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黒の誓い
 14






――あれは、二十年以上前。


雨が降る夜だった。
シャンは小柄なキリの肩を抱いて言った。

「キリと結婚する」

「えーっ!よかったわねえ!」

「おめでとう」

最初に反応したのは双子だった。はにかむキリを代わる代わる撫でながら、嬉しそうに笑っていた。
シャンなんて初めて見るくらい柔らかく笑っていた。

そもそもキリとシャンを出逢わせたのは俺だった。
たまたま拾ったキリを燈籠に入れさせ、鍛えた。キリは明るく、まるで太陽のように燈籠を照らしてくれた。

キリが幹部に昇進して、いつの間にかふたりが恋仲になっていると気づいたとき、おれは喜んでやれた。

おれは大好きな二人の幸せだけを考えていたからだ。
シャンが笑う。キリが笑う。好きな奴が幸せならばいい、と思うのは当然だ。
胸を焦がすものは封じ込めた。
こういうとき、自分のポーカーフェイスが役にたつ。俺がシャンを好きだと、誰も気づいていなかった。

だから、嫉妬も何もかも、気付かれなかった。綺麗な感情だけを、ふたりに見せることが出来た。


「おめでたいわよねー、リー」


アツィオが俺にたずねる。期待の籠められた視線が俺に集まる。

おれは口の端をあげて、笑い声をあげた。

「幸せぶとりするなよボス!おめでとう」

「するかよ」

「ありがとう次席!」


シャンが憮然とし、キリが抱きついてくる。
おめでとう、幸せになってほしい。これは本当。


愛し合って幸せになってほしい。

おれはキリを抱き締めながら笑った。


「おめでとう」

「うん」


この少女がいつかシャンの子を産み、シャンは父親になる。命の営みすら出来ない自分では、勝負にもならない。


知らなくていいんだ。痛みなんて知らなくていい。壊れるのは、俺だけでいい。


大丈夫。

いつからか、涙を笑顔に変える術を知ったから。


だから、おれは笑える。


「幸せにな」

幸せに――……。


















ぱちり、と目を開けたリーはため息をついた。
懐かしい夢を見た。あの、雨の夜から、忘れられない記憶が増えた。
隣でもぞり、とシーツが動く。
ぎし、とベッドから起き上がったタラゼドにリーは掠れた声で聞いた。

「…もう行くのか」

「ああ」

裸の体を恥ずかしがることもなくさらしたまま葉巻に火をつけたタラゼドは頷いた。ほんの一時間ほど前まで年甲斐もなく抱き合っていたせいか色気を孕んだ気だるい疲れを飲み込む。
たるみを知らない筋肉質な体はまだ現役であることを証明するかのように背中にはリーの爪痕がくっきり残っていた。

「次は何処へ?」

「知ってどうすんだ」

「…それもそうか」

リーは小さく笑った。寂しげなその笑みはタラゼドしか知らない表情だった。燈籠の次席、シャンの相棒ではない、リー。あまりに寂しい自己犠牲の愛を捧げてきた男は本当の笑みを忘れたかのようだった。
タラゼドは舌打ちした。適当に服を着込み、またベッドに座る。

「あまり長く居るとお前にはまっちまう」

「タラゼド?」

「俺ァ勝てる勝負しかしねえんだ。最初から負けてる土俵にあがれるかよ」

忌々しく呟いたタラゼドは葉巻を灰皿に置き、リーにキスした。
葉巻の苦味に、リーの味が消されればいい。ほろ苦い、どこか甘い、くちづけでリーの寂しさを受けとる。

リーは目を閉じた。ざらりと肌を刺すひげに、これはシャンではないのだとリアルに思い知らされた。
これは、忘れさせてくれた男。一晩でも快楽と陶酔の中にシャン以外の男を見させてくれた人間。

「お前を好きになれば良かった」

「そうだったらいつでも盗んでやったのにな。メイリーンが亡くなった後は」

する、とリーの顎を撫で、タラゼドは立ち上がった。
黙って出ていく背中を、リーもまた黙って見送った。その背中にはリーが切り裂いた痕がくっきりと残っている。慟哭を受け止めてくれた男はひとり、冬の港を後にしていく。
リーは残された葉巻をくわえた。キツい匂いを我慢して煙を吐き出す。

タラゼドの匂いが消えるまでには、忘れられるか、と一縷の望みをかけた。それが不可能なことは、自分が一番よく知っていたけれど。




□□□□□




バスティアンはクリフがくわえてきたものに目を丸くした。
ぶるぶる震えるそれは、見間違えでなければアポロンである。
クリフはぽとり、とバスティアンの膝にアポロンを落とした。

「どうしたんだ?」

『預かってきた』

「預かった?」

『今からセックスするから預かってくれ、と』

「あんの色魔……ッ」

バスティアンは怒りを爆発しかけたがびくびくするアポロンに気づくと怒気をおさめた。
クリフは何食わぬ顔で欠伸している。
仕方なくバスティアンはアポロンを抱き上げた。

「大丈夫だ。怖いことは何もない」

『ピィ……』

「大丈夫」

ポンポン、と背中を叩いてやるとアポロンは泣き止んだ。
おずおずと抱きついてくる小さな体に不覚にも胸キュンしてしまったバスティアンは珍しく仕事の放棄を決めた。
だいたい、バスティアンは子供が好きなのだ。弟もいたし、長男気質だし、クリフだって甘やかしてはハレスに呆れられるほど。
そのバスティアンにアポロンを預ければ、可愛がるのは当たり前だった。
それを見越してハレスはクリフに預けたのだろう。策士だな、とクリフは半分眠りながら考えた。

「何して遊ぼうか」

『ぴい、ぴぎゃっ』

「ははっ、そうか。よーし、じゃあ姿勢を低くして」

バスティアンはアポロンを床におろし、目線を合わせてひざまずいた。
こそこそと何事か耳打ちしたあと、ゆっくりとクリフに近づく。
気づかないクリフはだらっ、と寝こけていた。


「行け」

『ピィッ!』

『ガフッ!』

アポロンはクリフに突っ込んだ。うたた寝していた無防備なクリフは腰を直撃した角に悶絶する。
その間に耳やらたてがみやらを乳歯で噛まれ引っ張られ、クリフは唸った。
噛まれるのはいいが、引っ張られるのは痛い。
バスティアンは「上出来だ」と微笑みアポロンを撫でた。

『ガルッなんだ?』

「狩りの練習だ」

『ピィイッ』

こんなに小さい頃から戦闘種族の片鱗を見せている。
たてがみにしがみつきまごまごと噛みつくアポロンにクリフは苦笑し、苦悶の声をあげた。


『敗けだ、おれの敗けだ、あー苦しい』

「よし、トドメだアポロン」

『ぴいっ』

『がうっ…がくっ』

クリフはびくりと体を震わせがくり、と臥してしまった。
喜んでいたアポロンとバスティアンもずっと起き上がらないクリフに戸惑いはじめる。

『ぴ、ぴぎゃ?』

「クリフ?おい」

ゆさゆさと揺すってもウンともスンとも言わない。
まさかと思いながら言い知れない不安に駆られた。

おい、とクリフの顔を覗きこんだ瞬間バスティアンが押し倒されてアポロンは悲鳴をあげた。

『ぴぎゃぁあっ』

「いったた」

『ガウッ捕まえたぞ』

「死んだふりしたな、卑怯な」

笑いながらバスティアンはクリフの髭を引っ張った。
雄々しいそれは敏感で引っ張られると激痛が走る。

『痛いっ!』

「ははっ」

バスティアンは笑って手をはなした。仕返しのようにクリフはバスティアンに体重をかけた。
重い、と騒ぐバスティアンの手を肉球で床に押し付ける。
ガフガフとバスティアンの顔を嘗めるクリフにアポロンは抱きついた。

『ぴぎゃーー!(クリフおにいちゃん)』

「ずいぶんなつかれたな」

『うむ』

そのうち遊び疲れたのかうとうとし始めたアポロンを抱き寄せバスティアンは起き上がった。
クリフがまとわりつき、暖かい毛皮を背もたれにバスティアンはアポロンをそっと抱き締めた。

「…かわいいな」

『うむ』

「ハレスに似てる」

『クローンだからな』

クリフはふわぁとあくびした。
正直中身は正反対だが、育つ環境が違えばハレスもこうだったのかもしれない。
癒しでありながら生き残る為には、自分への甘えも周囲への甘さも切り捨てるしか無かった。
ハレスがそんな生き方をアポロンにさせまいとしているのが傍目から見てもわかった。

「クリフ」

『ん?』

「ちゃんと俺が産む」

『ゲフッ』

思わずクリフは咳き込んだ。
バスティアンは真顔である。

「結婚も婚約もしてないがいつか子供を作るならクリフの子がいい。そのときは、俺がちゃんと産むから」

『いきなりどうした』

「…クリフが、子供を欲しそうだから…」

クリフは目を剥いた。
子供を欲しがったつもりはないが、確かに何回かバスティアンの子はかわいいだろうと考えたことがある。

『だが、雄が孕むのは凄まじいリスクのはずだ』

「なんだ、調べたのか。まあ元々産めない雄を孕めるように改造するんだからな」

『そんな危ないことはさせられん』

もし子供をつくって死なれたら、本末転倒である。
だがバスティアンは笑って済ませた。

「命を産むんだ。命くらい懸けるさ」

『バスティアン』

「お前の血を残したいんだ」

ちゅ、とクリフの口の端にキスしたバスティアンは微笑んでアポロンを撫でた。

『だが純血を残す話はどうするんだ…』

「…そんなものは後に考えるさ」

すり、とクリフはバスティアンに頭を寄せた。
おそらく想いが通じてからずっと考えていたのだろう。純血で貴族のバスティアンは血筋を守ることに重きを置いている。それでもいつかクリフの子を、と言ってくれたバスティアンが愛しかった。

『…ありがとう』

バスティアンはぼふぼふとたてがみを撫でた。

「…いいんだ」

『ぴう』

もしかしたらいつか別れるかもしれない。どちらかが先に早く死ぬかもしれない。
クリフの血は、自分が遺したい。自分が生んだクリフの子が欲しい。

普通ならとっくに結婚して子がいるはずの年齢だから、余計にそう思った。


生まれてはじめて、王以外に命を懸けることを、自分に許した。

『愛してる』

「うん」

そしてふたりは優しいキスをした。






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あきゅろす。
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