DOLLシリーズ
研究所
薄暗い部屋に散らかし放題の資料と本。
機械を弄るため器具やどこからか手に入れてきたたくさんのパーツが木箱に無造作に突っ込んである。
この場所にあるどれもが、彼らの夢を描く道具。
小さい頃に憧れた「秘密基地」みたいで、オレは久しぶりに燥いでいた。
それは、研究の長丁場を少し抜け出して、学食でおやつ代わりに菓子パンを食べている時だった。
おやつはいらないと言ったイチハラさんが居ないから、一人で小型端末の情報を見ながらメロンパンを頬張っていると、背の高い痩身の男性が控え目な笑顔で、少し躊躇いながら声をかけてきた。
「あのぅ…」
「……………」
「あ、あの、」
「………へ? あ、お、オレ ですか?」
慌てて立ち上がると、相手も慌てて「あっ、いきなりすみません」と謝る。
「あの、ミハシ君…ですよね?」
「は い、そ、そう ですけど…」
オレの肯定に安心したのか、途端に笑顔に明るさが増した。
「あ〜、やっぱり!良かったぁ、間違ってなくて。
あ、失礼、オレ、ニシヒロって言います。
君とは違う研究室で助手をやっているんだ」
「は、はい…?」
話しかけてくる意図が読めない。
それでなくとも人見知りの激しいオレは、既に逃げ出したい心境だ。
「入学式で見掛けた時に、もしかしたらって思ってたんだけど、その後なかなか君を見つけられなくてね。
一日の殆どを研究室で過ごしてるって他の学生に聞いて、熱心だなって感心していたんだ」
「は、はあ…」
「カレッジ時代から、キャリアでも君は有名だったんだよ。
12…、いや13?14だっけ?
とにかく最年少の大学生が入ってきたって。
あ、そうそう!君のカレッジでの卒論、読みましたよ!
あれは、なかなか興味深かったなぁ。
確か、『人間社会に於けるドールの―」
「あ、あのっ」
もうダメだ、限界だ。
アベ君ならきっと怒るだろうけれど、親交のきっかけを作る会話テクについていくなんて、相槌さえまともにできないオレには到底ムリだ。
「お、オレ、そろそろ…研究 戻るん、で」
オレは急いで小型端末を片付け、残りのメロンパンを口に無理矢理押し込み後退る。
「ふぉれふぁ ひ、ひふれー ひあふ」
「え? あ、待ってくれ、ミハシ君?!」
そんなこと言われて待つはずもなく、オレは躓きそうになりながらも研究室へと急ぐ。
しかし、それでも彼は諦めることなくオレを追い掛けて来た。
「待ってよ、ミハシ君っ」
「ひっ―、ん…んぐ。
あ、いっ、急いでるんで…」
「で、でも話が―」
ムリです、オレに世間話なんてできません。
その言葉すら言えずに、早歩きで通路に出る。
「あのっ、サカエグチ博士の事なんだけどっ」
え………?
オレは、予想外の彼の一言に足を固めてしまった。
「あの、サカエグチ博士は君のお父さん…ですよね?」
「ど…して……」
母さんのことは今までいろんな人から話を聞いたことがあったが、父さんについてはアベ君以外からはほとんど聞いたことが無かったから。
彼が父さんの名を口にした事に、オレは激しい動揺を覚える。
「サカエグチ博士には、学生の頃に何度かお世話になったことがあるんだ。
彼はとても優しい学者で、オレ達にも丁寧に分かりやすく話をしてくれましたよ」
「…と、あ…、父は、その レクチャーを、受け持っていたんです か?」
「臨時講師だったけど、たまにハイスクールでお会いしていろいろ教えていただいたんだ」
アベ君からも聞いたことのない、先生をしていた父さんの話。
先生の顔をした父さんは、どんな風だったのだろう。
先程まで本気で逃げようとしていた事も忘れて、オレはニシヒロ助手に向き合った。
「あ、それで…、あの、」
「え?あぁ、オレの用件だよね。
実は、そんな博士の息子さんに是非お願いしたいことがあって」
「お、オレに ですか…?」
不安げに尋ねるオレに、ニシヒロ助手は優しく笑ってくれる。
「忙しい君には本当に申し訳ないんだけれど、オレだけじゃどうにもなんなくて。
ボランティアになっちゃうけれど、君への報酬はお父さんの昔話ってことで…。
ダメかな?」
最後は手を合わせて、困ったような笑みを浮べた。
翌日の昼過ぎ、ニシヒロ助手に言われた場所にオレはトライクで向かった。
いつも研究室に入り浸りだったから、イチハラさんにはかなり驚かれてしまったけれど、理由を話したら、「お前には良いことかもな」とオレの頭を軽く叩いて笑っていた。
どういう意味かは分からなかったけれど、オレ自身は楽しみ半分怖さ半分でいたから、きっと見送る彼にうまく笑えなかったと思う。
(オレ、ちゃんとやれる かな……)
もうすぐ目的地という所まで来ているのに、オレは不安に押しつぶされそうだ。
今も、ステアリングを握る手が異常に冷たい。
アベ君なら、こんな時オレになんて言ってくれるだろう。
きっと、「誰も取って食いやしねぇよ」とか「いつまで子供やってんだ」とか言って叱ってくれるんだろうな。
アベ君に最後に会ったのは、この間の春休み。
今度会うのは、きっとオレの誕生日。
自分で決めたことなのに、弱った時には必ず彼を思い出してしまう。
いつもオレにくれた優しさや温もりは鮮明に覚えているのに、手を伸ばしてすぐに触れられる場所には居ない。
その現実は受け入れなくてはいけないのに、胸の痛みに耐えることに必死になることの繰り返しで。
オレは、あの日から何も変わっていないのじゃないのかと悩んでしまう。
そして、それが焦燥感へと変わってまた研究へと駆り立てられる。
早く、早く答えを見つけたい。
後30年もないんだ。
もしかしたら、明日終わるかもしれないんだ。
そう思いながら、研究室に篭ってしまう。
「だから、気分転換しろってこと、かな……」
イチハラさんも、アベ君のようにオレを心配してくれているのだろうか。
アベ君ともシュウちゃんとも違う優しさと温かさを持った人。
彼と居る時は、胸の痛みがほんの少し和らぐ気がした。
やがて、目的の建物が見えてくる。
白く横に長いそのビルディングは同じく白い外壁とポプリの木に囲われ、広いグラウンドももち合わせていた。
正門も大きく構えられていて、車道と歩道がきちんと分けられている。
パブリックスクールだからもっと質素なイメージを持っていたけれど、設備は行き届いていてオレは感心しきりだった。
パーキングに向かうと、その前でニシヒロ助手が待ってくれていた。
オレを見つけてホッとしたような笑顔を浮かべ、大きく手を振る。
「良かったぁ、あまり気乗りした感じじゃなかったから、もしかしたら来てくれないんじゃないのかと心配していたんだ」
「あ、いえ…、約束、しました から……」
「あ、道に迷わなかったかい?」
「は、はい。
すぐ、分かりました」
やっぱり、昨日のオレはかなり引いていたんだと今更反省する。
父さんの話につい釣られてしまったけれど、彼の依頼はあまりにも突飛の無いものでオレは即座に断った。
けれど、父さんもやっていたんだって聞いたら止められない興味も湧いてきて、結局は曖昧にとはいえ承諾したのだ。
「さぁ、こっちだよ。
アイツら、すごく楽しみにして君を待ってるんだよ」
その言葉に本当に卒倒しかけるオレを、ニシヒロ助手は慌てて背中を支えてくれた。
「だ、大丈夫かい?!」
「……う、あ、あの、オレ はそんなっ、大したもの では―」
「あ〜、そんな気負わなくていいから。
彼らは世話を焼いてくれる先生が増えて喜んでるだけだから」
「せ、せせせ先生?!」
「いや、ものの喩えだから…」
ニシヒロ助手はいろいろとフォローをしてくれようとするが、そのどれもがオレにはプレッシャーにしかならなくて。
ニシヒロ助手の顔は段々不安な色に染まっていった。
「ここだよ」
「……」
校舎の本館とは離れた場所にある、こじんまりとした建物の前でニシヒロ助手は言った。
オレは、緊張で声も出ない。
この中で待っている人たちは、どんなことを思いながらオレを待っているのだろう。
それを考えると、ニシヒロ助手の隙を見て逃走してみたくなる。
そんなオレにお構いなしに、ニシヒロ助手はノックもせずに扉を開いた。
「待たせたね、今日は素晴らしい先生をお連れしたよ」
「に、ニシヒロさんっ、おおおおオレは先生じゃ―」
「うわっ、本当だ!!
オレらと変わんねぇじゃん!」
「うぉっっ!」
ニシヒロ助手がオレの腕を引っ張って部屋に入れようとした途端、急に少年がオレのすぐ間近まで寄ってきたから、オレは思わず仰け反りそうになった。
「へぇ、この人なんだ。
人って見かけによらないんだな」
「…こら、ハナイ、部長の君がそんなことを言うんじゃない」
部屋の奥から、背の高い少年は胡散臭げにオレを見る。
その視線だけで、オレは居た堪れなくなって身体を縮込ませてしまう。
「え〜!なんだよハナイ!
この人、いーヒトっぽいじゃん!
なぁ、オレタジマってんだ。
あんたは?」
「あ……、お、おおおおオレ、はっ」
どうしてこんなに息苦しいんだろう。
初対面の人に、しかも複数の人に一度に会うといつもこんな感じだ。
オレの周りだけ、酸素濃度が薄い気がする。
「タジマ、あんま怯えさせんなよ。
ちょっと離れて」
そう言って、涼しげな眼をしたまた別の少年がオレからタジマ君を引き剥がしてくれた。
「すみません。
初めまして、オレ、スヤマっていいます」
「あ、…ど も、み、ミハシ です」
ようやく挨拶ができて、オレは訳の分からない感動に似たものが込み上げてきたような気がした。
「そだ、アイツも呼んでこよ」
「あぁ、今日も来てんだっけ。
初めまして、オキです、よろしくお願いします」
おっとりした少年がまた一人やってきてオレに丁寧に頭を下げてくれるから、オレも急いで頭を下げる。
その横を、疾風のごとくタジマ君は扉の外へと駆け出して行った。
「あ、あの、一体 何人―」
これ以上増えたら、俺は本当に耐えられないかもしれない。
そんな危機感から、ニシヒロ助手にそっと尋ねる。
「あ、あぁ、全部で4人だよ」
「え?で、でも、さっきの彼…もう一人って……?」
「あれは―」
「お待たせ〜!!ミハシ、コイツ見て!」
「ふぇ?……あ」
オレは本当に驚いた。
こんな場所でドールに出会えるなんて思っていなかったから。
タジマ君が連れてきたのは、茶色い柔らかそうな髪をした少し垂れ目の少年のドール。
ちゃんと見ないと分からないけれど、少し型が古いような気がした。
「オレの兄弟型なんだ!
フミキ、ちゃんと挨拶しろよ」
そう言われたドールは、それまでオレを物珍しげに見ていたけれど、人懐こい笑顔でオレに手を差し伸べてくれた。
「初めまして、フミキっていいます。
もしかして、ドールクリエイター?」
「え?いえ、ち、違いますっ。
まだ、学生 で……」
オレは、ドールにすら緊張したまま握手をする。
その手はとても温かくて、またアベ君を思い出してしまった。
「この人、ミハシってんだ。
これから、オレ達の部活に付き合ってくれんだよな!」
「タジマ、呼び捨てはないだろ。
せめて先輩と―」
「あっ、いい、んです!」
窘めるニシヒロ助手を、オレは慌てて制した。
彼らは普通に進級している学生だから、歳は自分とほとんど変わらない。
それなら、オレは友達のように接してくれた方が嬉しい。
先生とか先輩とか呼んでもらえる器でも到底無いから。
「毎週、土曜 くらいしか、来れない けど……、よろしく お願いします」
オレは改めて彼らに頭を下げる。
いつの間にか、逃げ出す気は全然無くなっていて。
それどころか、友達ができるならなんて甘いことを考えている。
タジマ君とフミキ君を見ていて、彼らと仲良くしてみたいと強く思ったのだ。
その理由は分からないけれど、アベ君やイチハラさんならきっと喜んでくれるはずだ。
頭を上げたオレに、彼らはひとまず歓迎の拍手をくれた。
それからのオレは、土曜日がいつの間にか楽しみになっていって。
同じ年頃の彼らはオレに気さくに接してくれたし、何よりタジマ君の太陽のような輝きにオレは酷く憧れた。
オレがあんな風だったら、アベ君はオレを好きになってくれただろうか。
家族としてだけでなく、一人の人間として。
そんなバカなことを思ったこともあったけれど。
オレはせめてオレらしく生きていたい。
自分らしいってどういうことかまだ良く分からないけれど、君が好きだと言ってくれるオレでありたいって今なら思える。
ねぇ、アベ君。
今のオレは「君の好きな」オレになっていますか―。
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