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黒の誓い
 13



燈籠本部に戻ったクロは驚愕した。
あわあわと走り回る隊員。溜まった埃、混雑する業者。燈籠に入って以来、これほど混乱した燈籠は見たことがなかった。

とりあえず談話室へ向かったクロだったが、その選択をすぐに後悔した。

入った瞬間に襲いかかってきたのは、ひどく重い怒気。イライラが空気中を侵略して部屋中を暗くしている。
その発生源であるシャンは視線だけで殺されそうなくらい不機嫌で、下手に近づけば自殺行為だとすぐにわかった。
しかも、シャンだけではない。エドヴィンは洗濯物がたまってる、とわめき、チャンホウはミネラルウォーターを不機嫌に飲み、双子は食糧がどうのと慌ただしく行き来している。


「…どういうことです?」

「あ!クロちゃんっお帰りぃ。それがね、何をどれくらい仕入れればいいかわからなくって…お肉あったー?」

「えっ?お酒?いつもは…?わからないわっ」

双子は電話を片手に駆けずり回っているのでクロはエドヴィンの隣に座った。

「失礼します、ボスッ、劉一家が動くと噂が」

「ボス!東のファミリーが…」

「ボス、依頼が来ました」

「こっちもですっ」

「パーティーの招待が…」

「依頼と隊員補充の件で…」

「ボスッこっちも…」

ひっきりなしに現れる隊員によりもたらされる膨大な情報。
唖然とするクロの前でシャンは額に手を当て、すべて受け取った。

「エレナ!紅茶まだぁ?」

「待ってね、今…クリーニング?こっちよ」

「むぅ」

チャンホウは不機嫌さを一層増してミネラルウォーターを放り投げる。それにアツィオが怒るがどこ吹く風だった。
あまりに混沌とした空気に、クロは純粋に聞いた。

「次席は?どうしたんです」

その瞬間、ビシッ、と空気が凍りついた。
ボオッ、とシャンの椅子から火柱が上がりかけるが、押さえきれる氷虎はいない。
不思議そうなクロにエドヴィンはあわてて耳打ちした。

「リー、家出したの!空気読めてないなぁ」

「…家出?」

「なんかあったみたいなんだけど。そしたら業務ほとんど滞ってさ………食糧の仕入れとか業者とか情報の仕切り、リーがしてたから」

「…ああ」

クロは納得した。たしかに、各自の好みや、シャンの機嫌なんかを計算して食糧や酒の仕入れを調整していたのはリーだったし、膨大な情報を取捨選択していたのもリーだ。
使用人もタイミングがわからずに掃除や洗濯物が滞ってしまっているらしい。

「それで、この惨状ですか」

「ボスの機嫌最悪だし…リーいないから喧嘩とか治まんないし」

幼い頃から親のないエドヴィンやチャンホウやクロにとって兄のようで母のようだったリーが居ないだけで喧嘩は増え、乱闘騒ぎも起こったのだとエドヴィンはため息をついた。

「帰ってきてよリー………」

「…これが続くの、嫌なんですが……」

任務より疲れた顔をした幹部たちは一斉にため息をつき、シャンは灰になった椅子を放置して剣をひっつかみ出ていってしまった。


数分後、鍛練場から響いた悲鳴にクロは合掌した。





■■■■■







バン!と開け放たれた扉の向こうにヴァルディスを見てレオニクスは体を起こした。
朝日に照らされた美貌は少しやつれ、陰りがあった。ヴァルディスはつかつかとレオニクスに近づくとぎゅっと抱き締めた。

「え?」

「すまぬ、自ら命令を破るわけにもいかぬ故、3日遠ざけていた。お前が居らぬ夜は思った以上に長いものだ」

安心したように息を吐き、ヴァルディスは腕に力を込めた。
やつれたレオニクスに罪悪感が募る。

「大丈夫かヴィー、寝てないだろ」

「眠れなかったのだ」

「そっか」

レオニクスは嬉しそうに背中に手を回した。

寂しかったけれど、こうして来てくれたならもうどうでもよくなった。
甘えるように頬を寄せれば贖罪のようにことさら優しく頭を撫でられる。
ちゅっ、とキスもおとされてレオニクスは目を閉じた。

暖かい腕の中で、眠気が襲ってくる。

肩に顔を埋めて眠りに落ちた。ヴァルディスは3日ぶりに触れたレオニクスを支え、その頬に口づけた。

ヴァルディスを手に入れて、世界を手にしたも同然なのに、ヴァルディスしか欲しがらないこの男がどれほどいとおしいか、きっと誰にもわからないだろう。

もうあんな命令は絶対しないと誓いながら、ヴァルディスもまた眠りについた。




■■■■








その頃リーはシュウ港にいた。
長かった黒髪はばっさり切られ、ショートカットにされておりスースーするうなじをしきりにこすっていた。長袍を着込んだだけだが氷虎なだけあって寒さには強かった。

潮風に目を細める。
海の波に揺れる小舟が哀愁を漂わせ、リーはがしがしと髪をかいた。
思い出すのは燈籠のことばかりで、冷静な自分と感情的な自分の折り合いがつかない。

今日は旧友であるタラゼドがここに来ると言うので待っていたのだ。

定期船から降りてくる人々は思い思い、解散していく。
その中にお目当ての男を見つけリーは手をあげた。

「タラゼド」

「おぅ」

タラゼドは葉巻を吹かし相変わらずの態度で降りてきた。
リーに近づくと目を丸くする。


「おめー、その髪どうした」

「失恋」

「とうとうか」

最後に会った時より老けたが、精力は失われておらず頑健な肉体をコートに包んだタラゼドは酒屋に向かいだした。
リーもおとなしく港町の酒屋の扉を押し開ける。他に漏れず柄が悪い連中ばかりだったが陽気な空気で酒も悪くなさそうだ。
いつの間にか代替わりしていた女将にウィスキーを頼み、コートを脱いだ。

オールバックにしたロマンスグレーはふさふさで禿げる兆しもなく、ワイルドなハードボイルドぶりも健在らしいタラゼドはロックでまずは一杯飲み干した。

「お、変わらないな」

「バカ言え。おめーはかわんねーのに俺は老け込んでいきやがる。いやんなるぜ」

「人間は短いよな」

「数百年も生きる気力はねえよ」

葉巻を灰皿で潰したタラゼドにチーズや干し肉を勧め、リーもまたウィスキーに手を伸ばした。

「ハイニール君に会った」

「へえ?」

「大きくなってたぜ。若い頃のあんたによく似てる」

「あいつは甘くていけねえ。甘やかし過ぎたのかもな」

「カリスマはありそうじゃねえか」

「両方堅気にはならなかった。ヤクザのカリスマなんかねえ方がいいってもんだ」

「堅気にしたかったのか」

リーは意外そうに尋ねた。
「当たり前だろ」とウィスキーを飲んだタラゼドは続けた。

「ガキにヤクザになってほしい親がいるかよ」

「だなぁ」

「ま、血は争えねえのかもな」

タラゼドは肩を竦めた。小さく笑ったリーのほうにわずかに身を乗り出す。

「ところで失恋って告白したのか」

「するわけねーだろ。バレてたんだよ」

「ふられたのか」

「触れられずに流された」

さすがに平気で居られなくて家出した、とリーは笑って見せた。

「ま、キリ嬢へのシャンの姿見てたし、今さらなんだけど、やっぱりつれえな」

「…でもおめー」

「どうせ初めから、叶わねー恋だったんだ」

タラゼドを遮り、リーは喉の奥を震わせた。

「笑えんだろ。仇だったシャンに近づいて、いつの間にか復讐なんて出来ねーくらい好きになってた。婚約者殺した雄好きになっても、うまくは行かねーよな」

「そうだったのかよ」

「シャンは知らねーけどな。…殺せるわけがねえ。あれほど、戦う姿が美しいと思ったことはなかった」

「…バカだな。おめーはよ」

「ははっ、かもなぁ」

タラゼドはあごひげを撫でた。
見慣れないショートカットのリーはさっきからピッチが早い。
自覚している以上に堪えているようだった。

「で?燈籠にはもどんのか」

「おう。次席だしな」

「そうかよ」

葉巻に火をつけたタラゼドはウィスキーを足した。ふかす煙にリーは鼻にシワを寄せる。虎族のリーに葉巻はキツすぎた。

「人間ってわかんねえ」

「単純だぜ。欲に際限がねえだけだ」

「弱すぎだろう」

「だから機械や団結に頼るんだろ。人間なめんじゃねえぞ、下手すりゃゴキブリより生存力あるぜ」

「同感」

ウィスキーを足そうとしたリーをタラゼドは制した。
怪訝そうなリーからボトルを取り上げる。

「おめー、強くねえだろ」

「は?」

「男を忘れるには男に限るぜ」

タラゼドがニヤリと笑った。

「昔みたいに抱かせろよ」

年を感じさせない男くささにリーは苦笑し頷いた。

「先にへばらないでくれよ」

「誰に言ってんだ」

「伝説の盗賊に」

タラゼドは喉の奥で笑った。
昔、出会った頃はタラゼドはまだメイリーンと出会う前だった。
盗賊として名前が売れ出したタラゼドとたまたま仕事現場で出会い、そのまま関係を持ってしまったのだ。

そのあともタラゼドが結婚するまでたまに抱き合う関係は続いた。

「行くか」

「もう飲まねえの?」

「酒なんかいつでも飲める」

適当にガドルを置き、立ち上がったタラゼドはコートを羽織った。
義手の右手だが光機関と魔術の融合技術のため神経が繋がっているらしくまったく不便はなさそうだった。

「何日くらい滞在するんだ?」

「決まってねえが明日にはここは出てくぜ」

「早いんだな」

「いつものことだろ」

リーも立ち上がり酒屋を出た。
吹き付ける風に首を竦め、活気ある港町を歩く。
宿屋が並ぶ一角のひとつに入り、料金を支払って階段を上がった。

部屋に入るとリーはタラゼドと貪るようにキスを交わした。もどかしげに服を暴き、ひげのまばらに生えた頬をつかみ、後頭部に手を滑らせていく。


ただ一時でよかった。

忘れさせてくれる男の胸にすがって、リーは泣いた。







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