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…3-2


なんなの…これは…っ!


いきなり押し倒されたかと思うと、私の体は理事に組み敷かれていた。

反転した視界に、天井と目を細めて笑う理事の顔が映る。


「な、なにをなさるんですかっ!からかうのもいい加減にして下さい!!」


すぐそこにある理事の顔から逃れるように顔を逸らし、理事の体の下でもがくが、
男性に組み敷かれては女の力では抗えない。

必死に逃れようとする私は、いとも簡単に理事に動きを封じられる。


「からかう?」


私の言葉に理事は眉を上げて仰々しく聞き返した。


「…私は、至って本気だ。涼子」


ククッと喉を鳴らして理事は笑う。


本気って…そんなまさか…

大久保理事のように頭のキレる人が、そんな短慮なことをするだろうか


なにか考えがあってのはずだ…


混乱する頭の中を必死で落ち着かせて、思考を巡らせていると
そんな私の考えが伝わったのか、理事はわざと挑発するように…私を追い詰めるように、こちらを見下してきた。


「小娘は、まだ自分の価値がわかっていないようだな」


理事は、ふっと小馬鹿にするように息を吐く。


自分の価値…?

「…どういう意味ですか?」


――どくんと心臓が鳴った。


まるで、崖っぷちでジリジリと肉食獣に追い詰められているような…そんな錯覚に囚われ、体が硬直する。


「分からんのか?なら、教えてやろう」

「…小娘の企画なんぞ、所詮その程度のモノでしかないということだ。今回は、周りの助力もあってたまたま土方君の企画を上回ることが出来たが…次はどうなることやら」


「だから…」


言うと理事は、すぅっと私の唇を指でなぞった。

瞬間――悪寒が全身を駆け巡る


「私の女として納まればいい…。そうすれば、好きなだけ涼子に仕事を回してやろう」


どうだ?悪くない取引きだろう?


鼻先数センチの距離で、ニッと理事の口元が歪んだ。


とたんに、全身の血が頭に上る!
フツフツなんてものじゃない
瞬時にグラグラとはらわたが煮えくりかえる。


自分の体を売って仕事を取れと?
私の企画には、その程度の価値しかないと…


――キミにはハンディを乗り越えられる程の実力もない――


いつかの乾の声が頭の中をこだまする。


悔しい…っ!


これでも、同期連中に比べれば、仕事の成績も残したし周りからも高く評価されていた。
私は、会社から必要とされている人間なんだと自負も自信もあった。

…けれど、いつしか肥大化した矜持に仕事への情熱や真摯な心持ちは剥ぎ取られて、
気がつけば私には凝り固まったプライドしか残っていなかった…


これは事実だ…
目を背けたって、逃げ出したって現実は変わらない。


私は、ギュッと目を閉じると大きく息を吸う。


――ならば、私が変わればいいんだ。気がつくことが出来たのだから、ここからまた始めていけばいい…


私は、静かに目を開けると理事を見据えた。


「申し訳ありませんが、お断りします」


そのまま、両手で理事の胸元を押し戻す。


「…ほぉ。いいのか?」

「はい。…確かに、理事のおっしゃる通りです。
私には、大した実力なんてないのかもしれません。
しかも、自分の能力を過信し自分ただ一人が正しいと思い込み、周りの意見にも耳を貸そうともしませんでした」


今になってようやく分かった。

臨海開発の企画も、自分の意見が正しいと、クライアントの要望やチームの意見を無視し強引にまとめたこともあった。

…こんなリーダー…チームから外されて当然だ。


「自身のつまらないプライドで全てを失って、今ようやく自分の過ちに気づくなんて…私は愚か者です」

「けれど―」


私は、無表情に下ろされた視線をまっすぐに見返す。


「だからと言って、ここで腐る気なんて毛頭ありません」


はっきりと告げ、視線を向ける先―見開かれた理事の色素の薄い瞳にふと人の顔が映る。

最初に浮かんだ顔は龍馬さんだった。

龍馬さんは、再コンペの際、龍馬さんの企画をベースに私が手を加えることを快く承諾してくれた。

次に、武市さん―

私の企画書の穴を適切に見抜き、解決策を幾つも提示してくれた。

慎ちゃんは…資料の整理や膨大な量のデータ処理を一手に引き受けてくれた。

以蔵くんは、修正する度に変わる設計図を文句一つ言わず迅速に書き換えてくれた。

…私一人の力では、こんな短期間に企画をまとめることすら不可能だ。
みんなの力があってこそ、乗り越えることが出来た――


「確かに、今の私の実力では理事の期待に100%応えることが出来ないかもしれません。しかし、私一人の力で不足であるなら…チームの力を総集すればいいだけのこと。必ず…理事に満足して頂けるよう精一杯努めさせていただきます!」


そこまで言い切って、見上げた理事の姿に異変を察し私は口を閉じた。


…理事は頭を深く垂れ小さく肩を震わせている。

機嫌を損ねたか…


次に飛んでくるだろう怒声を覚悟していると
しかし、耳にしたのは全く別の…笑い声だった。


「はっはっはっはっ…!なるほど…ここまであの小娘が変わるとは…!」


理事は文字通りお腹を抱えて笑っている。

…こんなに笑う理事の姿なんて初めて見た。

しばらく呆気に取られていたが、
身を起こした理事の体から急いで脱すると、やや距離を取って私は非難の目を向けた。


「…やはりからかわれていたのですね」

「からかってなどおらん。試しただけだ」


からからと笑う理事を尻目に私はため息を吐く。


「試すなんてなにを…」

「ふん。小娘の成長…とでも言っておいてやろう」


成長?
思いがけない言葉に、私はまじまじと不躾な視線を向けてしまった。
けれど、理事は気にした風もなく悠然と笑っているだけ…

理事が私なんかのことを気にかけて下さったのか?
…なんだか胡散臭い気もするけれど、言葉通りの意味ならば有り難い。


「私に気にかけて貰えただけでも、有り難く思うんだな」


こちらの思考を見抜いたのか、いつもの調子で好き放題言っている理事に…思わず笑みが漏れる。


「はい…。ありがとうございます」


小さく頭を下げた私に、理事はなにか面食らったようにこちらを見つめてきた。


「なにか?」

「…いや、惜しいことをした」

「え?」

「そんな顔で笑えるのなら、押し倒した時に無理やりにでも手籠めにしておけば良かった」

「なっ!?」

「冗談だ」


再び意地の悪い笑みを浮かべる大久保理事
こちらの反応を楽しんでいるだけとしか思えない発言には疲れるけれど…
それでも遠回しな理事の優しさに私は胸が温かくなるのを感じた。





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