黒の誓い
9
ローゼンを迂回し目立たないように城に入ったシトラスとヘリオスは待ち構えていたマリアに連れられて執務室へ直行させられた。
苦笑するマリアは「ごめんなさい」と言った。
どうやら、説得は失敗したらしい。
執務室の重厚かつ巨大な扉の前でひざまずく。憧れ続けたヴァルディスと会うとなり、シトラスは緊張していた。
しかし、扉が開き、最初に目にしたのは正座させられた5人だった。
一列に並べられた5人の前で黒髪の美青年が氷点下の眼差しを向けている。冗談でなく、温度が下がっていた。
「連れて参りました」
「マリアはさがれ」
「はい」
ばたん、と背後で扉がしまる。
一番右の茶髪の男が身動ぎした。
「悪かったって」
「黙れ」
「うぅ」
一蹴されうつむく。
ヘリオスはその5人の背中に申し訳無くなった。
右からレオニクス、ハレス、バスティアン、ジェズ、ゲオルトが正座させられている。こってり絞られたのかレオニクスやハレス、バスティアンはしゅん、となっていた。
ジェズやゲオルトの余裕は、年長者であるゆえか。
「ヘリオス。その雄は?」
ピシッとシトラスの背が伸びた。
ヘリオスはちょっと照れながら言う。
『私の護衛に任命しました。シトラス・ガーノルディです』
『この身に代えましても殿下をお守り致す所存にて…!!?』
シトラスは言葉を飲み込んだ。喉元に、いつの間にか銀色に輝く刃が当てられている。
確かに人型ではあるが、全くその動作が見えなかった。
ヘリオスが顔色を変える。レオニクスが「ワオ」と呟いた。
「動かなかったか。動いていれば首が離れていたものを」
「兄上!」
「貴様を護衛としては認めよう。ヘリオスの望みだ。だが」
ヴァルディスは一瞬でシトラスを仰向けに転がしドスッと踏みつけるとディシエルを突きつけた。
「もし手を出したりたぶらかせば、その命、無きものと思え。決して許しはせぬぞ」
無表情で無感動にしかし氷点下の眼差しでヴァルディスに言われてシトラスはごくり、と唾を飲んだが、果敢にも口を開いた。
「そればかりは、分かりません。心は、ままならないものです」
「ならば今首を落としておこう」
ヴァルディスはあっさり言った。目を見開くシトラスの上でディシエルが振り上げられる。
身をよじるがヴァルディスの足はびくともせず、シトラスが覚悟したとき、がばり、と誰かが被さった。
「兄上っだめですっ」
「ヘリオス」
「おやめください、どうかお許しになってください」
ぽろぽろと泣きながらシトラスにしがみつくヘリオスにヴァルディスは目をすがめ、ディシエルを下ろした。
ほっと息をついて睨まれ、慌てて目をそらした双璧の隣でレオニクスはやれやれと肩を竦めた。
「…勝手にせよ。もう知らぬ」
ヴァルディスは呟き、執務室を出ていった。
おそらく神殿に行くのだろうとレオニクスは後を追わなかった。
やっと正座から解放された5人は痺れた足に各々うめいた。ハレスとバスティアンは仕事に戻り、ジェズとゲオルトはシトラスを連れて行ってしまった。ヘリオスはレオニクスが引き受けた。
「頑張りましたね」
「あ、兄上に逆らってしまいました………」
「いいのですよ。さっきのは」
「でも…」
「大丈夫ですって」
自信満々にレオニクスは言ったのだが、果たしてそれは間違っていた。
このあと、レオニクスたちはヴァルディスの怒りを目の当たりにすることとなるのである。
□□□□
ヘリオスの外出は、その体の弱さから許されてこなかった。
ましてや、まだ回復しきっていない。
そんななか、ヴァルディスを騙し協力した挙げ句ヘリオスがぼろぼろになって戻り、当然加担者にはお咎めがあった。
見逃した双璧には鉄拳制裁が与えられ、二人はすぐに癒せるとはいえ骨折した。説得にあたった師二人には三日は徹夜確実の大量の仕事が回された。そしてヘリオスを焚き付けたレオニクスには、1日の接触面会会話禁止令が出されたのだ。
おまけに三日はキスもセックスもしてもらえない。
最後、極めつけにヴァルディスは城からも出てしまった。父親のもとへ行き、土下座するレオニクスに門前払いを食らわせた。
ヴァルディスが出たのにはひとつはレオニクス及びヘリオスに対して怒りを表してもいるが、自分の機嫌の悪さにより魔界に悪影響を与えないためであった。
シリウスに呼ばれたから行っていると表向きはなっている。
「どうしたのだ可愛い子よ。何に心乱されたのだ」
「父…」
「怒りか?……おお、そのように悲しげな顔をしてかわいそうに」
シリウスの神殿は闇に沈んではいなかった。明るさこそ無いものの元の権威を取り戻し、満ちていた悲しみは失せていた。
ヴァルディスは驚いたが吹っ切れた理由を薔薇だけが咲く棺の間を見て理解した。神殿の奥、いつもの部屋ではなくいつもシリウスが閉じ籠る寝室のベッドに腰かける今も、信じられないではいたが。
ヴァルディスが来たとき、シリウスはアルスと遊んでいた。息子の来訪に放棄して喜びいさんだものの、異変に気付きアルスは帰っていった。いつもの部屋はヴァルディスがいやがったので今までアルスとヴァルディスしか入ったことのない寝室に入れたのである。
サテンやビロードの幕が幾重にも垂れる寝台の上でヴァルディスの腰を抱き寄せ撫でたシリウスは優しく問いただした。
「父にいってみよ」
「わからぬのだ」
「わからぬとな?」
「俺に黙ってなぜあのような。望めば魔麒麟一匹どうにでもなろう」
「ふむ。察するにヴァルが許さぬと誰もが思ったのだろう」
シリウスはあっさり言った。
「……俺とてそこまで無慈悲ではない」
拗ねたようにヴァルディスは呟いた。
シリウスの前では自然と武装が解けるので居心地がよく、胸に巣食う怒りも消えていくのを感じた。
「可愛いヴァル、それでレオニクスはどうするのだ?」
「まだ会わぬ」
「レオニクスにも怒っているのか?」
「今回レオニクスは俺でなくヘリオスを選んだのだ。しかも焚き付けた。結果が良くても簡単には許さぬ」
「ヴァルが望むなら父は構わぬが」
ヴァルディスに最強親バカなシリウスがレオニクスの味方をするわけもなく神殿の前で謝りヴァルディスの名を叫ぶレオニクスを遮断した。
事情がどうであれヴァルディスが来たのだからシリウスの機嫌はうなぎ登りで、MAXを振りきっている。各世界で今日は受精ヒット乱発である。
「ヴァル、望みを言うてみよ。なんでもあげよう」
「そんな…いらぬ」
「寂しいではないか。父は出来ぬことはほぼ無いのだぞ」
「本当によいのだ」
最愛の息子に何をしてもしたりない。シリウスは抱き締めて頬や頭にキスしながら考えた。
抵抗しないヴァルディスはシリウスの服をいじっている。
「本当に良いのか?レオニクスをふたりに増やしてもよいのだぞ?」
「レオニクスが二人など御しきれぬ。よいのだ。父、居てくれるならそれでよい」
ヴァルディスという男はあらゆる面で完璧かつ非凡だったが、中でも父であるシリウスの機嫌を損ねないことにおいて天才的だった。
というよりもはや、ヴァルディスが何をしてもシリウスは落ち込みはすれ怒りはしないのだから、当たり前かもしれない。
ヴァルディスのバックにいるシリウスの存在は和解後、その影響力を増していった。シリウスの愛情はヴァルディスに受け入れられなつかれたことによって更に深まったのだ。
「可愛いヴァル。いずれちゃんとヘリオスと話すのだよ」
「うむ」
ヴァルディスは案外素直にうなずいた。
「父、俺は、間違ったのか?」
「間違ってはおらぬ。ただ、今回は時がなく、噛み合わなかっただけのこと」
「…許すべきか?」
「愛し子よ。時を知るのだ。じっくり見極めよ。それに今は心身疲れておろう。決断は伸ばしなさい」
シリウスはヴァルディスの左手を取ると嵌まる婚約指輪を撫でた。
海色のサファイアは、ヴァルディスの最愛の婚約者を表すものだ。
「けれども、愛したものだけは、いつでも忘れてはいけない」
「…」
「お仕置きが終わったら、たくさん甘やかしてあげなさい」
お前には、優しい愛が似合うから、とシリウスは微笑んだ。
「よい男だな。レオニクスは」
「…うむ」
ヴァルディスははにかんだ。喧嘩していても、誉められれば嬉しい。
レオニクスがなぜヘリオスに加担したのか、分からないほどヴァルディスは冷静さを欠いてはいなかった。
よい男なのだ。レオニクスは。
「そういえば父、棺の間はどうしたのだ。神殿も」
「父もやっと一歩進んだのだ。永遠を過ごしているとつい怠惰になっていけないな」
「一歩を?」
「私も、アルスもな」
ヴァルディスは少し寂しそうに眉を寄せた。
微笑むシリウスが、また遠くなってしまった気がしたのだ。
ヴァルディスは誤魔化すようにシリウスの上衣の刺繍を見つめた。
「良かったな」
「愛しいヴァル、本当にお前はいい子だ」
シリウスは繊細なガラス細工を持つときのように触れながら抱き締めた。この無邪気な抱擁や深い愛情が、もしかしたらいつか貰えなくなるかもしれない。ヴァルディスは無意識のうちに胸を焦がしていた。それは全くの杞憂なのだが、シリウスの愛情深さ故にそんな疑念がよぎったのかもしれない。
「ほらヴァル。好きなだけいなさい。好きなだけ好きなことをするのだ。父が何でも用意してあげよう」
ヴァルディスは本を所望した。
すると書物室までいかなくていい、とシリウスが作り出してくれた。
ヴァルディスが読み始めると邪魔だから、とシリウスは出ていこうとした。しかしそばにいて、と可愛いお願いをされ、その一瞬はその後数百年、シリウスの脳内をパラダイスにするのに役立ったという。
余談だが、翌朝ヴァルディスが神殿から出てみると幹部一同にヘリオスにシトラス、長老、そしてレオニクスが土下座して号泣していたので怒りも萎えてしまったらしい。(シリウスも敵に回さずに済んだようだ)
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