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黒の誓い
 7


アルタイルのゴールデンシャーク号がヴェレ帝国シュウ地区の海賊の港オーシャンについたのは、ハレスたちと別れて数日後、決戦の五日前だった。この分では帰りが間に合わなくなるが、そのときはガイアに来てもらう手はずは済んでいる。
レオニクスは港につくなり膝をついてうなだれた。
海軍に追われながらの海路は酷く揺れ、レオニクスはディシスの気持ちを味わっているのである。

「うう…」
「大丈夫か」
「だいじょう、ぶ」

ヴァルディスはレオニクスをさすってやりながらハレスを連れてこなかったことを悔やんだ。チビの問題一切を丸投げして置いてきたわけだが、これは逆効果だったらしい。
まさかレオニクスが船酔いするとは思わなかった。今まで自分の背中に乗ってても全然酔わなかったのに。

「どうして酔ったんだ」
「だって、船、揺れ、オヴェエェ…」
「吐くなら海に吐け」

首根っこを掴み、海に向けさせた瞬間、見事にレオニクスはリバースした。まさにナイスな連携である。

「吐き出せ、全部。手伝おうか」
「え?手伝うって?ウェッ」
「ほら、口を開けろ」
「え?」

ヴァルディスはレオニクスの口を開けさせ、ガッと指を突っ込んだ。
咽喉の奥を刺激して吐き出すように促す。
苦しそうにレオニクスが眉をしかめ、咽喉が絞まった瞬間に指を引き抜いた。

「オェエエエエ・・・・ッ」

胃に何も残らないように、すべて吐き出させる。看病などまともにしたこともないが、苦しいときはとりあえず吐くものがなくなるまで吐けばいいだろうとヴァルディスは安直に考えた。


レオニクスの介抱をしながら、海軍に追われ海へ出て行くゴールデンシャーク号を見送る。
ハイニールの兄、アルタイル・クリストフ。いい加減な男ではあるが船の腕と船長の器は本物だったとヴァルディスは回想した。あの兄弟を育てた父親に会ってみたくもなった。

「は〜…大分楽になった」

「そうか」

「ありがとうヴィー」

青ざめながらも歩けるようになったらしいレオニクスは立ち上がった。


「早く父さんのとこに行かなきゃ…」

「大丈夫なのか、レオ」

「大丈夫大丈夫。休んでる時間無いだろ?」


急ピッチの予定に合わせるならば確かに休んでいる時間は無い。
問題は山積みなのだ。ヴァルディスは反論できずにレオニクスの言い分に従った。

「燈籠の本部は九龍に聞こう…」

ヴェレ帝国の交通網は発達している。
九龍も隠れることなく堂々と建っているので移動には困らないはずだ。

公共の乗り物のチケットをレオニクスが買いに行く間、ヴァルディスは情報端末機を取り出した。
着信は一件。バスティアンからである。

折り返し掛けなおしながらヴァルディスは目を細めてヴェレ帝国の港を見回した。
光機関が発達したヴェレ帝国は機械的だ。どっかから駆動音が常に聞こえてくる。その雑音は、どうしても慣れなかった。


『アドルガッサーです』

「バスティアンか。何用だ」

『はっ。それが、コーディルの元にいるチビですが黒竜族の生まれではないと分かりました』

「…そうか」

『コーディルには抹殺命令を下しましたが…』

「渋ったか」

『はい』

「――」

『きつく言っておきましたが…コーディルは…』

「かまわん、しばらく好きにさせるがいい」

『はっ。了解しました』

短い会話を終えて端末機を懐に仕舞う。

「話は終わった?」

「ああ、待たせたな」

チケットをひらひらさせながらレオニクスは首を振った。
実際、今さっき来たばかりである。
ヴァルディスの腕を引き、乗り場へ向かう。

「何の話だったんだ?」

「チビのことだ」

「チビの?どうしたんだ?」

「チビは黒竜族生まれではない。おそらく人工的に作り出されたスパイだろう」

「え――」

「ハレスを油断させ情報を引き出させる役目のはずだ」

どこまで腐りきったことをするのかとレオニクスは思った。
キメラに続き、人工的に竜を作り出すなど…。

「クローンだろうな。ハレスに抹殺命令が出されたが、おそらく、出来ないだろう」

「…」

「ハレスは変わった」

ヴァルディスは思い出すように言った。
ハレスだけではない。目覚めて以来、バスティアンもヴァルディスも変わった。

「ハレスさんが?」

「ハレスの微笑みは武装だ。あの微笑は氷の拒絶。だが、いつの間にか本物の笑みを手に入れていた」

それはたとえば、隠した思いを悟られないための鎧。たとえば、頭の中の謀略を知られないための壁。たとえば、敵を射殺すための武器。
常に微笑み、ハレス・コーディルは心を知られないようにしていた。

「躊躇いなく味方をも斬り捨ててきたハレスが、仲間を想うようになった」

争いに情は不要だと、それを一番体現していたのはハレスだ。癒しでありながら生き残り、四天王家の当主にまでなるために、それは不可欠な思想だった。
本当の仲間など、一握りもいなかったのだから。

「だが、この変化は同時に甘さも生んでしまった」

それを幾度となくバスティアンは指摘した。甘くなった、らしくない、と。
ヴァルディスはただ見つめていた。

「恋は全てを変える。人格も思想も雰囲気もだ。俺は感情表現を手に入れ、バスティアンは臆病さを手に入れた。ハレスは狼に恋をして、本当の優しさを手に入れたのだ」

捨てられる痛みは知っていた。何も信じられない孤独も知っていた。想いが届かない辛さも恋の痛みも。
だが、恋の喜びは、知らなかった。思いが成就する、幸せも、本当に愛される喜びも知らなかった。

「それを手に入れたハレスは同時に相手の痛みも分かるようになった」

その事実は、友として主として喜ぶべきものだった。
だが軍竜として、王として、参謀が非情な決断を下せなくなったのは致命的だった。戦いに情など必要ない。必要ならば赤子さえ殺すのが黒竜族で魔界なのだ。
情深くなってしまったら、命を落としてしまう。

「ハレスさんは、チビを殺したくないんだ…」

チビが癒しだとは聞いた。
同じ境遇のチビを、ハレスには殺せない。

「ヴィー、何とかならないのか?」

「この一件はハレスの問題だ。ハレスに一任する」

レオニクスは押し黙った。
それがヴァルディスの決定ならば、何も言うことは無い。
丁度そのとき、乗り物がやってきた。列車に乗り込み、レオニクスは頭を切り替えた。確かに、チビの一件はハレスの問題であり、レオニクスも今から問題に直面するのだ。

ドゥラに触れ、胸をおさえる。

「…」

シャンに会いに行く。
剣士の約束を果たしに。
それを済まさなければ話もなにも無い。父と同じ剣士であることを誇ったと同時に後悔もした。
剣士でなければ。一時でも敵でなければ。父親と剣を交えることになんてならなかったはずだ。

「レオニクス」

険しい顔をするレオニクスを見かねたヴァルディスは彼の頭に手を載せた。
くしゃり、と撫でる。

「親子とは、難しいものだ。だが親子は離れていても繋がっている。たとえ、分かり合っていなくとも、長い間、離れていたとしても。そしていつか、分かり合う瞬間が来る。お前に剣士の血が流れているのなら、最も分かり合える術は、剣しかない。殺し合いをしに行くのではない。分かり合いにいくのだ」

レオニクスが目を上げた。
深い海の色の目がヴァルディスに微笑みかける。
「ありがとう」と。
シャンとは違う瞳。この目は、彼の母の持ち物なのだろう。ヴァルディスは撫でていた手を外した。彼の母は、幸せだったのだ。だからこんなに魅入られる瞳をしていたのだろう。
自分が母から受け継いだのは、この黒髪と黒竜の身体だけだった。母を母と呼んだ記憶も無い。神の血が混ざり合ったこの肉体を生み出すために身を差し出した王女が愛したのは父であってヴァルディスではなかった。

「いい、目をしている」

初めて会ったときから、綺麗だと思っていた。レオニクスは笑った。

「ヴィーの目は、シリウスさんとは少し違う」

「なに?」

「シリウスさんの目には深淵がある。覗き込んだらそこにあるのは悲しみと絶望だろうものが。ヴィーの目には、同じく深淵があるけれど、覗き込んだら、そこには小さな光がある」

黒く変えてある瞳の奥に小さく消えそうなほどの強さで輝くそれは、王の矜持でも神の子の定めでもない。

「優しさ、がね。きっと、お母さんのだよ。ヴィーが、お母さんをどう思ったって」

一度も、己の子を愛さない母などいない。
一度でも愛されたなら、それは残るのだ。記憶ではなく、魂の奥底に。

「ヴィーは、とても愛されてる。魔界でも、神様にも。クロノスでだって知り合ったら愛さずにはいられない」

レオニクスはヴァルディスの肩に手をおいた。
大きく無尽蔵の愛情の真ん中にいるヴァルディス。愛するのは簡単だけれど愛されるのは大変なはずだ。
だがその全てを受け止め、ヴァルディスは立つ。

「そんなヴィーを、一度ならず愛したはずだよ」

エリアンテ王女も。シリウスへの愛で最後は歪になってしまったけれど。

「さっきも、優しい言葉をくれた。俺は何度ヴィーに救われたか分からない」

「…」

「分かり合える日なんだ。それは祝福の日だ。ありがとうヴィー。これで、剣に迷わなくて済んだ」

シャンと戦うのは、分かり合うためだと、ヴァルディスが言わなければ。
レオニクスは迷ったまま、後悔を載せて剣を振るっただろう。

「ありがとう」

何度でも、道を示してくれる王はだまって微笑んだ。








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あきゅろす。
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