クリスマスイブというもの クリスマスプレゼントを貰い始めたのは、いくつだっただろうか。 たぶん母親と共に住んでいた頃から、物心付いた時から、プレゼントを貰っていたと思う。 物心付いた時から、“クリスマス”というのも“クリスマスイブ”というのも知っていた。 イブを本当は『イヴ』と表示するのも知っていたし、教会で賛美歌が歌われることも知っていた。 子供達がクリスマスプレゼントを貰うことが1番の楽しみだということも、本を読んでいた為、知っていた。 サンタクロースという白髭の優しいおじいさんが、トナカイにソリを引かせて世界中の子供達に、子供達の望んでいるプレゼントを運んでいることも知っていた。 幼い頃の自分は、夢の見ない現実派な子供だった為、サンタクロースは親だと思っていた。 家族の誰からかプレゼントを貰って喜ぶ行事、もしくは人間界の聖書に出てくる『イエス・キリスト』の降誕を祝う行事だと頭にインプットされていた。 そんな夢を抱いていない自分にも、毎年プレゼントが手渡しで贈られた。 勿論、母親からではない。 実の母親からは生まれてから1度も貰ったことはない。 いつだってプレゼントをくれたのは祖父だった。 贈られてくるプレゼントは自分の好きな本かと思いきや、人間界の玩具ばっかりだった。 子供らしくない自分の為に、クレヨンや塗り絵や折り紙や……普段、興味を持ちそうにない玩具を祖父は贈ってきてくれた。 クリスマスやクリスマスイブの日。 母が兄姉を連れて聖堂に行っている間、祖父は自分と残って、自分の贈ってくれた玩具の使い方を説明しては、一緒に遊んでくれた。 祖父に引き取られてからも、それは変わらず祖父は毎年のようにプレゼントを自分にくれた。 毎年まいとしプレゼントを2つ用意してくれる祖父は、無邪気な顔をして自分を喜ばせようと一生懸命プレゼントを選んで買って来てくれた。 自分は、そんな祖父が大好きだった。 幼い頃からクリスマス自体、好きではなかったけれど、毎年のようにプレゼントを買って来ては自分を喜ばせてくれようとする祖父が大好きだった為、クリスマスは悪くないと思っていた。 祖父はサンタクロースだと、心の底から思ったこともあった。 けれど、祖父が亡くなってから……極端にクリスマスがキライになってしまった。 クリスマスは自分の嫌いな天使や苦手な教会が、よく出てきて腸が煮えくり返る思いをした。 街中を歩いていると何処からか聴こえてくるクリスマスソングや賛美歌が憎たらしくて仕方がなかった。 毎年やって来るクリスマスが、とても憎たらしくて、思い出すのが切なくて、好きではなかった。 日本はクリスマスの行事を“恋人”と過ごすものだと、思われがちだ。 しかし、自分にはそう思えない。 家族でテーブルを囲んでプレゼントを貰う親子の姿をテレビや雑誌で見る度思う。 クリスマスは“家族”に繋がっている行事ごとだ、と。 [*前へ][次へ#] [戻る] |