アベミハ大学生シリーズ
4P
今朝は、人生最悪の目覚めだった。
いつかやってしまうような気はしていたが、現実になると自分を軽蔑したくなる。
起きて早々、後処理に追われていることに吐き気さえ覚えた。
挙げ句には、講義室で遭遇した相棒に開口一番、「げっ、なんで今日はそんな怖ェんだよ?!」と避けられる。
「………うるせぇ」
「えっ、ちょっとお前マジでどうしたんだよ?」
「だから、ウザい…」
答えられる訳がない。
男を、三橋を抱く夢を見ただなんて。
「あ〜…、もしかして昨日のメールが原因?」
「ほっとけ…」
オレは着席するや机に突っ伏した。
周りのざわめきが不快で目を閉じてみたが、自分の世界に入ってしまうと今朝の夢がちらつく。
三橋の肌の色とか感触とか温度とか中途半端に知っている分、夢がやけにリアルだった。
夢の中の三橋は抵抗していた。
けれど、それは本気には思えないほど弱々しくて、潤んだ目はまるでオレを誘っているようにも見えて―。
今、思い出すだけでも全身が熱くなる。
昨日、アパートに来ようとした三橋を止めて本当に良かったと思う。
今や、オレは本能だけで生きるケモノと大差ない。
きっと、指一本触れただけで欲望の堰は決壊するだろう。
しかし、この状況は早急に打破しなくてはいけない。
三橋と普通に会うことができなければ、その先の結果は目に見えている。
とりあえず、しばらくはアパートに泊めてやれない。
だいたい、その理由さえどうやって説明すればいいのか分からないが。
何にしても無理だ。
昼間は互いの生活がある。
休みの日に外で会えば、さすがのオレも平静でいられるか。
否、もしかしたら煩悩に負けて人気の無い処へと誘ったり、最悪「やっぱ、アパートに来る?」とか言い出し兼ねない。
それくらい、オレは今の自分をコントロールし兼ねている。
「分かった〜!
お前昨日のメールで、欲求不満になってんだ!」
まるでクイズの正解を思い付いたかのように明るく言う相棒の脛を、オレは思い切り蹴ってやった。
声にならないくらい痛いらしいが、静かになってちょうど良かった。
オレは投手を大事にする方だが、コイツに限っては何故かそんな気がちっとも起こらない。
嫌いだとかそんなのではなくて、投手独特の壊れモノっぽさを微塵も感じられないからだろう。
そんなことは、ヤツも気にしてはいないが。
顔にまで出てたのかと、相棒の心無い一言で更に落ち込む。
こんなじゃ、本当に三橋に会えない。
会いたくて、会いたくて仕方ないくせに。
三橋。
オレはどうしたらいい―?
その日の講義はちっとも頭に入らなかったが、野球の練習には異様に力が入った。
何も考えず、ただ練習に打ち込んでクタクタに疲れきってしまいたかった。
帰れば泥のように眠ってしまえるように、馬鹿な妄想に苦しめられることのないように。
相棒が止めるのも聞かずに居残りまでして練習を続けた。
その甲斐あってか、帰りの電車では座り込んでしまいたいくらいの疲労に襲われて、そんな自分にほっとした。
これで、今日は罪の意識を感じることなくゆっくり寝られる。
しかし、そんなオレの思惑を裏切るようにアパートの前でとんでもないものが目に入ってきて、オレは愕然とした。
誰も居ないはずのオレの部屋に、明かりがついているのだ。
「あいつ……っ」
アパートの合鍵を持っているのはただ一人だから、誰が上がり込んでいるのかはすぐに分かった。
いつもなら、浮き足立って自室へと急いだだろう。
けれど、自分勝手とは分かっていつつも今は真逆の感情しか沸き立たない。
イラついている自分に気が付いて、そんな自分とタイミングの悪い三橋に腹が立って、スポーツバッグを思い切りアスファルトに叩き付けた。
何なんだよ、あれだけ来るなって言ったのに。
こっちの気も知らねぇで―。
分かってる、三橋は昨日のオレの様子を案じているのだ。
週末の約束もキャンセルにしたのもあって、アイツなりに気を遣っているのだ。
けれど、今はどんなに頭で分かっていても感情も欲望も錯綜して、自分ではどうにもならない。
オレは仕方なく、また駅に逆戻りした。
アパートに帰りたくなかった。
三橋にも会いたくなかった。
何より、理性を保つ自信のない自分が許せなかった。
携帯を取り出し、アドレス帳から選んだのは相棒の携帯番号。
数回のコールで元気な声が耳に届いた。
「……悪ィけど、今日泊めてくんねェか?」
『別にいいけど、しばらく騒がしいよ』
「何でもいい、30分くらいで着くから」
『OK。酒の肴くらい手土産に持って来いよ!』
今朝は冷たくあしらったけど、いつもと変わらない明るさで接してくれることが、そして何も聞かずに承諾してくれたことが今は有難かった。
コンビニで適当に相棒の好きなつまみを買って、疲れた身体を引きずるようにして電車に乗り込む。
車窓からの夜景をぼんやり見ていると、一人部屋で待つ三橋が急に不憫に思えてきた。
どうしてオレの中では、勝手な感情がこうも容易く手軽に出没するのだろう。
ポケットから携帯を出して三橋に連絡を取ろうかと何度も迷った。
しかし目的地に着いても三橋への言い訳が思いつかなくて、結局オレは何もできないまま相棒のアパートへ入ってしまった。
「……騒がしいって、こういうことかよ」
「おっ、ちゃんとつまみ買ってきたんだ、サンキュー!」
部屋の中では、季節外れの小さなコタツを囲んで男3人と相棒の彼女が麻雀大会を繰り広げていた。
相棒は呆れているオレにお構いなく、オレが持っていたコンビニの袋をふんだくってコタツの上に並べる。
「あ、阿部君。
私、替わろうか?」
相棒の彼女が気を利かせてそう言ってくれたが、オレは丁重に断った。
今は、とてもそんな気分になれない。
オレを心配して部屋で待っている大切な奴を置き去りにした上、麻雀までやったりしたら最低過ぎる。
冷蔵庫から缶チューハイを1本もらって、オレは一人バルコニーに出て飲んでいた。
部屋の方が涼しいが、今はあの喧騒の中には居たくない。
ありがたいことにやつらは麻雀に夢中だから、オレにはお構いなしだ。
携帯を見ると、時間は既に11時を過ぎていた。
今頃、三橋はどうしているだろう。
不安を抱えながらオレを待っているのだろうか。
それとも、待ちくたびれて眠ってしまっただろうか。
今のオレを知ったら、お前はどう思うんだろうか。
悶々としていると、まるでタイミングを見計らってでもいたかのように着信音が鳴り始めた。
電話の相手は、もちろんアパートに残してきたアイツ。
本当は出たくなかった。
けれど、帰りもしなくて電話にも出ないじゃ本気で捜索願を出し兼ねないという恐れから、オレは渋々電話に出た。
『あ、阿部君?』
「…ああ、どした?」
白々しい。
昨日から、まともなやりとりが一つもできやしない。
『今、どこにいるんだ?』
「ダチのアパート」
『へ?』
「あ〜、飲み会やってんだ…」
『そ、なんだ』
三橋、今オレのことどう思った?
呆れたか?
勝手なヤツだって腹が立った?
『あの、いつ戻ってくる?』
たったそれだけの質問が、胸を深く抉る。
すぐに帰るから待ってろって言ってやりたい。
遅くなってゴメンってちゃんと謝ってやりたい。
それができないオレを、お前は許してくれるだろうか。
「―今日は、そのままこっちで泊まるんだ」
三橋の呼吸が止まったような気がした。
耳が痛くなりそうな沈黙の後に、少しだけ三橋が息を吐く音が聞こえた。
『そ、なんだ。
あんまり、飲みすぎないでね』
「……お前は何してんの?」
オレのアパートで待っていることを一言も言わない三橋に、身勝手にも再び苛立ちを覚える。
『オレは…、今から家に帰るとこだよ』
なんで本当のこと言わないんだよ。
なんでオレを責めないんだよ。
「そか。
気をつけてな」
『あ、あの、阿部君っ』
「何…?」
『あの、今いる友達って車…持ってる人?』
「は?
いや、持ってねえけど」
何が聞きたいのかよく分からない。
もしかして、車があればそれで送ってもらって帰ってこいと言いたかったのか。
『あ、なら、いいんだっ。
ごめんね…じゃあ、また明日』
三橋は、珍しく自分から電話を切った。
オレもそっと携帯を閉じる。
急に三橋を抱きしめたい衝動に駆られる。
オレはどこまで勝手なんだろう。
三橋―。
今日はオレのアパートにそのまま泊まるのだろうか。
帰って欲しい反面、もう遅い時間だからそのまま泊まっていてほしいとも思う。
素っ気ないオレの態度に傷ついて泣いたりしていないだろうか。
あんな風に言っておいて今更だ。
体中に渦巻くどす黒い感情を消したくて、チューハイを一度に流し込む。
冷たさが心地よかったが、味はちっともしなかった。
三橋、会いたいよ。
会って、お前を感じたい。
お前を感じて、オレは―
オレはその後も、麻雀大会が終わるまでバルコニーで温い夜風に身を晒していた。
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