彼女が帰る
ルーシィにとって三度目になる朝の陽光は、いつもながら仄かに青白い。
やや湿った空気がひんやりと肌に纏わり付くのも、同様だ。
朝の区画は静まり返っており、他の住人はおろかアンの気配すらない。
恐らく筋が違うのだろう、壁を補修工事中の蜘蛛女の家は、夜の区画の境界に至るまで一度も見かけなかった。
「さーて、俺もそろそろあっちに帰るぜ」
スイは羽毛に覆われた胸を反らし、大きく伸びをする。
鎧武者は「彼の監督をしなければなりませんので」と言ってとっくに現実へ帰っており、四匹の動物たちもそれに倣っていた。
彼、というのはおそらく赤鬼のことだろう。
「あの、いろいろ、お世話になりました」
「んー?はは、俺は別に何もしてねーだろ。猫直したくらいか?」
スイの言う通り、ルーシィの掌中の招き猫は首と胴体が接合し、天狗にもらった時のままの姿に戻っている。
何のことはない、それは単なる招き猫型の小物入れで、蓋を閉じるのに多少のコツが必要であるという、それだけだったのだ。
しかし、石畳に落下して傷一つ付いていないのは見事と言う他にない。かなりの強度を誇っているのだろう。
「つーか、大丈夫か?」
「何がですか?」
スイは言いにくそうにしながら、ルーシィの小さな頭を撫でる。
「……泣いてただろ。だから、ちょっと、な」
「あたしは大丈夫です。本当に心配なのは、衣華ちゃんの方だと思います」
「まあ、心配すんなっつーのが土台無理だよな……つっても、頼光だってあっちで調べてくれるっつってただろ」
スイは豊かな胸に顔を押し付けるようにして、ルーシィを強く抱きしめる。
口調は粗雑だが、話す内容は誰より優しいハルピュイア。
「あの子は一人じゃねーよ。そりゃ心配したっていいが、安心だってしていいんじゃねーか?」
「そう……ですね」
そして、少女人形を抱く温かく柔らかな女の身体は徐々にその温度や感触を失っていく。
換えのきかない碧眼を開けば、半透明のスイが微笑むのが見えた。
「……」
やがてそれも透けて消え去り、ルーシィは一人取り残される。
羨ましいわけではない。
地球というものの知識はいくらか有しているが、それを鑑みても、「ここから出たい」「地球に行きたい」という思いは全くと言っていいほど、ない。
人形は招き猫を握りしめ、吸血鬼のことを考える。
あの時は夢中で衣華を追い掛けたので、彼を置いてきてしまった。
また意識を混濁させていないだろうか?
バルトに何かされていないだろうか?
微かな不安を抱きながら、ルーシィは朝と夜の境界線を踏み越えた。
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