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…5-2



「うちの部署からは君達二人を推薦するつもりだ」


驚きなのか興奮なのか
後藤部長から告げられた言葉に、私の頭は容量をオーバーしたらしく


「……え?」


すぐに言葉を理解出来なかった。


海外事業部が人員を募集している――とのことだった。

今回、大規模な企画を中国で立ち上げるらしく、そこで大いに力を発揮できる人材を他部署からも探しているらしい。

各部署から、この人物なら…という人間を推挙し
後、集められた人間を面接、筆記試験等で振るいにかけ、一名だけ海外事業部に貰い受けたい、ということだった。

そして、企画部からは…私と乾に白羽の矢が立ったのだと、後藤部長は告げた。


「君達の実力なら海外事業部でも大いに活躍出来るはずだ。
――…期待しているよ」


ぽんと私と乾の肩に手を置くと、後藤部長は、その大きな巨体を揺らしミーティングルームを後にした。



思いも寄らない転機に、思考が追いつかない。


海外事業部――

字の如く、海外…今は主に中国での事業に重点を置いて活躍している部署だ。

企画部から海外事業部への異動
これは、いわゆる我社での出世コースの一つでもある。

しかし…なにより、ほぼ顧客が確定した日本よりも、新しい土地での新規開拓。
中国という国自体が大きく発展している中で、そこにどれだけ食いついていけるのか…
自分の力で一から試すことが出来る市場に、興味は尽きず…

言うなら、ずっと憧れていた部署でもあった。

そんな部署に異動することが出来るかもしれないチャンス

こんなまたとない機会に……けれど、別件のことが気掛かりで、心はざわつき不安に陰っていた。


龍馬さんが不在だなんて…
どういうこと…?


混乱した頭はずんと重く、支える為片手を額にやる。


「おや、キミの事だから手放しで喜んでいるのかと思えば…また随分浮かない顔をしていますね」


そうだ…コイツもいたんだっけ…

重い頭に、更に鬱陶しい声が掛かり、私の気持ちは更に沈んでいく。


「アンタには関係ないわ」

「坂本主任のことが、余程気になるように見える」

「…っ!」

「…フッ。ほら、図星だ」


相変わらずキミは分かりやすい。
目を細めて気味の悪い笑顔を満面に浮かべる乾に、肌が粟立つ。


…ダメだ。コイツの無駄話になんて付き合いたくない。
それに今は一刻も早く、龍馬さんの現在の様子を確認しなければ…


「悪いけど、無駄話に付き合ってる暇はないから」


さっさと踵を返し、ミーティングルームを後にしようとした時だった。


「――坂本主任なら、退職されましたよ」



背後から、信じられない言葉が投げられた。


「…は?」


……退職?
龍馬さんが――?


「どういうこと…っ!?」


思わず乾の胸倉を掴み、詰め寄る。

あまりに取り乱す私の様が愉快だったのか、乾はくっくっと喉を鳴らして笑った。


「おやまぁ、随分な剣幕ですね」

「乾…っ!」

「はいはい。そんなに恐い顔で睨まなくても、きちんと教えて差し上げますよ」


一つ肩を竦め意地悪く微笑んだまま、乾はゆっくりと口を開いた。


「…と言っても、そのままなのですが。
今朝早く、坂本主任が退職願いを後藤部長に提出した。ただ、それだけですよ」

「今朝?」

「えぇ、珍しく早く出社したと思ったら突然に」


そんな…馬鹿な…


「なぜ…」

「…さぁ。しかし、坂本主任は後藤部長をはじめ吉田常務にも随分気に入られていますから…上は退職を認めないでしょうがね」


全く、どんな気まぐれなのか知りませんが、羨ましい限りです。

微塵も感情のこもっていない言葉を乾は吐くが…


龍馬さんが、退職願いを…?


私は俄かには信じられない。

龍馬さんは、まだ本社に異動して数ヶ月しか経っていない。
なによりチームリーダーという仕事を途中で放り出すような人じゃない。


「…嘘よ」


突然、辞めるだなんて…
昨日は、そんな事一言も言っていなかった…


「申し訳ないですが…事実ですよ」


なにがそんなに愉しいのか…口の端をにっこりと持ち上げて乾は笑う。


「キミなら、何か理由を知っているのかと思いましたが…そうでもないんですね」

「……」


理由…

そうだ…あの龍馬さんのことだ。
なにか必ず理由があるはず…!


「先に失礼するわ…っ!」


弾かれたように私は踵を帰すと、ミーティングルームを後にした。

とにかく、今は龍馬さんに会って事実を確認しなければ…そして、理由を…!

あの人のことだから、きっとろくでもない理由に違いない!


「あの…っ馬鹿っ!」


理由があるのだろうけど…
でも…どうして、ひとこと言ってくれないのよ…!

胸の奥から言葉を吐き捨てて
私はひたすら廊下を走り抜けた。


**********



『――只今、電話に出ることが出来ません。発信音の後にお名前とご用件を…』


「どういうことよ…」


掛ける度に毎度聞くアナウンスに嫌気がさし、私は携帯を忌ま忌ましく見つめた。


あれから、何度となく龍馬さんの携帯に電話を掛けたが一向に繋がる気配はない。

やはり、一度龍馬さんの家まで行くしかないか。
終業まで待って…

けれど、龍馬さんの事が気になり、こうやってモヤモヤしている時間すらも煩わしい。

仕事に集中出来ないのなら、いっそ外回りに行く振りをして…

そんなこと考えながら、ふとスケジュールボードに目を向けた時だった。


…あれ?


今朝まで空白だったはずの慎ちゃんの予定欄に、『島津病院→直帰』の文字が…


なぜ、慎ちゃんが島津病院に?


主に慎ちゃんには、工事の下請け会社との調整役を任せている。

そして、私、龍馬さん武市さんが薩摩会とのパイプ役を担当しているのだが
私をすっ飛ばして直接慎ちゃんが島津病院に行くことなんて…まずほとんどない。

不思議に思い、私は隣のデスクで外回りの準備をしている慎ちゃんに声をかける。


「中岡くん、島津病院に行くだなんて…なにかあったの?」


慎ちゃんの様子を窺うように尋ねる。
すると、慎ちゃんは慌てて笑顔を浮かべ首を振った。


「いえ、ただの使いぱしりッスよ。武市主任から書類を担当者に渡すよう任されただけッスから」


なんだ…
書類を渡しに行くだけか


「そう…」


どうやら考え過ぎたようだ。


「…あっ、そうだ。坂本主任のことなんだけど…」


慎ちゃんは何か聞いていないだろうか。
私が、龍馬さんの名前を出した途端だった。


「すみません、姉さん。おれ急いでるんで」

「え?」

「失礼します」

「あ…っ、ちょっと…!!」


慎ちゃんは、突然立ち上がるとそそくさとフロアから出て行ってしまった。


あの態度は何だろ…


明らかに今朝の反応とは違う態度に、再び私の中で疑念が沸き上がる。

…そういえば

住人が立ち去ったデスクに私は目を向ける。

あの慎ちゃんが、社内で私のことを『姉さん』と呼ぶなんて、まずなかったことだ…


あれは…
何か動揺している…?


「…………」


私は、処理の途中だったデータを保存すると、急いでノートパソコンを閉じる。


「…楢崎さん?」

「すみません、今から外回りに行ってきます…!」


ちょうど近くに居た武市さんにそれだけ言付けると、
私は駆け足でフロアを後にした。





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