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黒の誓い
 14






切れた通信を眺めていたバスティアンは頭をふって陣営を出た。
タナトス・ルースの麓。高台はハンデの意味もあってアイレディアに譲っているので見上げる形になる。レイゼン山のほうが高いな、と暢気な感想を述べた。
放っている偵察隊からはヘリオスの召喚を行っていると報告が来ているがヴァルディスはそれを狙っているので放置させた。
タナトス・ルースを選んだのは、ここがもっとも地形が変わらないからだ。どれほど暴れようとも、どれほど魔術を使おうとも、麓に小さな町がいくつかあるだけで後は何もないココは変わってしまっても影響はそれほどない。硬い岩石はちょっとやそっとじゃ砕けないだろう。

空を見上げる。バスティアンは殆どクロノスに来ないのでこの薄い魔力も羅針帯も慣れなかった。空にそんなものが浮かんでいては妙な圧迫感がある。それが大気圏を突き抜けた先に設置されているとしても、だ。

晴れない気分のまま、せわしなく動き回る魔界軍を見る。陣営の設置、様々な確認、炊き出し。見慣れた光景だ。若い頃はああやって自分も動き回っていた。
ジェズから送られてきた戦術をもとに組み立てられた作戦。臨機応変に対応するための下準備は終わった。
内乱から一ヶ月も経たないうちに戦争となったが、別に疲れは感じなかった。
戦いこそが生きる術とも言える魔界。気が高ぶれば街の外に出て弱肉強食の世界に身を投じ、腹が減っていなければ闘技場へ行く。戦いが無い平和な時代はそうやってやり過ごすのだ。知性と野蛮を併せ持って高潔に下劣に血を求めて戦いに生きる。矛盾している本能。だがそれこそが魔界の種族。闇の種族だ。

バスティアンは厳しい表情のままさくさくと歩き出した。大将軍に気づいたものたちが敬礼するのを適当に流す。
見回っていると、バスティアンたち幹部の陣営の入り口に黒い獅子を見つけ、びくりと足が止まった。

ガイアなら飛びだってもう数時間経つ。いないはずの獅子に不覚にも動揺したのが自分で分かった。
黒い獅子がのそり、と歩き出す。踏み込んできても誰も注意しないのはその黒い獅子が一緒に式典に出るほどバスティアンが心許していたライオンだと全員が知っているからだ。黒い獅子になり距離があいたのはただの喧嘩だと皆思っていた。

バスティアンのペットだという者もあれば、シリウス神に褒美として与えられた護衛だという者もいる。

「クリフ、何故ここに」

『――少しいいか』

「え?」

クリフは悠々と近づいてきてバスティアンと目を合わせた。
そしてふいっとそらし、陣営へ入っていく。バスティアンは困ったような目をしてついていった。
大将軍のテントは広い。そして防音効果もある。クリフと誰にでも聴かれていい会話をすることは無いとわかっていたので、そのことに感謝しながらバスティアンは剣を置いた。
しかれている絨毯に座ることもせずたったままのクリフはグルルと唸った。

「どうしたんだクリフ。何故ガイアに乗っていない」

『共に行かなかっただけだ』

「何故」

『バスティアン・アドルガッサーと話すために。黒竜王がくれば、そんな時間は無くなる』

ずきっと胸が痛んだ気がした。
動揺を押し隠すようにバスティアンは腕を組み目をそらした。腹に力を込めて声を出す。

「話とは何だ」

『……バスティアン。俺はいったい、何を失った。記憶か?愛か?それとも、お前か?俺か?』

「――」

『何を得るために何を差し出した。俺はいったい、お前に何をした。俺はお前に、何を求めていた?』


バスティアンは俯いた。
クリフに言葉が与えられたことを恨んだ。心を抉り取るような質問をするこの獅子を恨み、そして愛しいと思った。
戦が終われば、するつもりだった話。
決戦を済ませて、この心に決着をつけるつもりだった。だがこのタイミングで聞いてきたということはクリフも悩み、そして選んだのだろう。もしかしたら、戦が終わりどっちかが生きていないかもしれない。そういう思いを踏まえてこのタイミングを。
ならば答えなければならない。弟の死に縛られ幼馴染への思いに塞がれ忠義が邪魔をした、その償いとして。

「俺の命を助けてもらう代わりに、お前は俺に関する記憶と俺を愛する心を失ったのだ。そして野生の誇りも。自由と引き換えに、神獣として長い時を生き、誰かを守護する定めを課せられたのだ」

『…』

「クリフ。お前は俺に貢物をし、甘え、懐き、情を交わし、そしてこの身を守った。己の命より大切なものを差し出して、俺の命を最高神に乞うた。お前が本当に失ったものは何なのか俺にもわからない。だが、少なくともお前は俺は失っていない」

『…何?』


バスティアンはクリフのふさふさした顔に触れた。


「今度は俺の番だな、クリフ」

『バスティアン…』

「俺は、お前に抱かれるのが好きだ。お前が俺の傍にいて、手を伸ばせばこの鬣があって、甘えてきてくれるのが好きだった。貢物だって、嬉しかった。純粋に俺を愛してくれていたお前に、俺は答えることもなく、お前が記憶を失くして心底思い知らされた。この十日ばかり、身を切られるような思いだった。神の気まぐれとは恐ろしいなクリフ。俺はこの命を得るかわりに、お前を失ったのだ」


純血の血筋を守るため。弟に償うため。向き合わなかった愛。
けれど本当は、そんなものはどうでもよかった。ただ、クリフを受け入れて、愛して愛されて、長くない野生の彼の命が消える瞬間を見なくてはならないことが酷く辛かった。たかがライオンにほだされてしまう自分の心が許せなかった。
驚くほど誠実に愛してくれたクリフに、そんな仕返しをしていたのだから、これはその罰だと思った。
神の考えなど分からない。奪っておいて返してくれる魂胆も分からない。
だがヴォルフの言うとおり、あれはクリフのものだ。返せばきっと愛してくれる。


「クリフ。お前の記憶と心は、シリウス様が俺に返してくださった。これはお前のものだ。好きにするといい」


バスティアンは荷物からクリスタルの小箱を取り出すとクリフの前においた。
キラキラと煌く小箱。


『この中に、俺の失ったものが入っているのか』

「ああ。そうだ」

『俺がお前を愛していた記憶が?』

「ああ」

クリフはじっと小箱を見つめた。痛いほどの沈黙にバスティアンは息を詰める。これが無くてももう一度愛してくれるのではという希望は幻想だったのかもしれない。
贅沢だと自分でも思う。

クリフは目をあげた。バスティアンを真っ直ぐに見る。

『――ならばやはり、俺は何も失ってなかったのだな』

「え?」

『俺の全ては、お前だったはずだ。あの日、戦場で目覚めてから心に開いた孔が広がっていく一方だった。俺の心の奥底でお前を覚えているのにどうしても思い出せなかった。愛していないはずなのに気づいたら、お前のことで頭はいっぱいだった』

「――」

『思い出せないだけで記憶はある。心の奥底に感じる。愛していないと思えば思うほど、俺はお前を愛していた。この十日ばかり、俺はお前のことを考えなかった瞬間は無い。何かを守る力を俺は得たというのなら、お前を守る役目をもらったということだ。俺が失ったものなど何一つ無い。この小箱には、だから何も入っていない』


クリフは力強く言い切った。


『神が俺から奪い取れたものなど、何も無い』


そして前足を振り上げ、クリスタルの小箱に振り下ろした。
高い音を立てて砕け散るクリスタルをバスティアンは呆然と見つめた。きらきらとした破片が絨毯に散らばる。ただそれだけだった。
光が迸ることも無ければ、魔術が発動した様子も無い。
まるで、何も入っていなかった空の小箱を、壊したような。


「何も、入ってない…?」


『ああ。何も、だ。何も奪い取れていないのだからな』


「な、だって、ヴァルディス様にシリウス様が…」


『単なる遊びに過ぎぬのだろう。昔から神というものは悪趣味だ』

クリフが『そうだろう』と言い捨てたとき、一陣の風が吹いた。
びゅうっという突風に目を閉じ、開けたときクリフの隣りにはもう見慣れた最高神の姿があった。

「なんだ、正解してしまったのか。面白い」

「シリウス、様?アルス様?」

「正解だクリフ。そしてバスティアン。まさか私の問いかけに正解されるとは思わなかった」

「この遊び、お前の負けだなシリウス」


シリウスは意外そうだった。アルスは苦笑気味に言う。
ついていけていないバスティアンは目を白黒させた。

「与えたのは絶望。それを希望に変えたのは君とクリフの力だ」

「というよりも希望だと見破ったのは、そなたらの力と言ったほうが正しい」

「希望と絶望は表裏一体。クリフに与えた希望はそなたの絶望となり、そなたの絶望はクリフの希望となり。三つ目の望みは一体どちらとなるか。それは絶望か希望か?そんなものは我らには関係の無いこと。どちらになるかはそなたら次第。しかしシリウスが敗れたのは久しいことだ」

「開けていれば希望は出て行き、二度と元には戻らぬところだった。かの女のように、君もまた、正解した。どうもこの類のものに生きとし生ける者は強いな」

箱には何も入っていない。
なぜならクリフは何も失っていないから。少しの間、目くらましをされていただけだから。
奪われた。しかし失ってはいない。記憶が無くとも愛は生き続ける。過去に愛されるのではなく今に愛されることを願う。
ほんの短いときの間で奔走し嘆き喜び泣き笑う。悲しみと痛みと喜びの狭間で踊る道化師をわずかな間神が寵愛した。ただ、それだけのこと。


「で、は、シリウス様もアルス様も、私で遊ばれていたと…?」

「遊ぶ。見る。見守る。どれでもよい。望みのものを与えた代わりに、無聊の慰めをしてもらっただけのことだ。ほんの数時、愉しませてもらったぞ」


シリウスはそういうとクリフの額に手を当てた。

「私のように、絶望に沈まなかった褒美だ」

ふわり、と熱が流れ込む。
奥底で記憶につけていた鍵を外してやれば、奔流のようにバスティアンを愛した記憶があふれ出た。
クリフが目を閉じる。アルスは腕を組んでやれやれと頭を振った。

「たまにこうして小さきものに関わるといつもシリウス、お前ばかりが楽しむ。ずるいぞ」

「いいではないか。何かを終わらせるのはいつもお前だ。唯一我らの時だけが終われぬものだからな。たまには私も何かを終わらせてみたい」

「無茶を言う。それは私が何かを創造したいというのと同じだ」

クリフから手を離したシリウスとアルスは言い争いをしながらすうっと姿を消した。
バスティアンは慌ててクリフに近づく。

「思い出したか!?全て!」

クリフは目を開けた。顔を引っつかむバスティアンを見つめる。

『――俺が、お前を初めて抱いたのは紅い月の夜だった』

「!!ああそうだ!その日だ。クリフ!ああクリフ!!」

バスティアンはクリフの鬣に抱きついた。最高神たちに遊ばれたことなんかもうどうでもよかった。最終的に記憶を返してくれたのだから土下座して感謝したいくらいだ。
眦から涙が零れる。体を寄せてくる獅子の鬣に顔を埋めてバスティアンは呟いた。

「愛している」

『俺のバスティアン。やっと、俺の雌になったな。――この数週間、すまなかった。好きだバスティアン。愛している。俺の全てで守る。傍にいるから、いつでも、この鬣に手を伸ばせ。俺はそこにいる』

低い声。重低音といったほうがいいかもしれない。大将軍であるバスティアンを守ると言い切る奴。傲岸不遜でドSでセックスなんて酷いセックスだけれど不器用に純粋に愛してくれる雄。野生が強くて本能のままにバスティアンを求める雄。
この雄に救われて地獄に叩き落されて、また救い出された。
きっとクリフに何をされても嫌いになどなれないだろう。

『本当に欲しいのは、お前の心だった。気づけず手ひどく抱いたな』

「構わん。言っただろう。俺はお前に抱かれるのも、何をされるのも、好きだと。クリフ、こんな年上を選ぶなんて、物好きが過ぎるぞ…」

後半は冗談交じりに言ったバスティアンはクリフのぎらりと光る歯が並ぶ口の端に口付けた。

「神獣になってから獣くささが殆どなくなったな」

『――やめろ。自制がきかなくなる』

ゆらゆらと尻尾を揺らし、耳も動かしてクリフは寝そべった。
口付けてきたことなど初めてだ。それは愛の行為だとクリフは知っていた。よく色んな奴らがやっている。久しぶりに戻ったガイアでルイスターシアとハイニールがよりを戻していたときは本気で吃驚した。
そんな行為をされれば、今すぐにでも抱きたい欲求になけなしの理性が負けてしまう。
拒絶の体勢に入ったクリフにくっと笑みを零してバスティアンは膝にその頭を乗せてやった。情報端末機でクリフの眠たそうな顔を撮り、ハレスに送る。数分も経たずに鳴る端末機を取り上げて、バスティアンは幸せなこの恋の結末と愛の始まりをたったひとりの友に話し始めた。






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