[携帯モード] [URL送信]

黒の誓い
 16



タナトス・ルース、アイレディア王国陣営、空軍基地。

空軍艦は一隻。巨大なホールド・セカンズのみである。残りは個人戦闘機がずらりと並んでいた。
整備も調整も何度も繰り返し、万全のコンディションのホールド・セカンズを見上げ、煙草をくゆらせるクレイディの隣りに、黒髪の涼しげな目元の男が歩み寄ってきた。
クレイディは露骨に嫌そうな顔をするがミンはそれをさらりと流した。

「会議じゃねえのかよ」

「おう終わったさ。一体どれだけの時間、お前はここにいたと思っている。私が会議だからとここでお前と別れてからゆうに三時間は経っているぞ」

「うるせぇ。いいだろ別に。俺が勝っても負けても、コイツとはお別れになるんだからよ」

「ほう。ホールド・セカンズを手放すのか」

「こいつは対空賊専用の軍艦の二代目…それも大鷲を捕まえるためだけの軍艦だ。それが勝っても、負けても、もう用無しだろうが」

クレイディは煙草の灰を落とした。ちらりとミンを見てすぐに目をそらした。軍帽を弄びながら腰に挿した剣をいじるミンはいつもの余裕を崩して居なかったが、流石に緊張が走っているとクレイディには分かった。そういうクレイディも今日は煙草の量が多い。

「――明後日開戦だ」

「ああ。ついに、な」

「いくらヘリオスを召喚しようと、クロノス中の竜を味方につけようと、勝てるもんでもねえだろうなァ」

「ああ。おそらくは。勝てんな」

「戦争ばっかだったな。俺たちの人生」

「なんだ。もう死ぬ準備か?早いなクレイディ」

「けっ、泣いても笑ってもこの戦争の後に先はねえよ。俺たちにとってもアイレディアにとっても最後の戦争だ。明後日にゃ、アイレディアの旗はねえだろうからな」

陣営にも掲げられている旗を見上げてクレイディは苦々しく言った。

「んなもんでも、焼かれると思うと気持ちいいもんじゃねえな」

「仕方あるまい、望みの無い戦争を仕掛けたのはこちらだ。密かに和平に持ち込もうと画策していたのに、全て水に流れた」

「どうすんだ、ミン。お前の計画は崩れたろ」

「まぁ。何とでもするさ」

ミンは涼しく言い放ち、クレイディに向き直った。
少し後ずさったクレイディの腕を掴む。

「この戦争に我らは勝てん、ヴェレ帝国が唸る様を見れなかったのは残念だな。さてクレイディ、お前は黒竜など気にせずただガイアだけを見ていればいい。地上は私がサポートする。いつものようにな」

「あ、ああ。わかってっから離せよ」

「分かってないなクレイディ。戦の前だぞ。生きて戻れるかも分からんお前に、触れるチャンスは今夜だけしかあるまい?」

「げっ」

「げっ、とは失礼な。一緒のテントとは粋な計らいだな?クレイディ?」

胡散臭い微笑。何が粋だコノヤロー、無粋ってんだよ!という叫びは一瞬のキスに奪われた。
ぺろりと舌を動かしてクレイディの煙草くさい唇を舐めたミンは「吸いすぎだ」と顔をしかめる。ぶるぶると震える拳を握り締めて、クレイディは怒鳴った。

「人目を少しは気にしろクソ野郎――――!!!」


何を今更、と周りの軍人達は思ったが命が惜しかったので賢明にも口を閉ざして見ないフリをしたのだった。




■■□□



同じくアイレディア王国陣営。陸軍基地。
魔界軍の陣営が見下ろせる崖に立っているオルトヴィーン中将の隣りにはクリスティン・メニアがいた。お互い忙しい中、何とかひねり出した逢瀬の時間である。
オルトヴィーンの手が魔界軍を示す。

「見たまえクリスティン。魔界軍の規模を」

「――我々とほぼ同規模ですね」

「そうだ。シュイノールの復興、魔界の復興、ディシセスティの警備などに軍をまわして、残った分が総出で来ているらしい。黒竜を始め、様々な竜や種族が訓練された動きをする。当然だが人間はひとりもいない」

「ええ」

「あの若者は、とんでもない若者だったようだな。黒竜王、ガイア、ひいては魔界を動員して、渦中で動き回っている」

「はじめに捕えていればこうはならなかったかと、今でも思います。黒竜王の召喚をだれがしたのかもいまだ分からず、黒竜を捕獲せよといわれましたがそれも出来ず、作戦は悉く失敗…。ザーヴェラ剣士は、黒竜王と契約し召喚獣として使役している…。功績だけ見ればかの大召喚師テミスともひけを取らないものですが、目的が見えません」

オルトヴィーンはかつて黒竜王に休戦を持ちかけたとき、隣りに立っていた若者を思い起こした。ドン・クィレルでは見事に前線をひっくり返し、シュイノールでは休戦に口ぞえしてくれた。
アイレディアを潰すのが目的ならばシュイノールで休戦しなくてもよかったはずだ。他にもボルケナを調べまわったり、九龍と接触したりと不可解な行動をしている。
しかもダンジェリを容易く下した。この七ヶ月余りで実力はうなぎのぼりしているらしい。

「だが魔界軍の指揮は黒竜王らしい。到底、かないそうもない相手だ」

「はい」

「何故我々は望みの無い敵に挑むのか、わかるかね」

「――」

「誇りだ、クリスティン。時として誇りは命よりも大切なものとなる。何もせずとも、旗を踏みにじられるのならばせめて最後の一兵まで、抗いたい。たとえ、望みなど無い相手であったとしても」

「ですが、閣下…。私は…」

クリスティンは俯いた。
さらりと流れる金糸にオルトヴィーンは手を滑らせた。ハッと顔を上げるクリスティンに微笑みかける。

「覚えておくのだクリスティン。何度、悪が勝とうと、ねじ伏せようと最後に勝つのは正義だと。勝ったほうが正義だとよく言う。だがそれは真の正義ではない。勝利者の言葉など信じてはいけない。我々は四千年前の真実を何も知らない。どちらが正義だったか我々は分からない。今度の戦争、勝ったほうが真の正義だ。我々に正義あらば勝つ、無ければ負ける。だが、クリスティン。たとえアイレディアが悪だったとしても、揺らいではならん。全ては祖国のために。祖国の誇りのために。それが祖国のために戦う者の定めだ」

「でも、閣下…あなたのご無事を、祈ってはいけませんか」

「…」

「あなたと戦争後にまた逢えることを、期待してはなりませんか?たとえ負けても、あなたに一目会うため、生き残ってはなりませんか…?」

オルトヴィーンは咄嗟にクリスティンを抱きしめた。
真っ赤な顔で「あぅあぅ」言いながら体を硬くするウブな彼女。ずっとメニア家の復興に明け暮れ、男性と付き合ったことなど無かった。
そんなクリスティンの女性らしい願い。出来れば彼女を今回の戦争に出したくなかった。でも彼女も軍人、剣士なのだ。
オルトヴィーンは囁いた。

「私の祖国には、君も入っている。私は君のために、戦う。ああ、約束しよう。死ぬのなら、君の腕の中だと。たとえ足をなくしても手をなくしても腹に孔があいても、君の元で息絶える。必ず、帰ってくる」

「ミハエル様…」

「生きて戻ったら、結婚しよう、クリスティン。私では役不足かね?」

「いえ…いえ、ミハエル様。結婚いたしましょう、必ず、いたしましょう…」

おずおずと背中に回る腕。慣れない仕草が可愛らしい。
オルトヴィーンの胸に顔をうずめてクリスティンは泣いた。嬉しいのか哀しいのか自分でも分からなかった。
今までも戦争は幾度も潜り抜けてきた。ヴェレ帝国戦、空賊狩り、海賊討伐戦、盗賊討伐。だがこれほどの恐怖を感じたことは無い。
考えるだけで全身の毛が逆立ち、手が震えそうになるほどの圧倒的力の差。始まる前から絶望的な戦局。
ヘリオスを召喚してなお、士気があがるだけで勝てないだろうという見通し。
そんな中、霞のような約束が、ひとつの希望に見える。

「クリスティン、私は君を…」

「おっしゃらないで」

オルトヴィーンを遮り、クリスティンは微笑んだ。

「それ以上は、きっと、きっと戻ってきて私の腕の中でおっしゃってください。きっとです」

「――ああ、約束しよう。必ず、戻ってきて、言おう」

オルトヴィーンは頷いた。
霧の中のような不確定な未来で、確かな約束をした二人はしばらく抱き合っていた。
それをじっと見ていた影があることも知らずに、ただ、不安を押し隠すように、ひたすらに。



□■□■


翌日、タナトス・ルースのふもとの小さな森。
数時間前に頭上を通り過ぎていった大きな空軍艦を思い浮かべ、フェアラはため息をついた。


『ねえ、起きてバディド、ねぇったら』

『んだようっせえな』

『やっぱりレオニクス殿のところに戻りましょう?』

『今更どのツラ下げて行けってんだよ。ディシスの野郎なんざSクラスになってやがって。もともと俺たちはあまり召喚もされてなかったし、もう忘れてんだろ』

豺(やまいぬ)のフェアラは困ったように尻尾を揺らした。寝そべって動かないバディドの背中にとまっている魔鳥セレウスは哀しそうに一声鳴く。
黒竜王が契約したことでレオニクスの精神世界が一度崩壊の危機にあい、バディドたちも危険に晒された。自分たちのことを顧みないという怒りと、ディシスや黒竜王ばかりが使役されて自分たちは用無しだという嫉妬が入り混じって勢い任せに解約したのはいいものの、やっぱり気になってこっそりつけまわしていた。
ボルケナや魔界に入られると追いかけられないが、それ以外のところはしれっと見ていた。いわばストーカー行為だが、レオニクス以外と契約する気にもなれず、かといって今更戻ることも出来ず、最近ではこうして不貞寝が多くなってきている。

『忘れたりなんか…』

『一切名前すらださねえじゃねえか。それに俺たちが頭下げたってあのディシスが許すかよ。契約した召喚獣っつうのは基本的に主に服従だ、こっちから切るなんざ普通はねえよ。分かってんだろフェアラ』

『でも…』

『でももくそもねえよ!どうやって戻れってんだ、あぁ!?』

ガウッと咆えると驚いたセレウスがばさばさと飛び立ってしまった。

『俺たちは元々CランクやDランクだろ。Sランクを二頭も契約してるアイツのとこに戻ったってお呼びじゃねえんだよ』

『そんな人じゃないわ、レオニクス殿は』

『人格がそうでも結果論的にだ!ともかく、戻れないとしても俺ァ他の奴と契約する気はさらっさらねえ。なんか黒竜王と戦争おっぱじめるとか言って戦闘系の俺やお前を召喚する奴も多かったけど主はただひとりだ。だがそのただ一人の主を裏切っちまった。もどれねえし、どうやって詫びりゃいいかもわかんねえし、戻ったところで役に立ちもしねえ。分かったか!』

黒豹は荒々しく言い切ると再び寝そべった。

『出来れば俺らを戦わせたくないとか抜かすような奴だった。あんな主はもういねえ。わざわざ呼び出して一緒に昼寝したがったり、一緒にメシ食ったり、毛並みを整えてくれたり、そんなアイツを裏切ったんだ。何をしたって許されるモンじゃねえ。許されちゃならねえ。そうだろフェアラ』

『…』

フェアラが俯いたとき、セレウスが首をタナトス・ルースへ向けた。

『どうしたセレウス』

『――何かくる』

『何か?』

バディドが素早く立ち上がる。セレウスの見ている方向の木々の向こうの気配を探ると確かに誰かが向かってきていた。それも相当に慌てている。

『声が聞こえるかフェアラ』

『ええ、聞こえてきたわ…何かを殺すつもりみたいね』

足音が止まった。
セレウスが飛び立つ。フェアラは耳を澄ましていたが、叫んだ。

『大変!!何かの赤ん坊を殺すつもりよ!』

『んだと!?』

バディドは慌てて走り出した。
黒豹であるバディドは足がかなり速い。すぐに加速していけば、木々の間から「いてっ、なんだこの鳥は!いいから早く殺せっ」と声が聞こえてきた。
バディドの目が黒服の二人組みを捕捉する。後ろ足に力を込め、思いっきり飛び掛った。

『ガルルルルッ!!!』

「うわっ!次はなんだ!!」

「豹!?」

足に噛み付き引き倒すと腕に持っていた何かを包んだ布が転がり落ちた。
やっと追いついたフェアラがすばやく咥えて避難する。男達は慌てたように刀を引き抜いた。

「こんな獣達殺して構わん。早くあの赤ん坊を殺さなくては!」

「我々の痕跡を消さなければ我々は…!」

バディドは唸ると刀を避け、腕に噛み付いた。痛みに悲鳴をあげる男を援護しようとしたもうひとりの目をセレウスがつつく。噛み付かれた男が刀を手放し、小刀を取り出してバディドに突き刺した。

『ぎゃうっ!!』

『バディド!!』

片目を見事に切り裂かれた。もんどりうったバディドは立ち上がるとフェアラを制した。

『その赤ん坊が何モンだろうと赤ん坊を殺すのを放っておけはしねえ。守っとけフェアラ!絶対にそいつを両親に届けてやらねえと…!!』

『バディド…』

バディドの目が怒りに満ちている。
その昔、親から引き離され孤独に生きてきたバディドは赤ん坊が目の前で殺されるのも奪われるのも極端に嫌った。
唸りながら距離をとり、一気に跳躍する。そのままの勢いでがぶりっと男の咽喉笛を噛み千切った。

「おい!クソッ!!なんてことだ!」

男の仲間はセレウスにつつかれ、潰れた目だったが音でわかったのか頭を抱えた。
悪態をつき、座り込むその男にもう世界は見えていない。めちゃくちゃな方向に振り回す刀をセレウスが叩き落した。
バディドが悠々と近づく。獣の匂いと息遣いに末路を悟った男は呟いた。

「聖なる裁きが下されんことを…」

『貴様にな』

バディドのその返答を最後に、男の命は潰えた。
ずぶずぶと牙を抜き、口の中に溢れた人間の血を吐き出したバディドはフェアラを振り返った。
セレウスも降り立つ。片目を切り裂かれたバディドと刀で翼が痛く傷ついたセレウスは重傷だったがどうにもできなかった。
フェアラは包みを解いて見せた。

『――黒竜?』

『猿轡を外して上げれるかしらセレウス』

中にいたのは猿轡をかまされた挙句翼もなにもかも無理やりぐるぐる巻きにされていた赤ん坊の黒竜だった。流石にぐったりとしている。セレウスは頷きくちばしと鉤爪で器用に猿轡と縄を外した。

『ぴい…』

『おい、両親はどこだ。連れて行ってやるから』

『でもバディド、黒竜だったらきっとあそこだわ。会ってしまう可能性が高まるんじゃ…』

『そんなこと関係あるか!こいつの親だって捜してるはずだしこいつだって何で殺されかけてたかしらねえが親のもとに帰りたいはずだ。一刻も早く帰してやらねえと』

『あなた怪我が酷いのに、動かないほうが…』

『いいんだよ。どうせ俺らじゃまともな治療もできねえ。それよりこいつを帰してやるほうが先決だ。おい赤ん坊、親はあっちにいるんだな?』

赤ん坊竜は頷いた。バディドはよし、と頷くと『少しの間我慢しろよ』と布に乗せ、その布を咥えた。

『誰でも分かる場所に置いとけばいいだろ』

『――そうね、分かったわ』

フェアラも頷き、セレウスはバディドの背中に乗って、三匹は黒竜たちの陣営へ歩き出した。






[*前へ][次へ#]

17/19ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!