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黒の誓い
 4




ガイアは、これ以上ないほどの出来栄えだった。
ルイスターシアは中央管理室でヨーデルと共にシステムの復旧作業に入っていたが魔界のエンジニアの手入れが素晴らしく、殆どすることはなかった。動作確認を終えたルイスターシアは二日ぶりにガチガチに固まった肩を揉み解した。

「素晴らしいな。そう思うだろ?ヨーデル」

[ええ。ガイアもますます綺麗になりました]

「確かにな」

ふぅ、とため息をつき、ルイスターシアは席を立った。まともな食事を取って少しは寝ようと心に決めて疲れた様子でドアを開く。
決戦までもう残りわずか。魔界軍もタナトス・ルースに向かったという情報もある。
いよいよ迫ってきたのだと嫌でも実感させられた。同時に、戦が近づくと血が沸き踊る自分にも気づいた。空賊として、常に危険と隣り合わせの生活。そこにスリルを感じるからこそ、ルイスターシアはハイニールのパートナーを務められるのだ。

「あ、ルイさん」

「ん?」

「今から飯っスか?んじゃ俺らと喰いませんか」

「ああ。そうだな」

気づけば食堂に来ていたらしい。
ルイスターシアは気軽に声をかけてきた仲間に頷いて見せた。
少な目のカレーを手に、テーブルを占拠している一団の中に混ざって座る。

「ルイさん、アタシもいいかしら」

「キャシーか。座るといい」

男だらけのガイアだが女がいないわけじゃなかった。彼女はキャサリン。ガイアの中でも屈指の実力者で古株である。男達も一目置く女性で、陸のとある盗賊団の頭の妻だった。遠距離で会うこともそうそうないがラブラブっぷりは誰もが知るところだった。
金髪の男勝りな美女だが、その実力と旦那の力を恐れ誰も手出ししたことはなかった。

「キャシー姐さん、見張りは交代したんスか?」

「あったりまえよ!五時間も見張ってなんかられないわよ。見張っている間にハエが群がるんだもの、いやったら無いわ」

「キャシーは美人だからな」

「だからってナンパなんか百年早いのよ。ったく、あんなひ弱な男ども、願い下げだわ」

キャサリンが鼻息も荒く言い切った。

ルイスターシアは笑って杯を傾ける。
またこうして笑い合う日が来るなんて数カ月前には想像すら出来なかった。
レオニクスには感謝したりないくらい感謝している。だから本来空賊が参加しない、戦争というものにもハイニールは協力を決めたのだろう。

「まあ御頭くらいなら頷くけどね。残念ながら御頭はルイさんのだもの、誘ってくれやしないわー」

「ハイニールは節操があまりないからな、キャシーくらい美人なら大歓迎じゃないか?」

「ルイさん敵に回したくないもの。遠慮するわ」

「ルイさんは怖いッスよねー」

「ああ、ルイさんだけは敵に回したくねえなぁ」

キャサリンに同意する声が次々にあがった。ルイスターシアは苦笑するばかりだ。

「それにしても」

「ぅん?」

「クリフはどうしたのかしら」

「クリフ?」

「あら気付いていなかったの?クリフったら妙に苛々して落ち込んでため息ついて…眠れてないみたいだしまるで恋でもしてるみたいだわ」

「恋?クリフが?」

「そうよ」

キャサリンは得意げに言った。女性らしく、恋の話は好きなのである。

「相手は?」

「そこまでは分からないわ。でも辛い恋みたいね」

「辛い、恋か」

「ルイさんといい、グラナといい、クリフといい、辛い恋ばかりするのね」

ルイスターシアはグラスを傾けた。トレーに乗った食事を突き、首を傾げる。

「キャシーはよく見てるんだな」

「当たり前よ。それに見てれば分かるわ、それくらい。お頭もルイさんも、あの一件の後変わったわ、あなたたちにはあれが必要だったし灰色の年月も必要だったのね。だから言うのよ、辛い恋って」

キャサリンの微笑みにルイスターシアも微笑んだ。
蒼髪の麗人の微笑は麗しく、キャサリンに劣らず妖艶だった。
三十路を迎え、大人の色気の備わったルイスターシアにドキリとする男は少なくない。

「そうかもしれないな」

「そうよ。…にしても気になるわね、クリフの相手」

「…そういえばクリフはバスティアン殿に預けられてたな」

「成る程ねー。それかもしれないわ」

バスティアン、ねえ、と呟いたルイスターシアは黒い獅子を思い浮かべて首を傾げたのだった。



■■■■

「ハイニール」

「ルイじゃねえか」

「今大丈夫か?」

「いいぜ」

ハイニールの私室を訪ねたルイスターシアは許可を得てにっこりと笑った。海図を広げてコンパスを持っていたハイニールは疲れたように目をもんだ。
海図には細かい書き込みが多く、ルイスターシアはざっと目を通した。

「これは…戦想像図か」

「おお。流石に今度の戦、何の準備もなしで挑めるほど甘くはねえからな」

欠伸したハイニールの背後から覗き込むルイスターシア。ふわりと香ったフレグランスに目を細める間もなくハイニールはルイスターシアに向き直った。

「どうしたんだよ」

「いや、クリフが恋をしてるらしくて」

「そういえば聞いたことあるな、そんなこと」

「本当か」

全然気づかなかった。と、ルイスターシアは目を丸くした。
クリフの恋に気づかなかったのはもしかすれば自分だけかもしれない。
ハイニールは煙草に火をつけた。

「何でも、バスティアンとかいう男にクリフが一目惚れしたみてえだな」

「そうだったのか」

「ああ。それで?恋わずらいをしてるって?」

「そうみたいだな」

ハイニールは苦笑した。
記憶と愛を失ったと聞いている。残酷な、神の宿命で。
それでも、またバスティアンを愛してるというのなら、それは神の敗北かもしれないし勝利かもしれない。

どちらにせよ、クリフもバスティアンも、厄介な恋をしたものだ。

いや、ちがう。厄介じゃない恋なんて、ないのだ。

「…放っとけよ」

「え?」

「クリフの恋だろ。てめえで何とかするだろうよ」


ハイニールの言葉にルイスターシアは目を細めた。ルイスターシアとて分かっている。クリフの問題に口出しすべきじゃないことくらい。
それでも気になるのだ。特にバスティアン相手なのだから。

「気になるか?」

「ああ」

不満げなルイスターシア。ハイニールは苦笑した。。相変わらずルイスターシアはクリフを可愛がっている。拾ってきたときは赤ん坊だったクリフももう立派になって神獣なんてものにもなった。庇護してやる相手ではないのにいつまでもルイスターシアは構っていたいらしい。
その気持ちは分からなくもないが、クリフのためにならないとハイニールは思っていた。

「あいつが想う相手は魔界の大将軍だろ。俺たちがお膳立てできる相手でもねえよ」

「それはそうだが…」

「クリフを信じて待ってみろって。決戦が済んだらアイツだってふんぎりつけるだろ」

ハイニールが吐き出した紫煙がうねりながら天井へと立ち消えてゆく。淡いそれはしかし強烈な香りを残した。

「恋は、落ちるものとは、誰が言ったのだろうな」

「ルイ?」

「落ちてしまうんじゃ、不可抗力だ。クリフも、落ちてしまったんだろう」

恋の罠にかかってしまったのか。神の落とし穴にまんまと落ちたのか。二人がわが子のように可愛がってきた獅子はその見事な体躯の全てで一時は大将軍を愛した。
しかしその愛と記憶は奪われ、それでも魂にこびりついた感情だけは残って。
今、クリフはどうしていいか分からない感情に振り回されている。

キャサリンが言ったのだから本当なのだろう。自分達は気づかなかったけれど、クリフはきっと恋をしている。

「ハイニールの言うとおりにしよう。私も見守ることにする」

「ああ、そうしとけ」

ハイニールはおもむろに煙草を消した。疑問符を浮かべるルイスターシアをぐいっと引っ張り、倒れこませる。

「ハイニール!?」

「決戦で死ぬかもしれねえし、お楽しみと行こうぜ」

驚き、バランスを崩したルイスターシアを簡単に押し倒したハイニールはにやっと笑った。ガタンッと椅子が倒れ、マウントポジションを取られる。

「ちょ・・・」

不意に唇を塞がれる。煙草の香りと無精ひげの感触。
つけている香水の匂いに包まれて頭がクラクラする。

流されるままに絡められる手。
乱れた吐息と脱ぎ捨てられる服。

ガイアの昼は熱く、過ぎていく。






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