黒の誓い
18
三日もすれば燈籠は落ち着き、幹部たちもいつも通り、任務へと出払っていった。
閑散とした本部。リーはいつも通り、シャンの執務室へ昼食を持って現れた。この広い本部、しかも幹部しかいないエリアで、二人以外の気配はない。いつものことだ。もし幹部がいても、だいたい各々好き好きに過ごす燈籠では一緒にいる時間のほうがはるかに少なく、ドライなものだった。
いつ死ぬかわからない上に殺し屋なんてやってるせいかマトモな奴は一人もいない。幹部同士が硬い絆で結ばれることはほぼ無かった。どんなに仲がよくても、明日誰かが死んでも驚かない。そんな世界でしか生きられないはぐれものはいる。
それが最近寂しいのは、リーが年を取ったのか、大切な者がいるせいかはわからない。
「おーいシャン」
ノックの返事を待たずに滑り込む。剣の手入れをしていたらしいシャンは見向きもしなかった。
いつものことだと昼食を置き、書類を読み始めたリーの背中に、シャンの声がかかった。
「リー」
「ん?」
「フレオジール暗殺の疑いが燈籠にかけられてんぞ」
「あーあれなぁ。…ジャッジメントじゃねえの?」
「だろうな。だが、教会はジャッジメントの存在を隠匿してる」
「だからってアイレディアの要人暗殺なんか燈籠じゃしてねーだろ」
シャンは眉をあげ、剣をさやに納めた。
鈍く輝く刀身はわずかに赤味を帯びているそれはツーハンデッドソードの中でも最上級のもので、この世にふたつしかない最高のものの片割れである。
人の身長ほどもある長さの剣で、柄の装飾はシンプルそのものだが剣自体は間違いなく一級品。ツーハンデッドソード・炎剣、氷剣の炎剣のほうがシャンの手にするものであり、最強の剣士に相応しい剣だった。
リーは眩しそうに剣を見つめた。普段は持ち歩かないその剣を抜いた時のシャンは、最高にカッコイイ。
「それ、使うのか」
「使う予定はねえが手入れはしねえとな」
「へえ」
鞘に納めた炎剣を壁にかけ、シャンは書類を持ったまま呆けているリーに近づいた。
グイッと腰を抱き寄せる。痩身のリーの腰の細さに少し驚いた。
「シャン…?」
「…」
至近距離で瞬く、赤い瞳。
キリとは全く違うリーが、今は腕のなかにいる。
その肉体にいまだ残る、タラゼドの香りがいらだたしかった。
「シャン…っ」
すり、と体を密着させ、抱きついた。背後から長い手足を使ってやんわりと拘束する。戸惑うリーの首筋にガブリ、と噛みついてはむはむと食んだ。
「いっ…」
ぺろ、と嘗めてすん、と鼻を動かした。
まだ、匂いが負けている。
面白くないシャンに、リーが困ったように言った。
「どうしたんだよシャン」
「気に入らん」
「え?」
「お前からタラゼドの香りが消えない」
シャンは無愛想に言うとぴょこ、と耳を動かした。ゆらゆら揺れる尻尾が拗ねているようでリーは目を丸くした。
「そりゃ…しばらくは」
「…」
あっさり言ったリーにシャンは眉間のしわを深め、体を離した。
くるっ、と反転させてデスクと自分の間に閉じ込める。
ぎら、と光る獣の目ににじむ成熟した雄の色気がリーの腰をしびれさせた。
リーの足の間にシャンが足を割り込ませる。する、と脇腹を撫で上げた手がいやらしく制服のフックをはずした。中に着ているオレンジ色の服のボタンも手際よく外し、シャンはリーの首筋をついばんだ。
チャイナ服と素肌の間にかわいた手が滑り込んでくる。浮き上がった鎖骨の色気にシャンは目を細めた。
「っあ、シャン、まだ昼っ」
「黙れ」
「シャンっ」
「体で教えろ。お前の心を」
シャンの美声が鼓膜を震わせ、腰を直撃した。色気たっぷりの雄くさい声と眼差しは一瞬で空気を一変させた。
なだらかに起伏した筋肉のついた白い腹をシャンがなで、密着した腰を動かす。まるで交尾のようなその動きにリーは煽られた。
侵入していた手が乳首を探り当てた。こりこりと擦りながらぐちゅり、と耳をなめられると声が押さえきれなかった。
「んぁっ、シャンっ、だめ、ぇっ」
「エロい声出しやがって」
「んっ」
そのとき、勢いよく扉が開いた。
「とうさーん!火山ではありが…と……」
シャンとリーは絡み合ったまま、硬直した。
リーは口をあんぐりと開けるレオニクスと、ばっちり目があってしまった。
「あ、れ、レオン坊、」
「え、あ!お邪魔しました!あの、これゴム…父さん使っていいからさ」
レオニクスははっとしたようにポケットを探り、ゴムを置くと「一時間後に来るから!」とニカッと笑った。
「ちょ、おい」
「三時間後にこい」
「はぁ?!」
「分かったー」
立ち去るレオニクスとのんきな会話を済ませたシャンは「よし」と再び乗っかってきた。
どうやらヤるつもりらしい非常識ぶりに言葉も出ない。
「ちょ、シャン」
「んだよ」
「んだよ、じゃねえだろーー!!」
あまりの羞恥にリーはシャンの股間を蹴りあげた。
思わぬ攻撃に回避出来なかったシャンは床に沈み、あわてて服装を整えたリーは足早にレオニクスを追っていってしまった。
「アノヤロウ……ヤり殺す………!」
一匹の虎の、静かな怒りを置いて。
□□□□
「別にいいのに兄ちゃん」
「い、いや」
ずずー、と紅茶を飲むレオニクスとヴァルディスは本当に気にしていないらしかったがリーは居心地悪そうに無意味に砂糖をいれすぎた紅茶をかきまわした。
「だけどよ、シャンと、その」
「いいんじゃない?」
「は?」
「父さんが独り身なのも心配だし。リー兄ちゃんならいいんじゃない?ヴィーもそう思うだろ?」
「本人の自由だ」
レオニクスはあっさり許容した。
悶絶から立ち直りやって来たシャンはにやりと笑う。
「キリもリーなら許すだろ」
「うん。そう思う」
「レオン、お前の母さんを忘れたわけじゃねえぞ」
「わかってるよ。母さんだけを思っていくには、父さんには先が長すぎるから…幸せになってもらいたいし」
シャンはレオニクスの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
滅多に見せない笑顔でレオニクスに構っている。
「今夜は泊まれ」
「うん、そのつもり」
「黒竜王もな」
「世話になる」
ヴァルディスの無表情にも慣れたのか気にせずにシャンはレオニクスをつれて行ってしまった。
剣がどうのこうのとテンションがあがっている。剣マニアは血か、とヴァルディスは嘆息した。
「妙にマニアックなのは母親ゆずりだな」
「…」
「相変わらず愛想無いな、黒竜王。紅茶は?」
「要らぬ」
リーは笑って「そうか」と呟いた。
甘すぎる紅茶を飲んで、ヴァルディスの後ろの肖像画を指差す。
「キリ嬢だよ。レオン坊にそっくりだろ」
「…ああ」
「みんな彼女が好きだった。燈籠を家族のようにしたのは彼女だ」
「…」
「シャンは、ほんとに…」
リーは目を伏せた。
シャンが、そんな男じゃないとはわかっている。
だが死んでしまった彼女が、頭から離れない。
本当にシャンと、幸せになっていいのかわからない。
ヴァルディスはそんなリーを見遣った。
「……過ぎた愛と想い出だけでは、生きられぬ」
「え…」
「時は流れるのだ。シャンの心を振り向かせたのはそなたの揺らぎなき思い。…他意なく、純粋な想いほど強いものは無いかもしれぬ」
「もしかして…慰めてる?」
ヴァルディスはつい、と目をそらした。
すごく分かりにくかったが慰めていたらしい。
リーは微笑んだ。
「あんた、いいやつだな」
「……」
「レオン坊が好きなのも、わかる気がするよ」
元気になった気がする、とリーは新しい紅茶をいれ始めた。この不安はしばらく続きそうだが、きっと杞憂なんだろう。
キリは、そんな女ではないから。
「あんた、料理上手いんだろ?」
「普通だ」
「教えてくれよ。手伝うからさ。あの親子よりは役に立つぜ?」
塩と砂糖を平気で間違えるレオニクスとそもそも調味料がわからないシャン。
あの親子の料理センスは酷すぎてどうにもならない。
ヴァルディスはため息をつき、うなずいた。
「いいだろう」
「ありがとなー」
リーが笑ったとき、シャンとレオニクスが戻ってきた。
「ヴィー、ドゥラを誉められたぜ」
「ほう」
「よかったなーレオン坊」
「うん、リー兄ちゃん」
嬉しそうなレオニクスを「かわいすぎる」と思いながらヴァルディスは迎えた。
仲睦まじい二人を微笑ましく見守るリーの隣に座ったシャンは腕を組み、眉間のしわをゆるめた。
これで親バカなシャンのことである。レオニクスの望みをリサーチしたのだろうとリーは笑った。
「なに食べたいって?」
「ローストビーフ」
「分かった」
案の定、即答された。
夕食は決まりである。
「レオン坊、炎剣みたか」
「すっごかった!本物見れるなんて。やっぱり父さんはすごいなぁ」
「いつかお前が受け継げ。レオン」
「ふさわしい剣士になるよ」
「炎剣?」
「父さんの剣。すごい剣なんだ」
レオニクスは興奮しながら言った。やはり剣士にとって剣とはマニアになるものらしい。
「見せてもいい?」
「ああ」
「行こ!ヴィー」
許可を得るとレオニクスは嬉々としてヴァルディスを引っ張っていってしまった。
ふたりの姿が見えなくなるとシャンはリーを見ずに声だけを低くした。
「今夜覚えてろリー」
「え゙」
「さっきの報復は、わかってんだろうなァ」
その色気と怒気におされて、リーは動けなかった。
夜が怖くなったが、何はともあれ、不安が解消されるのはそう遠くない未来のようである。
続
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