黒の誓い
3
「何でお前はそう、いつも無茶やるんだっ!魔力結界なんて大技、そうそう簡単に使うもんじゃないだろう」
「仕方ないじゃないですか。バスティアンの殺竜大剣嶽は相当な威力なんですから。魔力結界じゃないと弾けませんし」
軍は帰した後人型をとったバスティアンは同じく人型のハレスにお説教していた。
ディシスは気まずいのか、ハレスの隣りでうつむいている。
「馬鹿言うな、お前なら相殺できたはずだ」
「あの一瞬で出来るわけがないでしょう」
「そんなに狼とチビが大事だったのか」
「馬鹿いってるのは貴方ですよバスティ。私が大切なのはディシスさんだけです」
ハレスはきっぱりと言い切るとそっぽを向いてしまった。こうなったらもうハレスは頑として何も認めなくなる。
バスティアンはため息をつき、腕を組んだ。
「それならそれでもいいが、冷酷無比だったお前はどこへ行った」
「ディシスさんだけです。チビしかいなかったら助けませんよ」
むしろ好都合ですね、と吐き捨てたハレスにディシスが驚愕の眼差しを送った。
こんなハレスは知らなかった。ディシスの知るハレスは、何だかんだ言いながら面倒見のいい優しい雄である。
「ならばなるべく狼は戦場に出てもらわぬほうがいいか」
「そうすれば安心ですね」
『まて。我は風狼だぞ、戦わねば…』
「ディシスさん。私はあなたに私のおぞましい部分を見られたくないのですよ」
『しかし…』
「まぁいい。このことは後で決着を付けておけ。まずはコーディル、魔力の回復を急げ」
「そうで…」
そうですね、といいかけたハレスは、目を見開き言葉を詰まらせた。
ぽぅ・・・と温かいオレンジ色の魔力が、自分を覆っている。
この力には、嫌と言うほど見覚えがあった。
「癒し・・・?」
『チビ、おぬし・・・』
バスティアンとディシスも驚きを隠せなかった。
気絶していたはずのチビ黒竜が起き上がってハレスに一生懸命魔力を向けている。
黒竜族に、忌み嫌われる能力を。
「貴方、癒しの能力を・・・?」
チビはまだ何のことかわかっていない。だがチビが捨てられ、ハレスを親だと思い込まされた経緯は何となく察しがついた。
ハレスがチビを抱き上げる。
「貴方、名前は?」
『ペキャ(名前)?』
「無いのですか」
『ピキャッ(チビ!)!』
「違いますよ、それは貴方の名前では…」
チビが首を傾げた。
名前すら、与えられなかったのか。
能力が癒しだったために。
ハレスの脳裏に苦い記憶が蘇る。ヴァルディスに救われるまで、ハレスを殺せと命じる父親と、命だけは守ってくれた母親は酷く対立していた。ハレスを生かすようヴァルディスの厳命が下った後も、当主の座を奪うまでハレスはコーディルの姓を名乗れなかったし、学校でもどこでも蔑まれ続けた。
コーディル家の当主の座を力ずくで奪ってからはまるで復讐のように己を蔑んだ者たちのみならずその妻子まで誘惑して弄び、手ひどく捨ててきた。
砂を食べているような心地がしていた。そのうち復讐とは関係なく爛れた関係を築き始め、ハレスは遊び人の代名詞にまでなっていた。
「…コーディル、お前」
「――癒しですか。貴方も」
『ピギャ?』
「ついて来なさい」
ハレスはチビを連れて姿を消した。
追おうとしたディシスを、バスティアンが止める。
「まて狼」
『だが…』
「コーディルは、癒しであるがゆえに四天王家の生まれでありながら謂れの無い侮蔑を受け続け、今の地位まで上りつめるために血反吐を吐くような努力を続けてきた」
『・・・』
「俺なんかよりずっとずっと苦労して、それこそ地獄すら見てきたかもしれぬ。コーディルは同じ境遇のチビに何かを伝えようとしている。ふたりきりにしてやれ」
ハレスを一番近くで見続けていたバスティアンの言葉に、ディシスは従うしかなかった。
恋愛とはまた違った深い絆がある双璧。バスティアンと肩を並べるためにハレスは想像を絶する苦労を強いられてきた。
その記憶も思いも、ディシスは汲み取ることが出来ない。
名族に生まれ、廃嫡されるまで何一つ不自由なく順調に生きていた、ディシスには。
それが酷く悔しくて、ディシスはハレスたちが消えた場所をいつまでも見つめていた。
■■□■
国境自治区フェリル。
生まれ育った街で、ハイニールは飲んでいた。
活気のある表通りから少し離れた、寂れきったバー。ここのマスターは顔なじみで、ハイニールはひとりで飲みたいときはいつもここに来ていた。
「いらっしゃいませ」
カランカランとベルを鳴らしてハイニール以外ではじめての客が訪れる。
ウォッカを煽りながらハイニールは何となしにその客の気配を探っていた。
「んだ、テメーか」
かぎなれた煙草の匂い。軍人特有の歩き方。
それに、空艦独特の、空の匂いとでも言うべきだろうか、空を飛ぶものにしか分からないかすかな香り。
軍人の癖に、国際指名手配されているハイニールを見ても捕まえようとしない体たらく。
総合すれば、一人しか浮かび上がらなかった。
「今日はドンパチしに来たんじゃねぇぞ」
「誘われてもやんねーよ、今日は祝い酒だ」
「しけた祝い酒だな」
ガタンッとハイニールの隣りに座った男の名前はローズ・クレイディ。アイレディア空軍の大佐であった。
「同じの」
「かしこまりました」
そっけなく注文してくわえていた煙草を灰皿に押し付ける。ハイニールは逆に煙草に火をつけた。
「何の用だ」
「用ってほどのことじゃねーよ」
世間的にも有名なライバル同士が席を隣にして飲む姿は珍しいが無いことも無かった。恒例、喧嘩式挨拶も、気分が乗らなければしない。
注文していた酒が運ばれ、クレイディが口をつける。
「軍人が昼間っから酒飲んでんじゃねーよ」
「詰め所でも飲んでるんだ今更だろ」
「よくミンが黙ってんな」
「あの野郎、興味があるのはセックスだけなんじゃねぇの?」
ミンが聴いたら即刻お仕置きされそうな悪態をついたクレイディにハイニールも頷いてみせた。
「違いねぇ」
「ガイアは?準備万端だろうな」
「昨日戻ったぜ。驚くなよ、すっげぇからな」
一新された装備。格段に跳ね上がった技術。
ひとめ見て、ハイニールはガイアに惚れ直した。
「そりゃ楽しみだ」
「テメーこそホールド・セカンズに詰めてなくていいのかよ」
「アイツは素直じゃねぇ。あまり構うと照れて言うこと聴いてくれなくなっちまうからな」
クレイディが被っているマントを更に下げた。いくらフェリルとはいえ、宿命のライバル同士が決着の前に仲良く飲み交わす姿を一般人に見られるのは良くない。
「――お前、ミンとどうするつもりだよ」
「んだ、心配か?」
「そうじゃねえが、今度の戦、誰も生きて戻る保証はねぇし、俺たちは」
「どちらかが死ぬ覚悟でやろうってんだ、ミンも分かってんだろ」
ハイニールは胡乱な目でクレイディを見た。
そういうことを聴いたわけでも聞きたいわけでもない。あえて言うなら、ミンとの関係に未練を残したまま、戦う気かどうか聞きたかったのだ。
「クソ鷲」
「なんだ」
煙草の煙が立ち昇っていく。
奇しくも、ふたりは同じ銘柄を吸っていた。
「火、貸せ」
「チッ、おらよ」
クレイディのくわえた煙草に自分の煙草を近づける。
異様なまでに近くなった距離。ジジ…とフィルターが燃える音を聞きながらハイニールは片目だけのエメラルドで、自分より少し明るい碧を見た。その碧はまっすぐとハイニールを捕らえている。
「――――」
一言だけ、ハイニールの耳に届いた。
すぐに離れた距離。一瞬の、濃密な空気はお互いに焼きついた。
煙を吐き出したクレイディはウォッカのグラスを傾けた。しかしそのまま飲まずにテーブルに置く。
どうしたのかと顔を向けたハイニールの唇を、暖かいものが塞いだ。
顎を捕らえられたわけでも、後頭部をつかまれたわけでもない。ただ、塞いだだけ。
煙草とウォッカのキスは、長くは無かった。始まりと同じように唐突に終わりを告げた唇は今度こそウォッカを咽喉奥に流し込んだ。
「…たいした用じゃねぇだろ?」
一言だけ残して立ち上がったクレイディの腕を掴み、ハイニールは引き寄せた。
「こっちも、たいしたことねぇ用事が出来たみてえ」
クレイディの指から煙草が落ちる。
床を焦がす前に足で踏み潰されたそれは頭上のキスを現すかのようにゆっくりと火を消した。
ハイニールの煙草がすっかり灰になったころ、二人は離れた。
「――あばよ」
「くたばれ」
からんからん、と来たときと同じようにベルを鳴らしてクレイディは出て行った。
「よろしかったので?」
「はっ、俺たちにはお似合いだろ」
最初で最後のキスが、別れのキス。
ライバルで犬猿の仲で―――。
「好きだから殺しあうんだよ。俺たちに甘い始まりも終わりもねぇさ」
ルイスターシアへの想いとはまた違う意味の想いを断ち切ることはない。
けれど、もう終わった。今度の戦が対峙する最後で、今日が一緒に飲む最後だろう。
お互いに、お互いを選ばなかっただけの話だ。
「そうですか。でしたらそのグラスは差し上げましょう。おふたつとも」
「あ?」
「私から、長年のご愛顧のお礼、とでもしておきましょうか」
「――喰えねぇ奴」
皮肉に笑いながら、ハイニールは勘定を済ませた。
ガイアのハイニールの私室には、ルイスターシアさえ触れることを禁じられた棚がある。
その中に入っているグラスが何を意味するのか、ハイニールが口外することは生涯無かった。
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