Others
10
「オレを呼ぶな……今更、近づいて来るなよ」
どれだけ望んでも追いかけても、振り向きもしなかったくせに、離れようとした途端、手を伸ばして来るなんて酷すぎる。
ガキだったオレを、拒絶したのはアンタの方だ。
呼んでも応えなかったのは、アンタの方だろう。
それなのに、憎まれる事さえ拒むのか。アンタはオレに、何も寄越さないつもりなのか。
「アンタに、触られたくなんてない」
「……」
吐き捨てるように呟いた。
息を呑む音がして、檀の表情が強張る。
合わさっていた視線は逸らされ、檀は瞳を伏せた。
それを合図に、オレはここから立ち去るべく歩き出す。
「……っ?」
一歩踏み出したその時、強い力で肩を掴まれ、振り払う間も無く、ぐるりと視界が反転した。
唐突な事態に、頭が追い付かない。
何でオレは倒れている?何で兄貴に、組み敷かれているんだ?
背にはラグの感触。どう転がったのかは覚えていないが、大した衝撃は無かった。痛みも殆どない。
至近距離にある檀の瞳には、呆然としたオレの顔が映っている。
「あ、にき……?」
「杏」
低い声が、オレを呼ぶ。酒のにおいが鼻孔をくすぐった。
酒……?そういえば、机の上にブランデーグラスが置いてあった。
空だったから気にも留めていなかったが、普段戸棚の奥に仕舞い込まれている物が、外に出ているだけでも珍しい事だ。
檀は殆ど、酒を飲まないから。
酔って足が縺れたのだろうか。あまり酒は飲まないとはいえ、かなり強かった筈だが、久しぶりに飲んだのなら、そういう事もあるだろう。
押しのけようとする気持ちが萎え、代わりにため息が零れ落ちた。
病人ではないが、コンディションが正常でない人間に乱暴を働くのは憚られる。手を貸すから起き上がって、と声をかけようとした。
「檀、」
「杏……杏、杏」
「……檀?」
けれど言葉は途中で途切れた。まるで壊れた機械のように、オレの名を繰り返す檀を、訝しみ覗き込む。
そこにあったのは、暗闇。深淵のような底知れぬ瞳が、怖い程真っ直ぐにオレを見ていた。
「っ……」
ぞくり、と背筋を冷たい汗が伝う。檀の目には酔いの欠片も見当たらない。
常軌を逸した危うい光が、ギラついて見えた。
「何処にも行くな。オレの……杏」
「な……」
正気とは思えない発言に目を見開く。だが次の瞬間、それを遙かに上回る衝撃が、オレを襲った。
焦点を合わせられない程、間近に檀の顔が迫る。拒絶の言葉を吐こうにも、息ごと声を奪われた。
ひやり、と冷たい感触が唇を覆う。それが檀の唇だと、理解するのに、数秒を要した。
.
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!