黒の誓い
17
先に衝撃から覚めたのはシャンだった。唖然とするリーをおもむろに担ぎ上げ、音もなく跳躍する。
仕事を終えた現場に長居は禁物だ。分かっているのかリーが騒ぐことはなかった。
シャンはたん、たん、と建物の壁を蹴り、屋上にあがるとそのまま走り出した。181センチの鍛えた男を抱えて建物と建物を飛びうつっても安定しているのはさすが猫科といったところだ。
しばらく走り、シャンはふいに飛び降りた。
さすがに抱きついたリーを落とす気配もなく音と衝撃を逃がして地上に着地する。そして降ろしたリーを壁に押し付けた。
「いつから俺を好きなんだ」
「知ってどうす…」
「答えろ!」
壁についた両手の間に囲われる。相変わらずの眉間のシワにリーはため息をついた。
もうごまかせない。シャンに誤魔化す気がないならリーに選択の余地は無かった。
「百五十年くらい前から」
「んだと…」
シャンの瞳孔が開いた。そんなに前からだとは思っていなかったのだろう、驚愕がありありと伝わってくる。
リーは笑いたくなった。本当に、シャンは何も気づいていなかったのだ。早合点したのはリーの方だった。
もしかすれば、リーはもう限界だったのかもしれない。だがそれはリーにさえわからなかった。
「ずっと好きだった」
「…」
「気持ち悪いか?おれはずっとお前に欲情してたんだぜシャン。好きで好きでどうにかなっちまいそうで、でもならなかった。何でだと思う?」
「なぜだ」
「俺の一番が、お前だから。俺自身なんかどうだっていい。…知ってんだろ?」
リーはにやり、と笑った。
「だから、お前が嫌なら二度と姿見せねえし、忘れてくれれば無かったことに出来る。おれは俺がお前の相棒でいられるなら、本当に何も要らなかったんだ」
シャンは目を細めた。リーの赤い双眸に嘘は無かった。闇に長く身をおき、最強とまで謳われたシャンだから、嘘があるかどうかくらい容易く見抜けた。
月が照らす、見慣れた顔。この笑みの下のリーをずっと勘違いしていた。
「…じゃあ何で、タラゼドに抱かれた」
「シャン?」
「何で、てめえからタラゼドの匂いがする。イラつくんだよ、気に入らねえ」
リーは言葉を詰まらせた。
嫉妬ともとれるシャンの言葉に頭がぐちゃぐちゃに混乱した。
「髪も。お前の髪、好きだって知ってんだろ。なんで切った」
「シャ…ン」
「なんで俺が焦らなきゃなんねえ、なんでこんなに余裕がねえ。俺らしくねえんだよ、分かってる」
シャンは苦しそうにリーを見下ろした。
長い手足の中に閉じ込められ混乱したように見上げてくるリーの、服から覗いた首に赤い痕を見つけて衝動的な怒りが沸き起こった。
一瞬で上がる火柱にリーは息をのみ慌てて氷で押さえ込んだ。
一気に逆立った尻尾が無意識にシャンの腕に絡み付く。
「どうしたんだよ」
「…」
シャンは無言でリーの血まみれの服を引き裂くように開いた。
ビリッ、と嫌な音を立てた服に眉をひそめたリーだったがシャンの視線を辿ってそれは羞恥に変わった。
氷虎であるリーの、雪のように白い肌に赤く浮かび上がるキスマーク。それをシャンに見られているのだ。キスマークの向こうに、乱れるリーの姿まで、見透かされそうなほどまっすぐに。
「見るなっ」
「リー」
「やめっ…」
「リー、聞け」
シャンの胸を押し返そうと暴れるリーをシャンは抱き締めた。
一瞬呆けた隙を見逃さずに言葉を続ける。
「誰も知らねえところで、てめえどれだけ泣いた」
「…」
「お前はどんな気持ちで、俺とキリの結婚式を用意したんだ。俺のために、どれだけ自分を殺したんだリー」
リーは目を伏せた。
抱き締められたことで、心臓が痛いほど脈打っている。
普段余計なことは話さないくせに、こうやって何かあると見逃してくれないから。
だからまた、好きになる。悲しいほどに。
「別に…シャンが幸せなら、それで良かった」
「お前がどれだけ辛くても、か?」
「んなもの、どうでもいい」
リーは呟いた。
シャンの表情は分からない。熱いシャンの体に、熔けてしまいそうだった。
「リー…。おれはお前を楽にはしてやれねぇ」
「っ」
「帰ってこい。お前がいねえと駄目だ」
「燈籠がだろ。わかっ…」
「俺がだ」
低くぴしゃりと言われたことにリーは目を見開いた。
シャンはリーの頭を肩に押し付け、言った。
「お前の一生だから、好きに生きればいいと思った。だが、お前がいねえと落ち着かなくて、ふとお前を呼んだりして、玄関を見たりして、我慢ならなくて来たんだ」
左側が妙に寒い。ふと名を呼んでからいないと気づく。いつ戻るか分からない。好みの酒が無かったり、食事が好みのものでなかったりする。混乱した燈籠に、嫌でもリーの不在を思い知らされる。
リーがいない。ただそれだけのことでシャンはらしくなく焦り、もう何ヵ所燈籠を灰にしたか分からなかった。
「おれはキリを忘れねえし一生愛してる。だがもしその上でまた誰かを好きになるとしたらそれは多分お前しかないと思う」
「…え?」
「キリは言った。自分が死んだら、新しく幸せになれ、と。相応しい人が、俺の近くにいるから、と。あんときゃ聞き流したがもしかしたらキリはわかってたのかもしれねえ」
リーは震えた。
まさか、彼女は知っていたのだろうか。
リーの想いを見て見ぬふりしてくれていたのだろうか。
身勝手な、この恋慕。男が男を愛するなんて、このクロノスじゃ少数派であるというのに。
「お前を愛してるとは言えねえ。それでもいいなら、おれはテメエと向き合いたい。本当のテメエの顔を見て、受け入れる。耐えらんねえと出ていくなら止めない。もう無理だってんなら二度と言わねえ。選べ、リー」
シャンは体をはなした。
気付かなかった。そばに居すぎてわからなかった。
リーは複雑な表情を浮かべていた。見上げてくる眼差しをシャンは受け止めた。
一生分しゃべった気がする。それほどに、リーを引き留めたかった。
「…そんなの、ひとつしかねえだろ…」
リーはぼそりと呟いた。
「さっきの言葉だけで、死ぬまでおれは幸せになれる。帰るぜお前のとこに」
知られて、嫌われたり殺されることも覚悟していたのに、まさか受け入れようとしてくれるなんて思わなかった。
そう呟いたリーに、「他の野郎だったら多分殺してる」とあっさりシャンは言った。
絶句するリーに自分の上着を着せ、さっさと歩き出す。
数歩歩いてリーがついてきてないことに気づくと、肩越しに振り向き言った。
「帰るぞ、リー」
「…っ。だから反則だろ」
キリやレオンにしか向けてこなかった笑みを浮かべられて、リーは赤くなった頬を誤魔化すように擦りながら、シャンの左斜め後ろを歩き出した。
■■■■
「うわぁぁあんリーィィィイ!帰ってきたーっ」
「うぉっ。げほっ」
談話室に入るなり突進してきたエドヴィンに抱きつかれ一瞬息が止まりながらもリーは受け止めた。
そしてさっきから見てきた燈籠の惨状に苦笑するしかなかった。
「やぁあリーだわ!きゃぁぁ髪、どうしたのよぅ!」
「リー!お帰りなさい、もう、大変だったのよぅ!」
「わりぃわりぃ。アッティ、エレナ、ありがとな」
「…お帰りなさい…」
「クロ、任務頑張ったな。お疲れ様」
「むっ!僕も頑張ったんですけど!」
「おっチャンホウ!わかってるよ、ほら紅茶買ってきたから」
腰にへばりつくエドヴィンを撫でながらクロの頭をぐしゃぐしゃと撫で、チャンホウに紅茶パックを渡して誉めると若手組は揃って嬉しそうにうなずいた。
「ほらエド。みんなにもケーキ買ってきたから機嫌直せ」
「ケーキ?」
リーは頷いてシャンを見た。
似合わないファンシー箱を持ったシャンはシュールだったが怒られたくなかったので誰も笑わなかった。
「ショートケーキ?」
「オペラあります?」
「チョコタルトある?」
「フランボワーズあるかしら」
「ラズベリームースは?」
各々いいながら開かれた箱を覗きこんだ。
リーは笑ってケーキを広げる。
「エドはイチゴのショートケーキ。ほらクロ、オペラ。チョコタルトはチャンホウだな?アッティ、苺のフランボワーズだろ?エレナ、ラズベリームースホワイトチョコソース添え、だよな?」
「さっすがリー!食べたいの分かるんだ!」
「ビターチョコだ…む、美味しい…」
「流石です」
各々の好みと、気分にぴったり合わせたケーキのチョイスに幹部たちはテンションがあがった。それぞれケーキを受け取り、ソファに座る。
リーも自分の抹茶のムースを持ってシャンの椅子の肘掛けに腰かけた。
「これはボスの財布から出されてっからなー。礼言え礼」
「「「ありがとう(ございます)ボス!」」」
シャンは肩をすくめた。
それを合図にするかのようにケーキを食べ始める。ちなみにケーキショップでは甘いものが苦手なシャンは極悪面で店員を怯えさせていたのだがリーは全く気にせずにシャンの財布を使った。
どうせ店ごと買ってもちょっと出費したな、くらいは資産があるのだから気にする必要もない。浪費癖はないがケチでもないシャンならなおさらだ。
「でもリーが戻って本当に良かったわ」
「なんで出ていったの?」
「シャンと喧嘩しちまってなー」
「珍しいわねえ」
アツィオはちら、とシャンを見たがシャンは何食わぬ顔でコーヒーを飲むだけだった。
「リーが全部やってたから分かんなかったわ」
「わりぃ。明日にはいつも通りにしとくぜ」
「でもまたこうなったとき、大変じゃない。手伝うわ」
「いいんだよ。お前らは任務に集中してりゃあな。慣れねえことやって疲れて任務でミスったらどうすんだ」
「でも…」
「大丈夫だって。な?」
リーはにっこりと笑った。
シャンもなにも言わない以上、引き下がるしかなくエレオノーラは眉尻をさげた。
「…やっぱ、次席いないと、寂しいです」
「もう家出なんかやめてよね」
「ボスも怖かったんだよ」
若手組三人が口々に言い出し、リーは照れたように笑った。
その笑みがあまりに綺麗だったので「可愛いな」と思ってしまった自分を誤魔化すように、シャンは熱いコーヒーを啜って視線を逸らしたのだった。
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