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黒の誓い
 16



『ヴァルディス陛下ご到着です』

警備兵の連絡にシトラスはベッドから降り、ヘリオスは体を起こした。
数秒遅れて扉が開き、警備兵と侍女たちが跪く中を堂々と歩いてきたヴァルディスが入ってきた。
珍しく王衣を着ている分威厳が増していて知らずシトラスは緊張を高めた。
ヴァルディスは跪くシトラスを一瞥し、ヘリオスに近づいた。

「体調はどうだ」

「今日はとても良いです」

「そうか」

「兄上お忙しいのにわざわざいらしてくださりありがとうございます」

「構わぬ。気にするな」

「はい…」

ヘリオスは緊張で脇腹がキリキリ痛み出すのを感じた。
兄とはいえ、地位的には雲泥の差がある。当然、その血筋にもだ。ヴァルディスがこんなに近くで話している事は名誉極まりないのだけれど、同時に凄まじい緊張を伴った。
特に今は、ヴァルディスに対して後ろめたいことが多くて昔より緊張する。

「不自由はないか」

「滅相もございません、兄上」

「そうか…」

ヴァルディスの能面を見つめる勇気は無くて、ヘリオスは俯いていた。
兄上のためなら命も投げ出せるが、だからといってフランクになんてできるはずがない。
シトラスから聞いたが、彼の父親の懸念は最もだと思う。大多数の者がヴァルディスを愛しながら側に近づくことを恐れるだろう。
それが、絶対君主というものだ。


「そこの麒麟はどうだ」

「あ、よくしてくれます。とても安心できます」

「…ほう」

そのときヘリオスが浮かべた微笑にヴァルディスは片眉をあげた。

「…」

「兄上?」

「構うな」

「えっ、あ、ごめんなさい」

思った以上に冷たくなった声はぴしゃり、とヘリオスを打ち、ヴァルディスは舌打ちした。
それにまたヘリオスは恐縮し、苛立つ。

「養生しろ」

「は、はい」

ヴァルディスはそのまま踵を返した。
去っていく王を跪いて見送り、シトラスは息を吐いた。
部屋中をおおっていた鉛のような重圧が無くなり、息が楽になる。

「兄上は…お怒り、なのかな」

「俺ごときでは陛下のお心を察することなど出来ないが………お怒り、かな」

シトラスは扉を見つめて言った。
ヘリオスは俯き、悲しそうに息を吐いて布団に潜り込んだ。

「ヘリオス?」

「…ふん」

ふてくされたらしいヘリオスにため息をつき、シトラスはポンポンと布団を叩いた。ちょっと自分の胃が心配になっていた。




□□□□□




リーはシャンと出会ったころを思い出していた。

出会いは百年と数十年前。

いや、リー自体は、もっと前からシャンを知っていた。


シャン・リーウェイといえば、戦いをたしなむ者なら知らない者はいない剣豪だからだ。
炎虎でありながら、その能力に頼らずに大剣豪に上り詰めた。

最強の名を誇る剣豪は、同時に殺し屋だった。否、向かってくる者を倒していくうちに殺し屋になってしまったのだ。

リーも新聞などでその名を見るたびに驚嘆したものだった。

当時の懸賞金三億六千万ガドル。
途方もない懸賞金をかけられたシャンだったが、だからと簡単に狙う奴はいなかった。集団で襲っても、返り討ちに遭うのが関の山だったからだ。

そんなシャンに、リーの許嫁が殺されたのは冬のある日だった。親が決めた許嫁とはいえそれなりに愛していたリーはシャンに復讐を決めた。
巻き込まれて亡くなった彼女の親の、希望でもあった。

シャンに辿り着いたのはその一年後、やっぱり冬の日だった。ヴェレ帝国の無法地帯のひとつ、クレ砂漠のとある街。
そこの酒場のカウンターに座る、ひとりの赤髪の男にリーは近づいた。

「…あんた、灼熱の鬼神だろ?」

「あぁ?」

向けられた瞳に戦慄したのをリーはいまだに覚えている。
ぞくり、と身体中の血が粟立った。血のような赤と、氷のような蒼。
リーの赤とは違う、その赤に眠る本能が刺激されそうになった。
なんとか動揺を押し隠し、リーは隣に腰かけた。

「俺と戦いてえのか?」

「まあそれもいいけど、違う」

「あ?」

「お誘いだよお誘い。一緒に仕事しねえ?」

「断る」

シャンはにべもなく切り捨てたが想定内だったリーは勝手に説明を始めた。
黙って聞いていたシャンはリーが説明を終えると言った。

「それくらいテメェなら一人でやれんだろうが」

「え?」

「テメェ、瞬殺のリーだろ」

「知ってんのか?」

「知ってる。最近ここらへん荒らし回ってんだろ。テメェ殺せって何回か依頼された」

リーは戦慄を禁じ得なかった。今度は沸き上がる恐怖によるものだった。
もし、シャンがその依頼を受けていれば、今自分は罠にかかったも同然だ。
しかし、シャンはブランデーを飲むばかりで立て掛けている剣を持つ素振りはなかった。

「依頼は受けちゃいねーよ」

「なんで…」

「迷ったから」

「迷った?」

「テメェを殺すかどうか」

シャンはグラスを置き、金を置くと立ち上がった。
剣を取ったシャンにリーはあわてて声をかけた。

「おいっ」

「同じ虎族のよしみだ。追い付いたら、考えてやるよ」

じゃあな、と肩越しに手を振りシャンは酒場を出ていった。
リーはだんっ、とテーブルを殴った。情けを掛けられた。そのことに安堵した自分に一番苛立った。そして、必ず追いつくと決めた。



リーがシャンのパートナーとして名を馳せはじめたのは、その数年後のことだった。










「…懐かしいなぁ」


リーはブンッ、とナイフを振って呟いた。
ビシャッと血が飛ばされ、床に叩きつけられる。周りには絶命した男たちが倒れていて、凄惨な現場を作り出していた。
無駄なく致命傷を与えられ、一撃必殺の痕がうかがえる彼らは燈籠の機密を盗み出した裏切り者の一味だった。リーと対峙したときの彼らの恐怖に満ちた表情がすべてを物語っている。

「あの時も、こんな仕事の後だったなァ…」

リーは殺気を隠しもせず、興味なさそうに現場を離れて歩き始めた。
ひんやりとした空気を出しながら返り血にまみれた体を引きずる。

「シャンは覚えてねえんだろうなぁ」

「なにをだ」

放たれた低い美声にリーはびくりと体を震わせた。
出しっぱなしの虎耳と尻尾が逆立つ。聞き間違いだと思いたかったが、リーがこの声を聞き間違えるはずがなかった。

「シャン…」

「バカが。気配にも気づかねえでどうする」

暗がりから現れたのは、赤髪の虎。先ほどまでリーの脳内で笑っていた、その虎だった。
長髪だったのと若かったくらいで、残りは何も変わらない。

「…なんでここに」

「テメェ、任務の書類持っていっただろ。覚えてんだよ、それくらい。残念だったな」

シャンは眉間のしわを深めた。

「その髪どうした」

「切った。意味、無くなったしな」

猫毛だったから、手入れも大変だったし、と普段のにこやかさは欠片もなくリーは続けた。

「なんで来たんだ」

「…」

「心配しなくても戻るって書いてただろ」

「ああ」

シャンは頷いた。

「だが何時とは書いてねえだろ。テメェいねーとメチャクチャなんだよ。エドヴィンはビービー泣きやがるし双子はうぜぇし」

「だから迎えに来たのかよ」

「おう」

リーはぶちり、と自分の中で何かが切れる音を聞いた。目の前が真っ赤になるほどの激しい怒りに襲われる。
体を突き動かすその怒りに任せてリーはナイフをシャンに投げつけた。かすりもしないナイフにこんなときでもシャンを傷つけられない自分に怒りが増した。

「ふざけんじゃねえよ!」

「あぁ゙!?」

「どこまで俺を苦しめる気だ!知ってんだろ、知ってて二十年も黙ってたんだろ!?おかしかったかよ、笑えたか?!なんでもねー顔でお前に従う俺は!」

「はぁ?」

「今回だって思わせ振りなことしやがって!いつもしねえ事すんじゃねえよ!エドヴィンだって双子だって無視すんだろ、いつも!嫌がらせかよ、ふざけんじゃねえっ」

リーは手当たり次第ナイフを投げつけながら怒鳴った。
避けずとも当たらないにしろ、シャンのまなじりはつり上がる。
しかし任務のときはリーは狂暴になり、手当たり次第殺したりするのでシャンは反論をやめた。

「なに訳わかんねえ事いってんだ。さっさと帰るぞ」

「逃げんな!」

ぴたり、とシャンの足が止まった。
ガッ、とリーの胸ぐらを掴む。
首が締まって咳き込むリーにも構わずにシャンは力を込めた。

「黙って聞いてりゃふざけんなよリー。てめえこそ、あぁ?燈籠ほっぽって男としけこんでたんだろうが!血の臭いで消せると思ったか?コラ」

「!」

「葉巻と精液の匂いさせやがって、この髪もなんだ、あ?」

「シャンには関係ねえだろっ」

「てめえは俺の相棒だろうが!」

「だから男と寝ちゃダメだってのかよ!」

「それは…ッ」

シャンは言葉を詰まらせた。
力の緩んだ隙にリーが腕を振りほどく。

「キリが好きなんだろ。わかってるから。別に迫ったりしねえし。シャンのことも、諦めるし」

「…」

「…お前を好きだなんて、言わねえから」

「…は?」

「…ん?」

なんだか今空気のあわない間抜けな声を聞いた気がしてリーは顔をあげた。

「テメェ、キリが好きなんじゃねえの?」

「…………はぁ?」

リーは心底間の抜けた声を出した。
混乱した顔で首をかしげるシャンと見つめあう。
まさかまさかまさか、と思いながら震える声で続きを促した。

「テメェ、俺がキリと結婚したけどキリが好きだったからあの日、『シャン、愛してごめん』って泣いてたんじゃねえの?」

「…はぁあ?!だっ、ておまえこないだ、俺がつけこむとかどうとか」

「だから、キリ死んで、俺につけこんで俺を殺そうとか考えもしなかったんだろって…あ?テメェ、俺が好きだったのか!?」


リーとシャンは絶句した。
ニアミスですれ違ったまま、一体今まで何をしてきたんだろうと、ほぼ同時に思った。










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あきゅろす。
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