Others
06
「杏ちゃんってさ、西藍人の本、読んだことある?」
「……」
帰り支度をしていると、前の席に座った佐藤が、そう切り出してきた。
嫌な顔を隠しもせず、オレはかぶりを振る。
無視せず答えたのは、空気の読めるコイツが、オレの嫌がる話を続けるのは珍しいと思ったからだ。
「やっぱり無いんだ」
やっぱり、という言葉に、オレは眉をひそめる。
「……何。お前まで、『あんな話をかける人間に、悪い人なんていない』とでも言い出す気?」
道明寺檀という男は、とてもモテる。
愛想なんて全くないし、そもそも家から出る事も少ないのにも関わらず、かなりモテる。
いや、絶対慎さんの方がモテると思うけど! そうじゃなく。
ファン曰く、あんなに切なく美しい話をかけるなんて、先生は素晴らしい人間に違いない、そうだ。
確かに檀は、正義感が強く、潔癖症で気難しいが、悪い人間ではない。
10才も離れたガキの面倒を、みてくれていたのだから。
でも2人いる弟を分け隔てる程度には、人間出来てないと思うんだ。
欠点なんて何一つ無いみたいに崇め奉る人の言葉を鵜呑みにして、兄の小説を読むなんて素直な行動、とてもじゃないがオレにはとれなかった。
寧ろ、読んだら負け的な気分になった。
「え、そうじゃないよ!」
睨み付けると、佐藤は慌てて顔の前で手を振った。
「じゃあ何」
息を吐き出して、態度を軟化させると、佐藤も肩の力を抜く。
言葉を選びあぐねるみたいに数秒沈黙してから、佐藤は、落ち着かないようすで首の辺りをかいた。
「えーとさ……その前に、何で杏ちゃんは、お兄さんの事嫌いなの?」
「あっちがオレを嫌っているから」
躊躇った末の言葉に、単純な答えを返す。
ああやっぱり、といいたけな目に、オレは苛つきを覚えた。
「たぶん……たぶんだけどね、お兄さんは、杏ちゃんの事嫌いじゃないよ」
「は?」
唖然とするオレに、佐藤は本を突き出す。
それは檀の……西藍人の処女作『境界線』だった。
「気が向いたら、読んでみなよ」
普段の緩さはどこへやら。真剣な顔で差し出す佐藤に、オレは思わずそれを受け取ってしまったのだった。
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