黒の誓い
11
「戻ったぜー」
「あ?リーか」
「おー」
燈籠本部は広いようでちょっとしたお屋敷程度の大きさである。選りすぐりの隊員は常に半数程度、任務に出ていて、いつも閑散としていた。燈籠本部の奥まった場所にシャンの執務室があった。燈籠と看板が掲げられた横に、大きめの肖像画が掛けられている。中で微笑むのは赤ん坊を抱いた女性だった。大きな目と、茶色の髪。紛れもなく、シャンの最愛の妻であった。
ぼんやりとキリェルの肖像画を見上げるシャンの肩をたたきリーはデスクに腰かけた。
キリェルとまだ赤ん坊のレオニクスが描かれたその肖像画は精巧で、今はもう居ない彼女を鮮やかに思い起こさせる。
「シャン」
「なんだ」
シャンは肖像画から目をはなさなかった。リーはちり、と走る痛みから目を逸らしてわざと軽い調子で聞いた。
「俺を、今でも恨んでるか?」
「あぁ?」
「今でも俺を恨んでんのか?」
「どういう意味だ」
「しらばっくれんなよ。お前、俺を恨んだだろ」
シャンは眉をひそめて振り返った。
リーは相変わらずの表情で見返した。その瞳にはわずかな動揺が見てとれた。
「なんの話だ」
「キリェルのことだよ」
「キリだと?」
「キリ嬢が死んだとき!おれのせいだろうが!」
「あぁ?」
「キリ嬢にアイレディアでの任務を割り振ったのも、ヴェレはあぶねえからレオン連れてけっつったのも俺だろうが!」
リーはバンッとデスクを叩いた。
シャンはぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「それがなんだ」
「キリ嬢が死んだときも、おれはお前を行かせなかった。燈籠からだれも、向かわせなかった!あのとき俺が止めなけりゃ、レオンまで失わなかったかもしれねえ」
「今さら何がしてえんだ」
「今だからだ。今だからはっきりさせてえ。シャン、お前は今度こそ何があったってレオンのために動くんだろ」
「あたりめーだ」
「なら尚更だ。俺を恨んでんのか。なんで、なんで一言も責めねえ。なんで俺に怒りをぶつけねえ!?」
リーはシャンの胸ぐらを掴んだ。
ながくパートナーをしていて、シャンの胸ぐらを掴んだのは初めてだった。
至近距離でオッドアイを見て、柄にもなく泣きたくなった。左目が、彼の息子とあまりに似ている。
「なんでお前にぶつけなきゃなんねえ。キリもレオンも、俺の過失だった。てめえのケツをお前にふかせるわきゃねーだろ」
「バカ言うなよ!だったらおれは何なんだ!おれァお前を守る最後の砦だろうがよ!お前の怒りもなにもかも、受け止めるためにいるんだろ!?」
次席として、パートナーとしてでいい。その役目さえ満足に果たせなかったら、リーの存在意義は無くなってしまう。
シャンはリーの胸ぐらを掴み返した。
「あぁ?殴ってほしいのかよ!キレられてえのか!?今さら過ぎんだろうが」
「キレろよ!その方がずっとマシだった!もう限界なんだよ、おれはお前の何なんだよ、そこらへんの部下と同じか!?あぁ?お前の背中をずっと見とけってのかよ、ひとりでキリ嬢を見つめるお前の背中を!」
「俺がいつお前を後ろにおいたよ!」
「ずっとだよっ!キレろよ!頼むから、俺のせいだって殴れ!キリ嬢をひとりで思ってもう背中見せんな!」
リーは怒鳴った。
キリェルを亡くして、行かせなかったリーにキレることもせずにすさんでいった背中も、肖像画を見上げて泣く背中も、ずっと見てきた。
背中を見せられるためにいるわけじゃない。怒りも悲しみも分かち合った相棒だったのに、もう見せてくれない。
いつのまにか、リーはただの部下になってしまった。
キリェルなんかよりずっとずっと、ながくシャンを愛していたのに。
「恨んだだろ、怨めよ、許すんじゃねえよ…」
「別に恨みゃしねーよ」
「なんでだよ」
「泣くほど苦しむ奴を恨めるわけねえだろ」
「…え?」
シャンは胸ぐらを解放しため息をついて耳をピョコピョコ動かした。
「キリが死んで、俺を止めた日の夜、てめー泣きまくってただろ。一晩中。てめーに怒りぶつけに行ったら聞こえたんだよ馬鹿が」
「……全部?」
「ったく。俺より泣きやがって。つられてドアの前で俺まで泣いちまったじゃねーか」
「あ、あのときの、全部聞いたのか!?」
「おぅ」
リーはふらふらと後ずさった。
たしかに、あの日の夜、リーは泣きわめいた。ひとりで、後悔と懺悔と、シャンへの想いを織り交ぜて泣いた。
あれを聞かれてたなら、シャンへの想いを聞かれていたことになる。
「だから、てめーに恨みも怒りもねえし、俺のぶんまで泣いたてめーに免じて、アイレディアに殴り込みもしなかった」
「嘘だろ…………」
リーは顔面蒼白で座り込んだ。さっきまでの勢いはどこへやら、隠し続けていたものが実は知られていたショックに頭がついていかない。
「おれはお前を他と同じにしたつもりはねえし、今さら、怒りも恨みもねえ。ま、よく二十年間もお前キレなかったと思う」
「………」
「キリェルが死んで、つけこもうなんてどうせ考えもしなかったんだろ。そんなてめーを信頼してねーわけねーだろ馬鹿が」
シャンはリーの横をすり抜けた。
「わかったらしっかり立っとけ。おれの相棒はてめーしかいねえんだ」
ぱたん、と扉がしまる。
衝撃覚めやらないままキリェルの肖像画を見上げたとき、リーは自分が失恋したことをはっきりと悟った。
■■■■
ブラックはいつものごとく白いフードをかぶり手を組んで首都ラ・ベーテを一望できる展望台にいた。
吹き抜ける風に乗って漂ってきた香りに口元を釣り上げる。
「emperorちゃん。なんやぁ、王の後はボクぅ?」
「………」
黒いマントをすっぽり被った男は黙っていた。
ブラックは笑みを崩さないまま、くるっと向きを変えた。
「ジャッジメントに睨まれるようなこと、してへんけどなぁ」
「有罪だったんだ。裁きは下された」
「じゃァ、ボク死刑やねぇ」
ブラックは変わらない調子だった。死刑執行人を前にしてこの余裕は、異質に他ならなかった。
強がりかとも思われたが、目が隠されている以上その真偽は分からない。
「emperorちゃん。ボクを殺す?」
「その罪を死を以てして贖え」
emperorは冷たい声音で言い切った。感情の一切を削ぎ落とされたその声音は十代から死刑執行人として教育され、執行してきた経験の賜物である。
ブラックは小さく笑った。
「ボクが生きてるのが罪?」
「…」
「ボク、やすやすと命あげへんよ?君とおいかけっこすんの、なんや楽しそうやし」
emperorが動いた。マントの中に手を入れ、愛用のオートマチックの銃を取り出した。ブラックは素早く何かを投げつけた。キラッと光ったそれをemperorは反射的に撃ち落とした。ガァンッガァンッと独特の銃声が響き渡る。
すると撃たれたそれから煙幕がまかれ、視界が一気に悪くなった。
「…チッ」
ブラックは逃げたかと目を左右に動かしたとき、気配を感じてemperorは銃を持った右手を背後に向けようとした。しかしそれより早く蹴りあげられ、銃はからからとコンクリートを滑った。同時に膝裏を蹴られ膝をついたところで手を踏みつけられた。ゴツ、と額に銃を突きつけられたころ、煙幕が晴れた。
よくみればその銃はもうひとつのemperorの銃である。すられてしまったならもう成す術無し、とemperorは片手をあげた。
「逆転や」
「…強いな」
「普通に戦っとれば負けとるわ。な、emperorちゃん」
ブラックはニヤリ、と笑った。
emperorの片腕を蹴り、踏んでいる方も蹴った。
じぃんっと痺れた両腕にemperorは顔を歪める。
「大丈夫。一時間もすれば元通りや。ま、すぐには動かんやろうけどね」
「殺さないのか」
「殺さへんよ」
ブラックは言うと銃を懐に戻してやった。
生理的な涙を浮かべるemperorの、髭の生えた顎を掴み、顔を近づける。
フードが外れ、現れた顔は男らしく、角ばった顎は震えていた。
「怖い?」
「っ!」
emperorは息を飲んだ。
狂いそうになる。ブラックと、目をあわせるだけで気が触れそうになる。
壊れてしまいそうで、体が震えた。
「emperorちゃん」
ブラックはemperorと目線を合わせた。避けられないようにガッチリと顎を捕えた。
さら、とブラックの前髪が一瞬だけ翻った。そのガラス玉のように透き通った瞳に、emperorは知らずビクッと肩を跳ねさせていた。
ブラックが口を開く。その声は、ふざけてなどいなかった。
「私を殺したかったら、追いかけてきなさい」
「…ぇ」
ピン、ッと糸が張り詰めたような緊張感が走った。
ゾクッと体の奥底から湧き出る恐怖。
未知の存在に、底の見えない存在に、本能が警鐘を鳴らしていた。
しかしブラックはにんまり、と笑みを浮かべ、ころっと態度を変えた。
「せやせや。君、気に入ったわ」
「……っ」
ぬる、と唇を走った感触。舐められたのだと気づいた時には塞がれていた。
「っ、んっんぅぅっ」
「やーらしい目」
性的なものを一切近付けてこなかったemperorは誰かとキスをしたこともなく、傍若無人に口を犯してくる舌を気持ち悪がりながら翻弄されていた。
暴れようにも手は使えず、蹴ろうとすれば上顎を擽られて力が抜ける。
「んっーっふぁっ」
「ふふ。ボクの暗殺に失敗したら抱くで。抱かれたくなかったら殺すんやな」
「だれがっ……!っ汚らわしいっ触れるなっ」
「敬虔やねえ。操立てたって意味ないで。神にやるくらいならボクにくれやぁ」
ブラックは嫌がるemperorに構わず首筋を吸い上げた。
ちり、とした痛みを残して顔をあげたブラックは吸った場所を撫でた。
「これが消える前においで。またつけたるわ」
「ふっざけっ」
「バァイ」
ブラックはひらひらと手を降り、さっさと踵を返した。
残されたemperorの罵声など右から左にながし、さぁこれから楽しくなるぞと珍しく普通の微笑を浮かべ、楽しそうに路地裏に消えていった。
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