられる―――…。
   



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