黒の誓い
4
ローゼンの外、広がる森の中の洞穴で、シトラスはぼんやりと上衣を眺めていた。巣穴に差し込む陽は短く、太陽は真上にあるのだと知れる。
シトラスの思考を占めるのは、美しい景色でも美味しそうな獲物でもなく、ヘリオスだった。
嵐のように出ていったヘリオス。まるで現実味がなく、夢だったのかもしれない、と思うほどだ。けれど、縫われた上衣が、何よりの証だった。ヘリオスは、たしかにいた。一晩とすこし、共に過ごしただけだったけれども。
「ヘリオス…殿下…」
呟けば、いかに身分違いだったのか、より明確になった。かのヴァルディス王の実弟。長らく裏切り者とされていたが事実が急速に広められ衝撃と共に再び受け入れられたお方。
そのヘリオスに、度重なる無礼を働いてしまった。
だがまさか、ヴァルディス王の弟が、あんなに弱いだなんて、考えもしなかったのだ。シトラスは真っ昼間の風景を横目にため息をついた。
「なんてことを言ってしまったんだ…」
強い、だなんて。
望んでも、無理なヘリオスがどれだけ辛かったか知れないのに、シトラスは言ってしまったのだ。ヘリオス殿下は、めっぽう強い、お方らしい、などと。
あのとき、ヘリオスはどんな顔をしていたのだろう。
どんな気持ちで、体を預けてくれたのだろう。
「くそっ…」
ありありと思い出す、ヘリオスのこと。
襲ったときの泣き顔。発作を起こして辛そうな顔。じっと見つめてくる青い瞳。上衣を縫う様になった姿、話を聞いて輝いた瞳、悲しそうに諦めたような微笑、………泣きながら、去った顔。
シトラスは舌打ちした。
結婚が迫っているというのに、どうやっても、ヘリオスの顔が頭から離れなかった。
◇◇◇◇
王の執務室は、絢爛さは無いが権威を示すため、豪華な彫り物や見事な装飾が至る所になされている。そこにヴァルディスが座れば威厳は倍増し、見る者をおののかせるが、今日は更に冷たい怒りが上乗せされていた。その威圧感といったら、向けられていないレオニクスでさえビビるほどである。
「申し訳ありません、兄上…」
しゅん、と縮こまるヘリオスに冷たい一瞥を送ったヴァルディスは足を組み直した。
ヘリオスの謝罪は繰り返されたがヴァルディスのまわりの気温は下がる一方だった。
「もう少し賢い弟だと思っていたが違ったようだ」
「……」
「己を知れ、と教えたはずだヘリオス。過度な望みは捨てよ、とも」
突き刺さる言葉は絶対零度であり、ヘリオスは見ていて哀れなほど萎縮していた。まわりを取り囲む幹部たちにもびくつき、きゅうっ、と袖を握り締める。
レオニクスは口出ししなかったがヴァルディスを宥めるように隣に立っていた。怒りならば謝れば済むが、今のヴァルディスは呆れ失望している。一番辛い叱り方にヘリオスはかわいそうなほど落ち込んだ。
「しかし、此度ヘリオス様をそそのかしたのは真打ちたちです陛下。ヘリオス様だけを責められては、公平を欠きます。フィアラルが率先したようで、申し訳ありません」
バスティアンの謝罪にもヴァルディスは眉をひそめただけだった。
見兼ねたハレスも口添えする。
ヴァルディスに失望されることの恐怖なら、ふたりはよく知っていた。
「私のコアトルも、手引きいたしました。申し訳ありません」
「いえ…私が出たのがいけないのです。真打ちたちは、私が出てみたいと言ったので力を貸してくれただけで……」
「真打ち、か」
ヴァルディスが遮るように呟いた。
その響きにビクッと真打ちが震えたのをハレスたちは感じた。
どうやら、ヴァルディスの怒りを恐れているらしい。
ヴァルディスはヘリオスを見下ろし、鋭く睨んだ。
「他の竜の真打ちが、力を貸すほどにお前が気に入られたなら、それはそれで考えねばならぬ」
「兄上…」
「もうよい。下がれヘリオス。しばらくは真打ちとの交流も禁ずる。俺への目通りもだ」
「そんなっ…兄上っお許しください、兄上にお会いできないのは嫌でございますっ」
ヘリオスは顔をあげ必死に言い募ったがヴァルディスは冷たく言いはなった。
「下がれと言ったであろう。命令も聞けぬか。これ以上呆れさせるなヘリオス」
「…っ、申し訳ありません…失礼……致します」
ハレスやバスティアン、ジェズたちでさえ、何か助太刀することが憚られるほどヴァルディスは失望しており、ヘリオスは悲壮な表情を浮かべ立ち上がった。
とぼとぼと退出していく華奢な背中を見送り、レオニクスはヴァルディスの肩を叩いた。
「そんなに怒らなくてもいいだろ。ヘリオスさんの気持ちも分かるじゃないか」
「下の者に示しがつかぬ。捜索隊まで出させて、騒ぎを起こした責任がある」
「そうかもしれないけど、いつもならこれくらいで怒らないだろ?どうしたんだよ」
「喰われていたのかもしれぬのだ。むしろよく食われなかった。狩りも地理も分からぬくせに自殺のようなものだ。二度とせぬよう反省を叩き込まねば」
レオニクスは苦笑した。つまり、この鉄皮面は心配したのだ。呆れたのは確かだが怒りはカモフラージュである。
ヴァルディスの手を取り、レオニクスは言った。
「それでもやっぱり、あまりやり過ぎるとヘリオスさん寝込んじゃうよ。多分、ヴィーやバスティアンさんたちの手を煩わせたくなくて居ない隙に1人で行ったんだ。ヴィーの世界を見たくてね」
「それでもならぬ」
「ヘリオスさんにはヴィーしかいないんだよ。突き放したら、一人ぼっちになる」
初めてヴァルディスが黙りこんだ。レオニクスは婚約指輪を見つめながら続けた。
「今回は許してあげろよ、ヴィー。無事だったことを喜んであげないと」
王妃の説得に臣下たちも固唾を飲んで見守った。
なかなかどうして専制君主の決定に面と向かって異を唱えることは難しい。それが国政ならいざ知らず、プライベートとなると臣下には不可能に近かった。
みんなヘリオスに同情しつつ、言い出せなかったところへレオニクスが説得に向かったのである。
ヴァルディスはしばらく黙りこみ、やがて「そんなものなのか」と呟いた。
レオニクスは笑みを浮かべて頷く。
「ヘリオスさんには、ヴィーだって王様のままでいなくてもいいと思うよ?」
「…」
「俺行ってくるからさ、会わないって命令取り下げてくれない?」
ヴァルディスはため息をつくと頷いた。ハレスたちもホッと息をついた。
やった!、と抱きついてきたレオニクスを受け止めながらヴァルディスは各自に命じる。
「各々真打ちには言って聞かせよ」
「はっ」
「了解しました」
「承知致しました」
「承ってございます」
見事にバラバラに返答し、敬礼したりお辞儀をしたりとバラバラに挨拶した彼らは真打ちを携え部屋を出た。
執務室の前で待っていたクリフとディシスが顔をあげる。あやしていたのかディシスの前肢の間でアポロンがすやすやと眠っており、4人とも足を止めて覗きこんだ。
「おお、可愛いのー…」
「ほんにハレスにそっくりじゃな。図太そうじゃ」
「逞しくなるんです、強くさせます」
「可愛いなぁ、なー、クリフ」
『ガルガル(いつか孕ませてやる)』
扇を広げたジェズはクックッと笑った。
「四天王家、貴族で婚姻が自由に出来るとはよい時代になったのう」
「ヴァルディス様の改革のお陰じゃ。純血が絶えてしまうことは気がかりといえ、己らのころのように涙を飲んで諦めずとも許されるようになった。良いこと良いこと」
愛する者と幸せそうな弟子たちに笑みが零れる。
「あのひねくれていたハレスも一児の父親…なんともはや、不思議なものじゃのー」
「あの真面目すぎて融通のきかぬバスティアンも、己に正直になったものじゃ。若いうちに頑張らねばのう」
ハレスの腕に寝ながらしがみつくアポロンをなで、壮年カップルは談笑しながら立ち去っていった。
その妖艶な後ろ姿と爽やかな笑顔を見送った後クリフに腰かけて話していたバスティアンにハレスが思い付いたように言った。
「そういえば貴方たち、子供作るときバスティアンが産休じゃ困るんですけど」
「そういえばそうだな」
「ここはいっそ、クリフ、あなたが孕みなさい」
『『ガフッ!』』
ディシスとクリフは同時に吹き出した。
「なるほど」
『何がなるほどだ!ガウッ』
『ぴぃ、ピィィイ!』
クリフの怒声にアポロンが起きてしまった。非難の眼差しを双璧に向けられ、グルグル唸る。
泣くアポロンをディシスに任せ、ハレスは腰に手をあてた。
「だって貴方ヒモでしょう」
「ぷっ」
『ククッ』
『貴様ら……!』
あっけらかんと言いはなつハレスに、噴き出すバスティアンとディシス。クリフは青筋をたてながらハレスを睨んだ。
「孕むくらいいいじゃないですか。当たるまで受ければいいだけですし…いたいっ!」
バシッとクリフの肉球がハレスの腰辺りを直撃した。いわゆる猫パンチである。
「あれは痛い」
『ガルガルガルッグルルウーッガウッバウッ!』
『獣語になってるぞクリフ』
よほど気に入らなかったのかクリフは唸るとバスティアンに体を擦り寄せハレスに猫パンチをもう一発お見舞いした。
いつも落ち着いているクリフも、流石に孕めと言われてはプライドに関わったらしい。
『ガウッ!』
「乱暴ですねもう。DVされたら言いなさいバスティアン、吊し上げてやりますからね」
『いや、どっちかといったらクリフが負けるぞ全力で』
DVというか理不尽に暴力をふるったらクリフの方が呆気なく倒されるのだ。
バスティアンならばクリフを片手でぶん投げることくらい容易だろう。
「まあ、落ち着いてくれクリフ。わかっているから」
『グル…』
バスティアンは優しくたてがみを撫でると言った。
「一回で当ててみせるから。な?」
そのときクリフは生まれて初めて言葉を失い
ハレスは床を叩いて爆笑した。
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