黒の誓い
8
四天王たちの助けを得てヘリオスがローゼンを出たのは夜になってからだった。レオニクスがヴァルディスを引き留め、バスティアンとハレスが部下を言い含めて見逃してくれジェズやゲオルトがバレた後の説得を引き受けてくれたのだ。
みなが口々に言った。奪い取れ、それが魔界の流儀だ、と。
ヘリオスはひた走った。夜の魔界は、非常に危険だとは知っていた。ローゼンを出てしばらく走った後は飛んだ。
左右上下から噛みつかれ殴打される。倒れれば終わりだと悲鳴をあげる体を叱咤した。
夜行性の種族が徘徊しているのが分かる。怯える心を押し隠し、ヘリオスはゲオルトに教えてもらった道を必死に飛んだ。
夜道に目をこらし、鍛えていない勘を駆使する。
自分でもどうして今こんなことをしているのか分からなかった。シトラスには迷惑なだけかもしれない。
深い森に入りながらヘリオスは頭をふった。
それでも、何も言わないより、ましなのだ。
『ピィィイ!』
突如、ヘリオスは翼に激痛を感じた。巨大な鳥に気づけなかったせいで翼を嘴で刺されたのだ。
しかも一羽ではない。連携攻撃にさらされながら、ヘリオスは体をひねった。首を伸ばしてガチッと鳥を捕らえる。ぶしゅっと血が口を満たし、鳥が断末魔の悲鳴をあげて絶命した。
生まれて初めての狩りに高揚することもなく吐き捨て、ヘリオスは体勢を立て直した。口の中に残った血も吐き出す。仲間の死に鳥たちは飛び去り、残ったのは翼と腹側の裂傷だった。
はばたく度に走る激痛に耐える。ぼたぼたと、吐血以外で初めて自分の血が流れるのを見た。
『っ…』
息が自然とあがる。
やっとの思いでシトラスの巣穴に滑り込んだころには出血で気を失いかけていた。
巣穴を捨てる準備をしていたシトラスは突然飛び込んできた黒竜に仰天し咄嗟に刃を向けたものの傷ついていると気づくと武器を捨てた。
「大丈夫か?おい…」
『し、シトラス…?』
「なんで俺の名前……まさか、殿下っ」
うっすらと開いたまぶたの下の真っ青な目を見てシトラスは信じられなさそうに呟いた。
しかしかすかに頭が上下して、目が微笑み、確信せざるを得なかった。
「なんて無茶を!夜のローゼンをあなたが飛ぶなど愚行にも程がある」
シトラスはあわてて傷を確かめた。
翼に二ヶ所、腹に五ヶ所の傷があり、いずれも深かった。
「バカ!待ってろ」
敬語も忘れてしかりつけ、救護セットを取り出した。
ヘリオスは片付けられた巣穴を見て間に合った、と安堵した。
シトラスは大型種族用の針を取りだし消毒をしながらヘリオスの傷を洗った。痛みにうめくヘリオスに言う。
「いたいからな」
『え?んぅうっ!』
ブスッと巨大な針が刺さりヘリオスは思わず唸った。
「麻酔が無いんだ。我慢してくれ」
痛みに暴れる鋭い爪を避けつつシトラスは手早く縫った。
縫う必要があるのは二ヶ所だ。翼は複雑なのでプロの処置に任せた方がいい。
腹は柔らかくより痛いのだろう。ヘリオスのうめき声は止まなかった。
「痛いだろうが、頼む、すぐ終わるから」
『んぁあぁあつ』
時には腹に乗り、時には飛んで巨大な傷の縫合を済ませる。
この痛みでは人型や変体型の維持も出来ないので本体のまま、処置しているのだがする方はとんでもない重労働だった。
縫い終わりぐったりするヘリオスを撫でて他の傷にも薬を塗り込みガーゼがわりに消毒した葉っぱを張り付け樹脂で留める。巣穴の奥、泉で体を洗って血を流したシトラスは本体をとって水気を飛ばし、ヘリオスに近づいた。
『ありがとう』
『なぜこんな無茶を』
詰問しながら顔を嘗め、隣に横たわる。
もさもさのたてがみに顔を寄せ、ヘリオスは言った。
『私はね、シトラス。生まれたときから、望まれない子だった。素晴らしい兄上に私は勝てるわけもない。勝負にすらならない。でも昔、そんな私がいいと言ってくれた人がいた』
シトラスは黙って聞いた。
『私はとても嬉しくて兄上のお心もその人の思惑にも気づけないまま、利用され、兄上たちを貶めてしまった。もし私があの人に告白していればその心を見抜けたかもしれない。私は私の臆病さで、なにかを無くすのはもう嫌なんだ』
ヘリオスは顔をあげた。
『君が結婚してしまうのがとても嫌なんだ。たった一晩で終わりたくない。き、君の上衣は私が縫いたい。まだこれが恋かもわからないし私は臆病だから、きっとすぐに、き、き、君と、その、だ、抱き合うこともできないけどっ、』
尻すぼみになりながら、ヘリオスはささやいた。
『君といたい……』
『…』
『君と離れると……胸がいたいんだ』
沈黙が横たわった。痛すぎる其れにヘリオスは俯いた。
迷惑だったのかも、とか、だめだった、とかマイナスなことばかり浮かんで泣きそうになる。
シトラスは大きな前肢でヘリオスに触れた。
『俺の名前は、シトラス・ガーノルディ。知っているか?』
『いえ…』
『かつて、近衛に所属しムーン・ブラヴァの護衛官を勤めながら彼の暗殺を謀った男だ』
『え…?』
『元々、魔界軍にいた。でも、旧時代、つまりヴァルディス様の支持者の代表格だったおれは目障りだったんだろう。ムーンの側につけられ、俺はその政治に我慢ならず暗殺を謀った』
ガーノルディ家は貴族ではない。異例の大出世をしながら、シトラスは名誉になんて欠片も興味はなかった。
『だがその暗殺は親父によって防がれ失敗。俺は除隊させられ失意のうちに放浪した。…ヴァルディス様の復活を知っても、志願する前に結婚して長になれと一族に言われ、抗う気力もなく従った。………おれはそんな雄だ』
誇りと信念に生き、挫折して腐れていった、ありふれた雄。
リーダーの器も補佐の頭脳もない、武力だけの雄。
『そんな雄なんだぞ。ヘリオス』
念を押すように言ったシトラスにヘリオスは微笑んだ。
『だって君は、優しいから』
『…』
『正直でまっすぐで不器用で、暖かいから』
『…』
『私を守ってほしい。側にいてほしい。今度は、私の護衛官になってほしい』
包み隠さず話してくれた。
叱責してくれて、治療してくれて、風からさりげなく守ってくれて毛繕いしてくれた。
ヘリオスをあのヘリオスと知っても、媚びへつらいも畏怖もしなかった。
巨大なその体躯に包まれる安心感と、あたたかさ。
『なってくれるかい?』
『…この身に代えても』
ヘリオスの伸ばした手を、シトラスが掴んだ。そのふさふさの体にすっぽり包まれて、ヘリオスは安心したように眠りに落ちた。
■■■■
翌朝、ヘリオスは言い争う声で目が覚めた。
『今さら結婚をやめるだと!?』
『すみません。ですが…』
『これ以上の勝手は許しておけぬと言ったであろう!』
『大声はおやめください。殿下が起きてしまわれます』
『殿下?殿下だと!このうつけが!』
言い争っているのはシトラスと老いた魔麒麟だった。
ヘリオスを隠すように立ちふさがるシトラスを魔麒麟が殴り付ける。びくともしないシトラスを殴ろうと魔麒麟が肉球を振りかぶったとき、穏やかな声が響いた。
『やめてくれないか』
『ヘリオス…?!起きたのか、傷は?』
『痛むけれど大丈夫。…すまない、私が頼んだのだ。どうか、許してくれないか』
ヘリオスは起き上がるとまっすぐに老いた魔麒麟を見つめた。
『私はヘリオス。ヘリオス・トゥ・ベルシオン。兄上にお子が無き今、第一王位継承者だ。私と、勝負するかい…?』
ヘリオスは穏やかだった。
おっとりとさえしていた。
しかし、その体に流れる血脈は確かに王家のものでありにじみ出る風格は魔麒麟を圧倒した。
昨日までのヘリオスとは、違うのだ。
『それとも、命令した方がいいのかい?』
『殿下…っ』
『シトラス・ガーノルディは私の護衛官を拝命した。護衛官はほかに守るべきものをもってはならない、よって結婚は認められず、あなたの異議は棄却される。…すまないね』
ヘリオスは傷ついた体を引き摺り、シトラスの前に出た。
『なにか、ほかにあれば兄上に直訴なされよ』
最後にちゃっかりヴァルディスの威光を借り、ヘリオスは笑った。
シトラスに詰め寄っていた魔麒麟は後ずさった。
『…分かりました』
魔麒麟がシトラスを睨み付けて出ていく。
とたんにぐらついたヘリオスを支え、シトラスは目を細めた。
『ありがとう』
『これくらいしか、できないから』
血の気がないヘリオスを見てシトラスは薬草を口に押し込んだ。
まずい、と吐き出したがるのを口を押さえて許さない。
『まずっ』
『よく効くんだ』
『んぅっ』
まずいまずいといいながら飲み下したヘリオスは翼を広げた。
『さっきのは誰だったの?』
『親父』
『お父上か…』
『起こしてしまってすまない』
『ううん』
シトラスはふさふさとしたたてがみを掻いて前肢を舐めた。
後ろ足でポリポリと首をかき、爪を研ぐ。毛繕いも済ませ、伸びをする。そしてヘリオスを寝かせ葉っぱを剥がした。
『化膿はしてない…』
『本当に?』
『ああ。痛いか?』
『ん…』
葉っぱを張り替え、樹脂を塗る。
『背に乗るか?』
『でも……』
『ローゼンに戻らないといけないだろう?』
ヘリオスはうなずいた。
広い背中に乗っかると意外に安定していた。
翼がない分、ぺたり、と乗っかれた。
『戻ったらきちんと処置してもらわないと』
『うん』
てくてくと森を進む。
そしてふたりは、史上最強のラスボスの待つ王城へ向かっていった。
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