涙の理由
思い出すのは衣華の言葉だ。
よーちゃん、バルト、かっこいい、住職さんの孫。
痛いほど真摯な視線。
視覚と聴覚しか持ち得ない少女。
感覚を知らないが為に、夢の中でも夢遊のような歩行をしていた少女が、縋るように頼る彼。
「衣華ちゃんには、大切な人が……」
大切な人。
バルトと同じ顔で、同一人物の可能性がある、彼。
けれど。
衣華は、その彼の外貌と声しか感じることができない。
ルーシィが五感を駆使してディルを受容したこと、或いは、彼から与えられるがままに貪った、浮遊感にも似た甘く恐ろしい快楽。
ああいった交流、行為によって相手を感じることが、現実の彼女には不可能だということ。
疑問が、違和感が、一本の澄んだ線へと紡ぎだされていく。
衣華の目的や、願望。
確たる証拠など何一つないけれど。
「……だから……」
だから、衣華はあの時バルトを突き飛ばしたのだろう。
彼女は、この街で欲しいものを手に入れる、と言っていた。
こちら側でバルトと仲良くなれば、あちら側に帰りたくなくなる、とも言っていた。
おそらく、衣華は夢の中――すなわち、この街――に来て、完全な五感を得るのだ。
そして何より、感覚が充ちる甘美さを味わってしまっている。
だから、帰るときはいつだって寂しそうで、辛そうで。
「衣華ちゃん、は……」
気付いてしまえば、更に溢れ出す人形の涙。
憶測にすぎないと自分自身に言い聞かせても、止まらない雫は朧な否定を更に重ねて否定する。
泣いているのはルーシィの心か、サリーの記憶か、それとも三城荒子の魂か。
何もかもが不確定な、涙。
それは、胸が締め付けられるほどの悲哀を溶かし込んで尚、水晶のように透明で、そして何よりも美しかった。
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