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…2-7



パァア―ン!!


夕刻――

自宅への帰路についたサラリーマンやOLでごった返す歩道に
乾いた音が響き渡った。

幾人かの通行人が足を止めてこちらに視線を向けているが
お構いなしに、じんと痛む右手を握り締めて、目の前の男を睨みつける。

男は、打たれたことなど気にも止めず、薄く笑った。

――これで、いい。と……


「…これで満足なの…っ!!」


私は、胸の奥から溢れる激情のまま、言葉を吐き出した。

男は変わらず薄い笑みを貼り付けて、こちらを見下している。


先刻、男はとんだ暴言を吐いた。

―お前とは、ただの遊びだったんだよ―
と…

しかし、そもそもこの男と肉体関係を持った覚えなんてない。

では、どうして、この場所でこんな虚言を言っているのか…

答えは、簡単だ…

私を守る為だ――


頭では、男の意図もそれに従う他、会社で生き残る術がないことも理解している。

けれど…
感情がそれに追いついていかなかった。

男の意図に従うことは、すなわち…この胸に芽生えた感情を切り捨てなければならないということだから――

その選択を私にしろと貴方は言うのか…


ツンと胸が痛み、不意に視界がぼやける。

その先に佇む男の顔が一瞬陰ったように見えた。


「…すまない」


小さく呻くような男の言葉に、私の胸はぎゅっと押し潰される。


…そんな顔で謝らないでよ…
貴方の所為ではないのに…


はらりと落ちた雫をそのままに、私は踵を返すと勢いのまま駆け出した。


痛い痛い痛い…

手が胸が心が…




あの時の選択を悔やむことなんて出来ないけど…それでも時々思うことがある。

突き放す男に、逃げずに素直に気持ちをぶつけていたら…

どんな未来が待っていたのだろうと。


そんなことを考えたって仕様がないことなのに
どうして、今更こんなことを考えているのだろうか…


……P…PP…PPPP


土方への感情は、もう遠い過去のものだ


…PPPPPPPP


では…なぜ?


PPPPPPPPPP




「…うるさい」


耳元でけたたましく鳴る目覚まし時計を、私は勢いよく叩きつけた。

途端にピタリと鳴り止み、朝の静寂が辺りに広がる。


「…もう、朝か」


6時にセットされた目覚まし時計を確認し、体を起こすと一度大きく伸びをする。

すぅと、鼻から朝の冷えた空気が抜けて、頭がはっきりと覚醒されていく。

…そういえば、目覚める前になにか夢を見ていたような気がするが…綺麗に忘れてしまった。

…まぁ、いいか。ただの夢だ…

それより、今日は朝からコンペに向けての会議があるから、それまでに資料をまとめないと…


そんなことを考えながら、私はベッドから下りようと足を出す。

そのまま、身を乗り出すと…
ぐにゃりとしたものを踏んづけた。


――えっ!?


バランスを崩した私は、ベッドから転がり落ちる。


「ぅわっ!!」

「ぐぉっ!!?」


ぐぉっ…?

ぼすんと、なにか温かいモノの上に乗っかったようで
私は慌てて下に敷いているモノを確認すると…


「あたたた…。なかなか激しい起こし方じゃのぅ」


見知った顔が、鼻先1センチ程の…距離…に……っ!?


「なっ!!?え?ど…っ!?」


私は、跳ねるように飛び退く。
全ての状況が理解出来ずに、頭がフリーズする。

ど…どうして、坂本主任が部屋に…!?


「その顔は…昨日のことはなんも覚えちょらんみたいじゃな」


頭を掻きながら、坂本主任は身を起こす。


「昨日のこと…?」


昨日は………

そうだ…!
仕事終わりにチームのメンバーで飲みに行ったのだ。

そこで、ウーロンハイを飲んでしまって…
そこから先の記憶がないということは、そこで酔いつぶれてしまったのだろう。

坂本主任がここに居るということは、酔いつぶれた私を運んでくれたのか…


「…今、思い出しました。坂本主任に、ご迷惑をおかけしたようですね…申し訳ありません」


社会人にもなって、酔いつぶれて他人の世話になるなんて…
不可抗力だったとはいえ、情けない。

頭を下げると、
坂本主任は、なんの気にするなと首を振ってくれる。


「涼子さんの世話なら、喜んでするきに」

「…はぁ」


…どういう意味だ?

訳が分からず、曖昧に返事をすると、
ふと坂本主任は、なにかを考えるように眉を寄せた。


「…ところで、昨日のことを思い出したと言うちょったが…昨夜のことは全部覚えちょるんかいのぅ?」

「昨夜のことですか?」

「おう。涼子さんが倒れる前のこととか…」


随分、歯切れの悪い物言いをする坂本主任に首を傾げながら、
私は昨夜の記憶を辿る。


倒れる前は…
確か…中岡くんのことをプライベートでは慎ちゃんと呼ぶことになったんだっけ…

その辺りまではかろうじて覚えているけれど…
ウーロンハイだったと謝罪する店員の言葉だけは覚えているが、あとは記憶に霞みがかかったようで思い出せない。

頭をひねって、必死に思い出そうとすると、一つの単語が脳裏に浮かんだ。


「…あまり思い出せないのですが…一つだけ覚えていることが」

「…うむ」

「武市さんが…ひかれるとか、おっしゃっていたのは覚えてます」

「…ほうか」

「…私たちは交通事故の話しをしていたのでしょうか」

「――は?」


坂本主任は、私の言葉に大きく口を開いた。

あれ?違うのか?


「いえ…ひかれるって、車かなにかにひかれたとか…そんな話しかと。違うのですか?」

「…………」


坂本主任は口を開いたまま、硬直している。


「あの…坂本主任?」


シンと静まり返った空気にもどかしさを覚え声をかけると
坂本主任の肩が勢いよく跳ねた。


「…アッハハハハハハハハハハ!!!」


坂本主任は、突然腹を抱えて笑い出す。


「な、なんですか!?突然」

「ハハハハッ!く、車にひかれたって…!そないに、真面目な顔で…!」

「それがどうしたんですか!なにか可笑しなことでも?」

「お、可笑しなことはない!ないんじゃが…っ!……〜くっ!アッハハハハッ!…いかん!は、腹がよじれる〜っ!」

「…………」


…なんなんだ。この人は…

床上でのた打ち回る坂本主任に、訳が分からず苛立ちを覚える。

遠慮なく無言で睨みつけると、
こちらの視線を察したのか、坂本主任は肩で息を整えながら私の肩にポンと手を置いた。


「いやぁ〜、前から涼子さんのことは面白い女子だと思うちょったが…こんなに面白いとは…」

「こがな面白い女子は、初めてじゃ!ワシは益々涼子さんのことを気に入ったぜよ!」


恥ずかしい気もなく、満面の笑顔で坂本主任は言い放つ。


「…別に坂本主任に気に入ってもらわなくても結構です」


向けられた視線に、どうすればいいのか分からず、
肩に置かれた手を払いのけながら、私は言葉を絞りだす。

すると、坂本主任の目の奥が光ったような気がした。


「涼子さんは…そんなにワシのことが嫌いなんか…」


坂本主任はシュンと頭を垂れる。


「え?…あ、いえ…その…」

「昨夜も、中岡たちのことを"慎ちゃん"や"武市さん"と愛称で呼んじゅうのに…ワシのことは"坂本主任"としか呼んでくれんし…」

「それは…」

「ええんじゃ。ワシはどうせ嫌われ者じゃきん…」


哀愁を漂わせた背中を丸め、小さく縮こまって坂本主任はこちらを見つめる。


演技だということは分かっているけど…
……やめて。そんな目で私を見つめるのは…!


「わ、分かりました!今の言葉は訂正します!……坂本…さんっ」

「名字かいのぅ…」


…くっ…!この男は…!


「……〜っ!
龍馬…さん…っ」


恩義もある手前、精一杯譲歩して名前を呼ぶが…
それだけで、なぜか頬が熱を持つ。

な、なんなのよ!これは…っ!!

火照った頬を隠すように顔を背けると
なぜか困惑した…龍馬さんの声が頭上から降ってきた。


「…いかん。ワシも照れてしもうた」


――は?

その声に思わず顔を上げると
私以上に頬を上気させている龍馬さんが…


「自分から言わせておいて…どうして」

「それは…」


言いかけて、龍馬さんの言葉が不意に止まる。


「理由が…知りたいんか?」


突然、龍馬さんは真剣な表情で真っ直ぐにこちらを見据えてきた。

視線に捕らわれ
ドクンと、心臓が大きく脈打つ。




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