戸籍課
5.
昨日はとんだ災難だった、と、伊東は振り返る。
あれから、笑い続ける木々間を叱責しつつ、喚き続ける九十九を区役所から追い出し、
戸籍・住民課の人間からは冷やかしと、市税課の女の子からは恨み辛みの籠った眼差しと…
昨日の事を思い返しただけで、確実に5歳は年をとった気分になった。
春の日差しにざわめく青葉達とは正反対の重い表情を浮かべながら、伊東は今日も職場へと足を向ける。
「あ!伊東さん!随分とお早いんですね!」
どうか、夢であってくれ。
踏み出そうとしていた右足が本能で進むことを止め、
目の前の、そうだ、昨日から始まった正体不明の頭痛基、目の上のたんこぶ状態のあの男を視界に入れまいと、首をグリ、と明後日の方向へとシフトチェンジした。
「いとーさーん!決心はつきましたか?」
「なんのですかっ」
思わず突っ込みを入れ、さらには青葉に負けずとも劣らない輝かしい九十九の顔面もシフトチェンジの甲斐空しく視界に入れてしまい、伊東は、しまった、とその場から逃げだしたい気分に陥った。
「おはようございます、今日も素敵です、結婚してください」
「・・・おはようございます」
「職場までお送りしますよ、いや、このまま何処か出かけるのも良いですね!」
「お一人でどうぞ、職場までなら直ぐですのでどうかお構いなく」
「さぁさぁ、こちらにどうぞ!」
「あなた、日本語通じてます?」
否定を表す言葉を並べる伊東の腕を、顔と同じく男らしい、綺麗な手で掴み、
傍らに停まる、ショッキングピンクの物体へと押し込む。
「なんですか、この狭い車」
スズキ・95年式・カプチーノ。
それが九十九の愛車であった。
しかし大の大人が二人、シートに体を埋めるとなると些か狭い、
それに眼に痛いけばけばしいピンクに伊東は眉を顰めた。
「かわいいとおもいません?」
はぁ、と伊東は気のない返事を返し視線をガラス窓の外へと向けた。
ガラス窓に反射して映る九十九の横顔をみて伊東は昨日の出会いを思い返してみた、が、
一向に伊東には九十九の事が理解出来なかった。
なんで急に結婚なんだ、しかも見ず知らずの男になんか…
マリッジブルーの反動か?
マリッジブルーとは誰彼構わず違う人にプロポーズしたくなる程鬱憤の堪るものなのか?
生憎、結婚どころか婚約すら縁のなかった伊東には婚前の心境など分かるはずもなく
グルグルと思考が間違った方向に渦巻くだけであった。
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