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黒の誓い
 5


街の外は変わらず、弱肉強食の中、美しく繁栄していた。いつもならその景色に胸を踊らせる魔麒麟が一匹、引きこもっていた。
しかし巣穴で悩みに暮れていたシトラスは、突如訪れた厳格な父に引きずり出されるように外に出された。
鬣に白いものが混じり始めた父は一族の長の弟であり、確かに長の器はないものの長らく補佐として手腕を発揮しているためか一種の威厳をみなぎらせていた。

シトラスは十年ぶりに顔を合わせた父に、目を白黒させた。

「どうして親父殿が…」

「おぬしの結婚を早める。明日にでも結婚しろ」

「はぁ!?」

シトラスは非難のこもった声をあげた。結婚はまだ一週間くらい先だったはずである。

それに、とシトラスは躊躇した。脳内に甦ったのはヘリオスだ。
その躊躇を見抜いたらしい老健な父親は先手を打った。

「おぬしが殿下にいらぬ心を持つ前に、結婚するのだ」

「な、なんで知って…」

「陛下の使者が我々を訪ねてきた!すべて聞いたぞこの愚か者めが!殿下は誤解も解け罰も解かれ陛下の寵愛深き弟君。その御心優しく容姿は優れておられるらしいな。おぬしが邪な心を抱くことを懸念し、こうして参った次第だ」

シトラスは言葉を詰まらせた。
父親の攻勢は留まるところを知らず、畳み掛けるように言い募る。

「おぬしが心を砕いたとて殿下が振り向かれるわけもない。またそうだったとしてお側に侍ることは許さん」

「親父殿…!」

「殿下がどうというわけではない!兄君の陛下が脅威だと分からんのか!ヴァルディス様は素晴らしき名君で賢王だが歴代の中でも魔界の中でも敵に容赦の無いお方だ。この間の反乱も、加担した者で生き残った者はおらん。もし殿下とて真に裏切っていたなら、躊躇わず殺す、そんなお方だ」

「それが何だって…」

「まだ分からんのか!その陛下の実弟のヘリオス殿下をおぬしがまかり間違って悲しませ傷つけでもすれば我々一族もろとも、陛下の敵と見なされ弾劾されよう」

シトラスを黙らせるように父親は威圧感を放った。

「これまで好き勝手しておいて、さらに一族を窮地に追いやり、恐怖感にさらすつもりか。陛下の御威光は我々を焼き付くしかねん」

ヴァルディスにひれ伏し、敬愛しながら、その傍に近づくことには恐怖が伴った。
役職としてならば名誉この上無くても、恋愛がらみではトラブルも起きやすく父親は事が起きる前に片付けてしまいたかった。

「少しは、一族のために貢献しろ」

言いきった父親の、逆光により陰影のくっきりとした面差しにシトラスは眩しそうに目を覆った。




□□□□



「養生してますか?」

ひょこっと顔を覗かせたレオニクスはぎょっとした。ヘリオスが正座してべったりと床に顔を押し付けている。しくしくと聞こえるのは間違えようもなく泣き声だ。

「ヘリオスさんっ!?」

「あ、レオニクス様……」


「な、泣いてるんですか?」

「い、いえ、ち、ちょっと目から汗が…」

「んなわけないでしょうっ」

レオニクスは自分の衣服の袖を引っ張りあげるとヘリオスに顔をあげさせ涙に濡れた目を拭いた。
本当にヴァルディスと八歳しか違わないのかと疑いたくなる純粋さと幼さである。

「泣くほど辛かったんですか?」

「レオニクス様…」

「ヴィーにはお願いして命令を取り下げてもらいましたから大丈夫ですよ」

「い、いいえ、私は罰を受けなければ…」

「じゃー、命令してもらいます。ヘリオスさんに、もっと、気楽になりなさいってね」

拭きすぎて赤くなった鼻を摘まんでレオニクスは微笑んだ。

「伊達にヴィーの弟じゃないんですから、もっと、胸を張って」

レオニクスはヘリオスをたたせ、ベッドに座らせた。

「ヴィーも不器用な男ですから、ポーカーフェイスだったけど凄く心配していたんだと思います。どうせだから、もっと、困らせてやったっていいんですよ」

「そんなこと、出来ません…」

「あはは、なら、もっと、甘えてあげて下さい。ヴィーは貴方を甘やかしてあげたいんですよ」

ヘリオスは黙った。
ヴァルディスに甘える…。そんなこと、考えたこともなかった。
ヘリオスにとって兄であり、兄でない存在だった。

兄というには、あまりに大きすぎた。

悩むヘリオスに、レオニクスは苦笑した。

「ヘリオスさんなりに、たまには甘えてあげて下さい。お話したいから、来てくれとか、一緒に出掛けたいとか、そんなものでいいんです」

「はい…。お願いしてみます」

きっとヴァルディスは喜ぶ。安心したレオニクスは話題を変えた。

「ヘリオスさんが一緒にいた方、どんな方なんです?」

「シトラスですか…?…粗野だけど…私が辛そうにするとあたふたして…裁縫も出来なくて…暖かくて」

ぽろり、とヘリオスの瞳から涙がこぼれ落ち、レオニクスは仰天した。

「ヘリオスさん!?」

「胸が、痛いのです…」

「え!?い、医者ーっ」

「違うのです。いたくて、締め付けられるよう。レオニクス様、どうしましょう、私は、私は…」

医者を呼ぼうとしたレオニクスははた、と振り向いた。
しくしくと泣くヘリオス。胸が、いたい、というのはまさか。

「もしかして…惚れたんですか……?」

「分かりません。…ああレオニクス様私はシトラスの上衣を縫って差し上げました。あのものは結婚を控えているのです。レオニクス様私の縫った上衣を、あのものは妻に渡すのです。ひくっ、辛くてならない……」

顔を覆ったヘリオスの肩を抱き、レオニクスは優しく撫でながら話を聞いた。

「たった一晩、知り合っただけの…あのものから離れただけで胸が痛くて痛くて…テミスに恋をして破れ私は恋をしてはならないと戒めなければならなかったのに、レオニクス様私は、私は誓いも守れぬ愚か者です」

たった一晩守ってくれただけの彼が忘れられそうに無い。
なんと愚かな心だろう。

ヘリオスは泣いた。
まだ恋ともならないうちから消された想いが悲しかった。

いくら世間知らずでも、ヘリオスは黒竜と結婚しなくてはならないことくらい分かっていた。
四天王とは違う、王家の血筋を絶やすわけにはいかない。兄が幸せになるために、自分は血筋を守る。それくらいしか出来ないしそのために生まれたのだと、ヘリオスは知っていた。

「兄上のおっしゃる通り、私は賢くないのです」

たった一晩。この想いもいつかは消えて行く。
あの暖かさが、ヘリオスの孤独な心を包みこんでくれた。

その記憶だけでいいと言い聞かせても涙は止まらなかった。

「…ヘリオスさん」

「はい…」

「生涯最大の反抗を、してみませんか」

「…はい?」

レオニクスはにっこりと笑った。

「走るんです。一瞬の記憶が、あなたの最大の武器となる。たった一晩の恋を思い出にするのも良いでしょう。でも、本当に欲しいものを諦めて幸せになってもずっと燻ります」

レオニクスの言葉は力強かった。

「しない後悔よりした後悔。本当に、なにも言わなくていいんですか?」


血筋の問題や戒めなんて今は放っておいて。

「まだ恋じゃないかもしれない。まだ、仄かな思いかもしれない。でもそれでも一緒にいたいから……泣きたくなるのでしょう?」

「けれど私は…」

「あなたは、ヴァルディスの、弟です」

ヘリオスを遮り、レオニクスは言った。
ヴァルディスの弟は、世界でひとりしかいない。

「ヴァルディスを、みんなを、封印から守って四千年生かした、偉大な竜です」

ヘリオスが書き換えなければ、生き続けられなかった。ヘリオスが歯を食いしばって頑張らなければ、クロノスは滅んでいた。

「ヘリオスさん。たまには、自分の幸せだけを考えてもいいのでは?」

「わたしの、幸せ…」

「シトラスさんが、あなたの幸せじゃない、保証はないんです。ディシスなんか、ライの嫡男だったのにハレスさんが、みんなを黙らせて婚約した。貴方だけが、血筋の業を背負わなくてもいいはずです」

なによりも、レオニクスはこのヘリオスに幸せになってほしかった。
おっとりとした彼の幸せそうな笑顔を見たいし、彼をひとり置いてまたクロノスへいくのも心配だった。

たとえ恋にならなくてもいいから、頼れる相手を用意して行きたかった。
ヘリオスを守る、騎士が欲しい。
レオニクスはヘリオスがなにかを言う前に畳み掛けた。彼には珍しいことだったが、おろかにも過小評価し卑屈になりかけている竜を救うためには仕方のないことだった。

「泣くより、笑いたいでしょう?」

「…はい」

ヘリオスはうなずいた。細い首が動いたのをレオニクスは歓喜の表情で見つめた。
そして、これ以上の介入の無意味さを悟り立ち上がった。
ヘリオスの瞳は輝きだしていた。その光は時折ヴァルディスにも似た光沢を帯びた。もう、案ずることはなかった。

会釈して出ていくレオニクスをヘリオスは引き留めなかった。頭はシトラスのことでいっぱいだったのだ。


レオニクスは上機嫌だった。ヴァルディスに伝えるのは後にしよう、としばらくは口を戒めた。
まっすぐとヴァルディスを目指した。
すれ違うものたちのお辞儀にも、もう馴れていた。すっかり王妃扱いだが気にならなかった。
ヴァルディスの妻として生きるとすでに決めていたからだ。

この魔界でレオニクスが出来ることはほとんどないが、今日は役に立てた気がした。

「ヴィー」

「レオ、来い」

するりと入るとヴァルディスが招いてくれた。抱きつけばいい子だ、とばかりに撫でられる。

「ヴィー好きだ」

「ふっ…ああ、知ってる」

余裕綽々の王に腕を回して唇を重ねる。ヴァルディスは重ねるだけのキスを繰り返した。レオニクスはするり、と侵入してくる手に笑い、甘い息をこぼした。
そしてやっぱり、ヘリオスにもこの幸せを知ってもらいたいと強く思ったところで、セックスに持ち込まれてしまった。






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あきゅろす。
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