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黒の誓い
 12



ばんっ、と開け放たれたドアを見てシャンは眉をひそめた。
談話室にずかずかと乗り込んできたのは双子の片割れエレオノーラであり、たくましい腰をくねらせてブーツをならした。視覚の暴力にシャンは目をそらす。

「暑苦しいっ、きもいよエレナ」

「んまっ!後で覚えてらっしゃいエド」

たまらず罵声を浴びせたエドヴィンにそう言い置き、エレオノーラはシャンに詰め寄った。

「ボスっ、大変よっ」

「あ?」

「リーが、家出しちゃったのよ!」

「…あ?」

シャンは思わず聞き返した。
エレオノーラがしなをつくって床にしゃがみこみ、シャンの膝をつかんだ。
嘆いているようなその顔とは裏腹にミシミシと力を込められる。

「家出って…リーが?!」

「そうよ!いずれ戻るから心配しないでくれ、って書き置きがあったわ!」

エドヴィンは「嘘ぉ」と呟いた。
エレオノーラはシャンを見上げる。暑苦しい筋肉と禿げが眩しくてシャンは殴り付けたくなった。

「なにしたのボス!」

「んもしてねえよ」

「嘘おっしゃい!ボス命のリーが家出したのよ、原因はボスしかないわ」

「うるせえ近え黙れ離れろ」

至近距離でわめくエレオノーラを今度こそ殴り飛ばしたシャンは眉間のしわをさらに深く刻んだ。
殴られたエレオノーラは後ろに倒れたもののすぐに起き上がった。

「ボス!」

「うるせえ、殺すぞ」

「もうっ」

シャンはばっさりと切り捨てた。
リーが家出した、と聞いて機嫌が急降下したのは間違いなかった。ひしひしと伝わる怒気にエドヴィンは目をそらしてとばっちりを避けようと試みる。

「何したのよぅっ」

「…」

「ボスっどうするの?捜すわよね」

「放っとけ」

「ええ!?」

「そのうち戻ってくる」

「…戻らなかったら?」

エドヴィンが震える声で訊ねた。
なにか期待をこめて、見つめる眼差しをシャンは無視した。

「好きにさせてやれ」

「ボス!」

「リーの一生だ。いい加減好きに生きさしてやれ」

それ以上の問答は黙殺し、シャンはイラついたように目を閉じた。





■■■■




同刻、魔界の城でレオニクスは項垂れていた。
レオニクスの前には、碧の軍服を着た若いグリフィンが立っており、いましがた王の伝言を伝えたばかりだった。
15畳はあるかという部屋は暖色の壁に白い家具が誂えられていて全体的に女の部屋のようである。
天井には絵が描かれ、壁には王の紋章が刻み込まれて床はふかふかの絨毯が敷かれている。その絨毯を惜しみ無く踏みつけているのはキングサイズの天涯ベッドであり、サイドテーブルには銀の水差しが置かれていた。
豪奢なこの部屋は、先代王妃の部屋だったらしく、レオニクスはここ数日ここに寝かされていた。
政府棟へも自由に行けず、用事やお誘いをこうしてヴァルディスの近衛から伝えられて初めてレオニクスは婚約者に会えた。それも食事なら食事だけ、散歩なら散歩だけという有り様である。

「陛下から伝言です。今宵は行けぬ、と仰せでした」

「はぁ………あの、なんでいちいち伝言を?いつもみたく会えばいいじゃないですか」

「それは仕方ありません。普段のレオニクス様への陛下の態度のほうが、特別もよいところでございましたので」

「は?」


近衛は微笑んだ。

「通常、陛下がお呼びしなければ政府棟へ妃殿下は参りませんし夜もお越しを待つのが普通でございます」

「えぇっ!?」

「それでは」

一礼して出ていく近衛を見送り、レオニクスはばふっとベッドに倒れこんだ。
目を閉じれば、浮かぶのはヴァルディスの姿ばかり。あまりに寂しくて、もっと会いたくて、たまらなかった。

ずっと一緒にいたのに、今は間にいくつも壁がある気がする。

「だいたい、悪いことしてない…」

ただ、ヘリオスがあまりに痛ましかったから、手をかした。ヴァルディスに頼めば、たしかにシトラスをつれてきたかもしれない。でも、そうじゃないのだ。それではダメなのだ。
本当に欲しいなら、ヘリオスが動かなければならないのだ。強大な兄に歯向かうほどの力を、出して、手に入れなければ。それほどの思いでなければ。

「ヴィーのばーか、浮気してやる………」

与えるのに慣れすぎて、守ることに慣れすぎて、きっとヴァルディスは一生ヘリオスやレオニクスの気持ちはわからないだろう。
育った環境が違いすぎるのでそこは突っ込まないが、何でも与えればいいわけではないとなんで私生活では気づかないのだろうか。
レオニクスは背を丸めて考えた。
遺伝かもしれない。シリウスの血は濃いから、思考も似たのかもしれなかった。
だとしたら、いずれヴァルディスもああなるのだろうか。
しかしその可能性をレオニクスは自分で否定した。根底が違うから、結局シリウスのようにはならないだろう。

「…」

レオニクスは体を起こし、ポケットからロケットを取り出した。
年季の入ったそれは父、シャンから譲り受けたものである。かちりと開けば、家族画が嵌め込んであった。

「…母さん」

微笑むキリェルは本当に幸せそうだった。

「母さん…ヴィー、許してくれないのかな………まだ怒ってんのかな」

レオニクスはロケットと会話を始めた。
いつもならしないが、今回は参っていた。さっさと会いにいっても、将軍クラスに追い返され、突破できない。
ディシスやバディドたちが元気づけようとしてくれたが気が晴れなかった。
たった三日で三キロは落ちた。元々贅肉がないから、頬なんか窶れている。

「うん。……なんか怒ってるわけじゃなさそうなんだけど…」

はぁ、とため息をつく。
会うたびに目をそらされ、近づきすらしてくれない。
あの美しい王を愛してやまないレオニクスにとって、死んだ方がましなくらいきついお仕置きだった。

「触りたい…………抱き締めたい…うん、気持ちいい……父さんあったかいから…うん、そうそう」

会話が成立しているようだが、それはもちろんレオニクスの脳内のみである。傍目から見ればただの怖い人だ。

「うん、うん…………ん?」

レオニクスはノックの音に会話をやめた。
「どうぞ」と声をかければ、ドアが開きひとりの男がするりと入ってきた。
ぱっと目を引く群青色の髪に、尖った耳。裾の短い軍服を身に付け、ひょろりとしたその男はひしひしと不信感を全面に押し出した黒い瞳をレオニクスに向け、敬礼した。

「失礼します。大将軍の使いで参りました。ダークライト・レイ、魔界軍本部中将です」

淀みなく、はっきりとした発音は軍らしかったが、なにぶん古代語でよくわからなかった。

首をかしげたレオニクスに気づいたレイは表情を変えずにクロノス語で繰り返した。複雑な古代語にくらべ簡単なクロノス語は魔界の第二言語のようなものになっていた。

「あ、レオニクス・ザーヴェラです」

「存じております」

にこりともしないレイにレオニクスは戸惑った。魔界軍では珍しく軍長靴をはいたレイはステッキを持っていておそらく仕込み杖であることは容易く予想できた。

「大将軍に様子をうかがってこいと仰せつかりましたので参りました」

「バスティアンさんに?」

「はい」

「じゃあ、とりあえず話しますか?」

「仰せのままに」

レオニクスは内心困り果てていた。
会話が続かない。よりによってロボットのような男を寄越されてしまった。
とりあえず座らせ、向き合う。

レイはビシッと姿勢を正したまま、ぴくりともしなかった。

「……あの」

「はい」

「レイ中将の種族は…?」

「父が黒竜、母がエルフです」

「あ、同じか」

「同じとは?」

「おれも混血です。父が炎虎、母が人間」


初めてレイはレオニクスを見つめた。
一緒ですね、と笑うレオニクスは気づかなかった。

「キメラって、結構扱い悪いですよね。ハーフの何が悪いのか、わからないんですけど」

「…純血は誇り高いものです」

「実力主義の魔界じゃ、意味ないですね、それも」

「レオニクス様はそう思われますか」

「血筋はたしかに大事ですけど、驕りと誇りは違いますから」

レイは目をそらした。

「…陛下が、レオニクス様に会われない理由をお伝えします」

「へ?」

「三日間、触れずに居られるほど陛下はレオニクス様を愛してないわけではない、ということです」

「はい?」

「おそばにおけば、御自ら下されたご命令を破ってしまいそうなので、このようになさいました。明日には戻りましょう」


レオニクスの顔が赤くなった。
レイは相変わらずの無表情で立ち上がった。
言うつもりは無かったが、あまりにレオニクスが憔悴していたのと好奇の目でレイに質問責めしてこなかったので教えたのだ。

「では」

「はい…あっ!レイ中将って確か」

立ち去ろうとしたレイは足を止めた。
レオニクスは嬉々として言った。

「アイレディア戦で、地上戦の指揮してましたよね?」

レイはわずかに目を見開いた。

「よくお分かりになりましたね」

「覚えてますよ。よかった、生き残ってらっしゃったんですね」

「はい」

「お疲れ様でした。今日はありがとう。今度、手合わせでもしてください」

レオニクスは嬉しそうに笑うとレイの肩に手をおいた。

「バスティアンさんによろしく」

「はっ」

ばいばーい、と見送ってくれたレオニクスとわかれ、歩き出したレイはぼそりと呟いた。

「変な人」


コロコロ変わる表情。
直接的で、愛想がよくて、きっと本当にヴァルディスのことが好き。

敬愛し尊敬する王が、レオニクスを選んだのが最初はわからなかったけれど今ならバスティアンの「会えばわかる」と言った意味がわかった。


確かに、会えばわかる。


まるで、海のようなひと。


幸せになってほしい、と柄にもなく思って、照れ隠しに咳払いをした。






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