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黒の誓い
 7



「チェックメイト」

「あ」

ことり、とクィーンを置かれアルスは唸った。ちなみに二勝二敗で迎えた最終戦である。チェスはなんとなく楽しかった。

「私の勝ちだ」

「負けた…」

かなりの心理戦だった。一手置くごとにその後の展開をシミュレートし、互いに裏をかく。シリウスの罠にまんまとかかってしまったアルスはため息をついた。
シリウスはこういうものが得意だ。深謀を巡らせ、じわじわと追い詰める性格の悪さには辟易する。

「相変わらず強いな」

「馬鹿を言うな。かろうじて勝った。我らは常に拮抗している」

シリウスは笑い、ふと違和感を感じたが気にせずにチェスの駒を放った。
遊具を押し退け、寝転んで泉の水を撫でた。
ゆらゆらと揺れる水面が次第に何かを映し出していく。これはよくシリウスたちが他の世界を見るときに使うものだった。
アルスは覗きこんだ。

「ん?」

「ほう」


水面に映るのは、ヴァルディスの様子。レオニクスを抱いている真っ最中だった。
なかなか頑張っている。
快楽を楽しむ二人の魂が歓喜しているのが分かり、シリウスは笑った。快楽の神でもあるシリウスの血を引くヴァルディスだ。その体はさぞ美味いだろう。

「こうして見ても本当に似ている」

「私に似ているから可愛がるのか?」

「当たり前だろう」

アルスはあっさりと言った。いくらシリウスの子でも似てなければ可愛がらない。
シリウスは微笑み、水面に目を移した。
水面ではヴァルディスがレオニクスを追いたてていた。

「そこで焦らすのだ可愛い子」

「5分くらいがベストだ」

「まだ若いか…そこはまだ与えてはならぬ」

「啼かす技術はまだまだのようだ」

冷静なアドバイスにヴァルディスからうるさいっ!と怒鳴られシリウスたちは仕方なさそうに水面を掻き消した。
愛の営みにいらぬ口出しは無用なのだろう、と成長にじーんと胸を暖める。

だがその穏やかな空気は、侵入者にぶち壊された。


「シリウス様」

シリウスは目を見開いた。その声は忘れようもない声だった。振り返った二人は、信じられないものを見るような目で見つめた。そこにいたのは、ピーターだった。




□□□□


死神に捕獲されていた004は先ほど最高神の領域が再構築されたときに侵入に成功していた。
追いかけてきた死神を睨み、アルスは忌々しいピーターを見た。
ピーターの魂が宿った人工生命体はシリウスに抱きついたが、拒否され弾かれた。

「ピーターは死んだ!近づくでない!」

「シリウス様…」

シリウスは脇目もふらずに神殿へ消え、ピーターは後を追った。
死んだはずの愛しき者が再び現れても、痛みしか与えない。
アルスはさすがに青ざめたニコをにらみ据えた。
ニコはびくり、と肩を震わせ、ひざまずいた頭を更に下げた。
完全に、死神の失態だった。

「貴様、何をしている」

「申し訳ありません。四千年の間に力を蓄えたようで…。ヴァルディス様に最初は宿り、その後は転々としていたようです」

「だがヴァルディスからピーターの気配は感じられなかったが」

「シリウス様の血脈に隠れていたのです。シリウス様の血脈に阻まれ、いくら探そうとピーター様程度の魂は探知出来ません」

「成る程。なぜ輪廻できた」

「それは分かりかねます」

「…わかった。さがれ」

「はっ」

アルスはため息をつき、ニコを下がらせると神殿を見た。
激しい怒りが沸き起こるのを感じた。腹立たしい。また、掻き回そうと言うのだろうか。また、シリウスを傷つけようと言うのだろうか。
これ以上ないほどの恋は、終わったのだ。ピーターが死んでから始まった思慕は、たった四千年とはいえ続いた。たしかに続いたが、ヴァルディスという息子に消されたはずだった。



神殿からは、シリウスの動揺が伝わってくる。

きっと棺の間にいる。


そんなアルスの予感は的中し、棺の間でシリウスに004が詰め寄っていた。
あまりに残酷な絵面だった。

「愛しているでしょうシリウス様」

「近づくなといっている!」

「また愛してください、戻りました、私は死にすら勝ったのです、アルス様と、同じように」

シリウスに、004を攻撃することは出来ない。背後の、たしかに愛した天使そのものだから。
けれど、また愛することも出来なかった。ピーターは死んだのだ。同じ魂でも、ピーターではない。
―――ピーターに、永遠はない。

永遠に、そばにはいられない。たった数百年数千年の命をこれ以上愛することは出来ない。

シリウスは胸を押さえた。
ピーターがさらに一歩踏み出そうとするのをアルスが止めた。
ピーターが嫌そうにアルスを見る。仲が悪かった分、アルスとピーターの確執は凄まじいものがあった。

「貴様は死んだ」

「アルス様…」

「貴様に四千年は長過ぎたようだな」

蔑みのこもった声音で言い捨てる。
そしてぶんっと無造作に投げた。
床を滑っていくピーターを尻目にアルスはシリウスを支える。
さらさらと流れる銀髪は神の証。残酷で悲しい、存在の証明だった。
体重を預けてくる彼は、アルスのすべてだ。同じように銀髪を持ち、始まりからずっと一緒にいる、唯一無二の存在。

愛なんてもった覚えはなかった。

一万年ももたないような、不確かなものを抱いたことはない。

かつて、シリウスはアルスに愛しているかと聞いた。


アルスは答えた。愛してはいないと。

愛は、いずれ喪われる。いつかなくなるような、そんなものを自分はシリウスに持ったことはないし持ちたくもない。

「貴様が真にシリウスを愛していたなら、私は貴様を嫌うことも、疎ましく思うこともなかっただろう」

アルスはピーターに言った。

自分は愛してはいない。今も昔も。
そんなに、甘い蜃気楼のようなものじゃない。

だから、もし本当にシリウスを愛していたなら、アルスはなにも言わなかった。
アルスがあげられない、ものだから。

「だが貴様は、シリウスを所有したかっただけだ。執着しただけだ」

アルスは腕のなか、愛が壊れていく音を聞くシリウスを抱き締めた。

だから、絶望だと言ったのだとささやいた。お前がいつか悲しむから、愛するな、と言ったのだと。
立ち上がったピーターはシリウスを支えるアルスをにらんだ。

「アルス様、なにを仰りたいのです」

「貴様に、シリウスに愛される資格は無いと言ったのだ」

シリウスに力がこもる。何も言わせまい、とアルスはシリウスの顔を肩に押し付けた。

「貴様ごときをシリウスが愛した理由は分かりかねるが今度こそ私は止める」

「なぜあなたが!シリウス様を愛してすらいないのに!」

ピーターが叫んだ。
ぴくっと動いたシリウスに眉をひそめ、アルスは言った。

「愛などという不確かなものをシリウスに抱いたことなどあるものか」

「アルス…?」

「何億何十億と共にいる。シリウスは私のすべてだ」

シリウスから体を離したアルスはツカツカと棺に近寄った。
儚く美しい天使をいまいましそうに見つめる。
この天使が、いけないのだ。
それに、ひとつの仮説が確信に変わっていた。ピーターはこの死体があったから、輪廻できたのだ。シリウスの力に満ちた棺から力を得て、なんとか逃れられた。いわば、よりしろだ。
ならば、壊せばいい。

アルスは拳を振り上げた。

「アルス!?」

「やめっ―――――」


ガシャァァアンッ!

棺が、砕けた。
ピーターの絶叫が鳴り響く。パラパラと落ちる破片は、時を遮断していた結界だ。四千年が一気に流れ込んだ棺のピーターは腐り、干からび、塵になった。
何回、壊そうと思ったか知れない。
やっと、壊すことが出来た。シリウスを縛り付ける鎖を、この手で引き剥がし破壊したのだ。

004のピーターは身をよじった。
四千年もかけて戻ったピーターをシリウスは認めなかった。砕けた棺をただ見つめていた。

「終わりだシリウス」

「アルス―……」

ピーターの魂をアルスは掴んだ。
アルスはシリウスを振り返らなかった。ガッ、と手に力を込めた。あわれな魂をいとも簡単に潰した。さ迷い続けたピーターは最後に笑った。彼もまた救済されたかったのだ。シリウスの深すぎる愛は、ピーターには重すぎた。死んでなお手放さない愛に、ピーターは押し潰され、執念となってさ迷うしかなかった。


ピーターの魂が消滅する。シリウスの恋もまた終わった。なにかが壊れた気がした。ああ、終わったのだと思った。

アルスは眉を潜めた。シリウスの愛したものを、自分は二度殺した。この手は、壊し死なせることしか出来ない。


「…なぜお前が泣くアルス」

「泣いてない」

「馬鹿者、私に隠せるわけがあるまい」

アルスは目をぬぐった。たしかに濡れていた。
シリウスが立ち上がる。

後ずさるアルスの腕をつかんで、シリウスのほうを向かせた。

「ピーターを愛したとき、初めてはっきりと私はお前を愛していると気づいた」


あまりに長く一緒にいて。あまりに絶対的すぎて。
いまさら、なにを言うのかと思うが、事実だった。ピーターを愛した。もっともっと前から、アルスを愛していた。

シリウスは口を開いた。情けなくも、震えていた。

「私を愛しているか」

「愛していない」

「馬鹿者、嘘でも愛していると言え」

アルスの涙をぬぐったシリウスは言った。

「お前がピーターを過去にした。私から奪ったのだから」

シリウスは見たこともないくらい、優しく笑った。アルスははっきりと好きだと思った。

「いい加減に諦めて、私に愛されろ」

震える声のらしくない求愛に頷く以外の選択肢は、残されていなかった。










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