黒の誓い
3
ふ、と目を醒ますと暖かい腕の中にいてヘリオスは仰天した。
黒竜である己を包み込む巨体に昨夜の記憶が甦る。あっさりと眠ってしまった自分の危機感の無さになんとも言えなくなった。
『シトラス、起きて』
『ん………よしよし……ぐー……』
もぞり、と動いたヘリオスの首を撫でてシトラスはまた眠りこけた。もさもさしているシトラスのたてがみをかき分けつつくも宥めるように撫でられるだけで起きる気配は無かった。
『シトラス…』
困ったヘリオスはとりあえずおとなしくすることにした。看病してくれたのは朧気に覚えているし何よりこの心地好さが少しだけ、惜しかった。
ヘリオスはこの機にじっくりとシトラスを観察した。
馬のようなたてがみはもさもさと波打ちボリュームがある。パサパサしているが中はモフッ、としていた。
大柄な魔麒麟族の中でも大柄だろう体は五色の鱗に覆われているが足先はなみうつ毛に護られている。
猫科に近い体に犬科に近い顔。
魔麒麟族の本来の姿はあまり見れない。麒麟族は鹿のような風貌なのに、とヘリオスは不思議に思った。
『あまり見つめないでくれ、恥ずかしい』
『え、起きて…っ』
『さっき、起きた。熱は?もう大丈夫?』
シトラスは苦笑しながらヘリオスの額をなめた。ヘリオスは戸惑いながらうなずく。
『ヘリオス、出歩けるか?』
ヘリオスは首を振った。
熱は下がっても、到底出歩けそうもなかった。
なんとか夕方には帰らなければならない。一晩を越してしまったのだから、きっと大騒ぎになっているはずだ。そんな事情を読み取ったのかシトラスは『なら、いろんな話をしよう』と言った。どうやら巣穴から叩き出すつもりはないらしく、まだ体が辛いヘリオスは安堵した。
シトラスは立ち上がり、くるっとヘリオスのまわりを回ると洞窟の奥から藁をくわえてきた。
何度か往復して壁際に積み上げる。ポンポンと肉球で形を整え、毛布をかけて満足そうに唸った。
不思議そうに見るヘリオスを振り返り、顎をしゃくる。
『ほら』
焦れたようにヘリオスを押し、その藁ベッドの上に転がした。意外にふかふかな藁ベッドにヘリオスは目を丸くする。
『私の為に作ったのか?』
『具合悪いのだろう?』
『そうだけども…』
シトラスは横たわるとヘリオスの顔を嘗めた。
『おまえが…君が苦しそうだとどうしていいかわからなくなるんだ。綺麗なその目が濡れるところを見たくないからそれを用意した』
暖かい。ヘリオスはそう思った。どんな寝床より暖かい。
岩壁とシトラスに挟まれて寒さなんて分からなかった。ゆっくり毛繕いしてくれるシトラスの優しさに身を委ねる。
しかしやはり狭く、ふたりは人型をとることにした。人型をとってみるととても広い洞穴の奥から、風が吹き抜ける。
『なぜ、上着を着ないのだ?』
寒そうなシトラスに尋ねると、彼は困ったように笑った。
『裂かれてしまって、俺は縫えないから』
『上着を…?裁縫道具さえあれば…』
見せてきた上衣は確かに綺麗に裂かれていて着れる代物ではなかった。魔術も、魔麒麟族は攻撃魔術しか使えないのだ。
旅の荷物から、一応裁縫道具は出てきたものの苦戦したあとしかなかった。
『私が、縫いましょう』
『出来るのか?』
『ええ』
ヘリオスは上衣を合わせ、マチ針で留めた。少し思案して裂け目がわからないように完成予想図を思い浮かべる。針を持ち、縫い始める手つきは手馴れていてシトラスは感嘆の声をあげた。
『すごいな』
『闘えない分、これくらい、しなければならないから』
目を伏せるヘリオスに、シトラスは口ごもりながら言った。
『黒竜で戦えないのに、なぜ、生き残れてるんだ?…あ、いや、すまん、でも…』
一瞬の動揺のあと、ヘリオスは微笑んだ。
『運が良かったんだ。私には、ある才能と…生かす理由があったから』
闘えない黒竜はたとえ王子だろうと不要と見なされ殺される。ヴァルディスが王になり、その制度はだいぶ緩和されたが今でも、その風潮は残っていた。
戦闘種族の最たる種族である黒竜族は弱者を切り捨てて強くなっていった。その容赦の無さと強さへの飽くなき執念が最強の種族を作り出したのだ。
その中にあって、ヘリオスは異質だった。
『才能?』
『私は、武器の手入れが出来るのだ。真打ちの手入れが。シトラス、あなたの武器も、よければ手入れしよう。ドワーフほどではないけれど、補強くらいなら出来る』
上衣に糸を通しながらヘリオスは提案した。きちんと手入れしていても、武器は疲弊し切れ味が鈍くなる。真打ちでなくとも、少しならヘリオスにも出来た。
シトラスは目を丸くして頷いた。
『任せる』
『きっと、きれいにするよ。それより…話を聞かせてくれないか?』
ヘリオスの願いにシトラスは快く頷いた。
『どんな話をしようか』
『外の話を』
『そうだな…ヒス・シュベンクルって川がずっっと向こうにある。…すごい大きな川だ。綺麗な水で、いくつもの種族がいる』
『ヒス・シュベンクル…』
『黒竜も多く利用する川だから有名な竜を一目見ようとわざわざ集まる者もいるくらいだ』
『有名な竜?』
ヘリオスは首をかしげた。
シトラスは苦笑して名前をあげはじめる。
『王の双璧なんてめったに見れないからな。みなの憧れだ。師匠ゲオルト様、大参謀ジェズ様、それに…陛下がいらしたら恐れ多くて誰も近寄れない』
ヘリオスは苦笑した。普段どれだけそうそうたるメンバーと一緒にいるのか、改めて思い知らされた。
同時に兄を敬愛するそぶりのシトラスに微笑ましくなる。ヴァルディスは、やはり名君なのだ。
シリウスの息子という重圧も、己を守る鎧に変え、こうして魔物たちの敬愛を勝ち取っている。
『川の向こうは黒い森だ。深い森を抜けるとまた街がある。シヴォンヌ家が預かるクィーン・ベールだ。ローゼンほどの規模じゃないが、農耕が盛んでな』
『行ったこと、あるのかい?』
ヘリオスは聞きながらマチ針を抜いた。チクチクと作業を繰り返す。
『街から街へ、旅をしているからな。ローゼンまわりへは、十年ぶりに戻ってきた』
『なぜ?』
『…結婚を薦められてね。結婚して長になれ、と』
ヘリオスは瞠目した。
一瞬止まった指をまた動かし、『おめでとう』と言った。
『長になることは名誉だしな…受けることにしたんだ』
『ええ。素晴らしいことだと、私も思う』
ヘリオスは微笑んだ。
もうすぐ結婚する雄の上衣を縫っていることが、不意におかしく感じられた。しかし気づかれないうちに違和感は押し隠した。
『君は?結婚してる?』
『いや。結婚どころか、誰かと付き合ったこも無い……手痛い失恋も、したし』
『そんなに綺麗なのにか?』
『私は、…そんな資格が無いから』
シトラスは目を細めたが、彼がなにかを言う前にヘリオスは出来上がった上衣を押し付けた。
『綺麗に、仕上がったでしょう?』
『本当だ…ありがとう』
浮かぶ儚い微笑。
疲れが見え隠れしながらも武器を取り上げたヘリオスをシトラスは止めた。
『少し、休んだほうがいい』
『けれど』
『無理はいけない。ローゼンへ戻れなくなる』
『…そう、だね』
すとん、と藁ベッドに座ったヘリオスの隣に腰をおろし、上衣を着たシトラスは毛布をヘリオスに巻き付けた。
『ローゼンに住んでるんだろう?』
『うん』
『いい都だ、あそこは。いろいろあったみたいだがな』
『知っているのか?』
シトラスは曖昧に微笑んだ。
そっとヘリオスの頭を撫でる。
『それなり、にな』
『シトラス…』
ヘリオスは言いかけてはっとした。バッ、と空を見る。気づいたらしいシトラスも見上げ、息を飲んだ。
『なんで、魔界軍が…』
魔界軍のマークが刻印されたプレートと各々の甲冑を身につけた黒竜が編成を組んで飛んでくる。
方向を変え、降りてくるその部隊の先頭はひときわ大きな体をもち、並々ならない威圧感を醸し出していた。
巣穴を取り囲むように黒竜たちが着地する。シトラスはヘリオスの前に立ちはだかった。
『ここは俺の縄張りだ』
『それは申し訳ござらぬ。己はゲオルト・プロネトウス。我々は貴殿が隠しているそのお方をお迎えに参ったのだ』
シトラスはヘリオスを振り返った。
『君は、一体……』
『私は……シトラス…私は』
『そこにおわすはヴァルディス様の唯一の弟君にして第一王位継承者のヘリオス・ベルシオン殿下じゃ』
ヘリオスはうつむいた。
驚愕に呆然とするシトラスの顔を見れなかった。
『隠しているつもりはなかった。でも、貴方が勘違いしたとはいえ、ただのヘリオスでいられたことが、心地よくて。たった、1日だけでも』
『殿……下…』
『貴方の前にいたのは、裏切り者でも、殿下でも、ない、ただのヘリオス…。どうか、そう思って。1日だけ存在した、ヘリオスだと』
ヘリオスはしゃがむシトラスの頬に触れた。
『貴方の幸せを祈ります。ありがとう、もうお別れです』
ヘリオスはきびすを返した。ワープ機械に触れる。黒竜たちが守るように控え、ゲオルトはシトラスを牽制するように動かなかった。
『ヘリオス…ヘリオスッ!』
なぜ呼び止めたのか。シトラスにはわからなかった。ただ、消える間際振り向いたヘリオスの瞳が濡れていたことに衝撃を受けた。
一瞬だけ見えたその顔は、やっぱり微笑んでいて。
『ヘリオスーーッ!』
伸ばした手は、届かず、かききえた姿にシトラスはぱたり、と地面におろした。
一頭残ったゲオルトが静かに言う。
『貴殿の保護なくして殿下のご無事はなかった。一晩だけでも、殿下を楽しませてくれ、感謝する、との陛下のお言葉じゃ』
『それって……』
『昨晩の時点で居場所は突き止めておったのじゃ。陛下の弟君を想うお心ゆえ、しばし、待った』
『…』
『貴殿には、いずれ褒美が聞かれよう。考えておくとよい』
ゲオルトは飛び立った。
シトラスはあまりに突然の出来事に混乱したまま、その場を動くことすら、出来なかった。
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