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黒の誓い
 9


「あのー…お邪魔ですかねー」

ニコは呆れたような苛立ったような感じを隠しもせずに言い放った。
ここはアルスの神殿であり、ニコはトンドルを従えて報告に来ているところだった。
しかし、報告相手のアルスにシリウスがしがみついていればいやでも気になる。集中出来ない。
しがみついているというかアルスがしがみつかせているというか、どちらにしろ異様な光景に違いはない。

「いや何でもない。気にするな」

「無理です」


ニコは即答した。これが気にならなかったら、世界が破滅しても気にならない。
アルスは困ったように眉根を寄せた。ニコの言い分も分かるためあまり強くは言えない。しかし今シリウスを放っていけば、何をしでかすか分からなかった。
結局、アルスはシリウスを抱きしめるように拘束したままでいるしかなかった。

「まぁ早く終わらせて退散するとしますー。この間の魔界での死亡者処理は全て円滑かつ完璧に終わりました。数えるのも面倒でしたけど、死亡者はトータル百二十万五千三百四十九。その全てを処理、取りこぼしはありません」

「ご苦労だったな」

「三羽烏さんからの派遣に助けられましたー。まー連徹ですけど気にしませんー。これもシリウス様のおかげですねえありがとーございます」

ニコは軽く頭を下げた。軽い態度だが本人は大まじめなのである。
トンドルがその後ろで深々と頭を下げた。いつもなら唇を吊り上げ、わざとらしい笑みを浮かべてみせるシリウスは今日はちらりともしなかった。
沈澱した金はじっと虚空を見据えている。

「ニコ」

「はいー」

「輪廻が起きたかもしれぬ。すぐに調べよ」

「輪廻?………まさか」

ニコは眉を寄せた。死神に似つかわしくない天使の美貌が陰る。トンドルも目つきを鋭くした。

「輪廻は起きてはならぬもの。決められた定めの者だけが成るものだ。だが……輪廻の定めなき者が……輪廻したやもしれぬ」

「そんな痕跡はありませんけど」

「真か?己の目だけを信じ、この件について早急に究明しろ」

「……はっ」

ニコとトンドルは膝をつき手を添えて頭を垂れた。
直々の命令など滅多に下されない。そして下されたなら、失敗は決して許されなかった。

「コルナーリャ」

「シリウス?」

「究明を終えたなら」

低い声が響いた。バスに近いくらいの重低音。シリウスがこの声のときは間違いなく本気のときだった。
アルスの腕をするりと抜け、ひじ掛けについた肘に頭を預けて足を組む。ニコは僅かに目線をあげた。

「躊躇いなく、対象を破壊しろ」

「シリウス!」

「何だアルス」

「お前………」

アルスがシリウスに詰め寄る。
ニコは瞬きした。どうやらシリウスの異変の原因は輪廻した対象にあるらしい。
シリウスからの破壊命令に驚いた矢先のアルスのこの態度にニコとトンドルは戸惑いを隠せなかった。

「…シリウスがそうしたいなら私は止めぬが…結局苦しむことになる」

「大丈夫だ」

「何故だ」

シリウスはゆっくりと笑った。

「そのときは、お前がいる」

「…卑怯者」

アルスはため息をついた。何万年もそんなことを言わなかったくせに不意打ちで食らわせ反対を奪う卑怯者。
この卑怯者と対をなしずっと一緒にいる自分も大概だな、とまたため息が出た。

「しかし私どもは命を奪うようなことは役割にそぐわぬことでして、出来かねますが」

「ならばアルス」

「はぁ…私がしよう。無理を言ってすまなかったな」

シリウスは満足そうに目を細めた。ニコとトンドルはもう一度深々と頭を下げた。結局引き受けたアルスはため息をこらえ、退出の許可を出した。

「これにて失礼しますー。調査は承りましたー」

「失礼致します」


ニコとトンドルが退出していく。神殿にはまた沈黙がおりた。シリウスはじっとしたまま動かず、アルスもステンドグラスから入ってくる光を見つめたままぴくりともしなかった。アルスの思考は今シリウスで埋められていた。シリウスの痛みをアルスは理解することが出来なかった。アルスには過去、誰かを魂の底から愛しぬいた記憶などなかったからだ。アルスは死と終わりの神である。どんなに誰かを愛しても死の定めから抜け出させることは出来ず、むしろ己の手で幕引きをせねばならない。そこに愛があればまともに役割を果たせなくなる。そのためアルスは誰も愛さないようにし、事実愛さずに来た。もう、何万、何千万、何億という時間、変わらぬ対と変わる世界を見続けながらアルスはだれひとり、愛したことはなかった。
シリウスがピーターを連れてきたとき、アルスは絶望を確かに感じた。シリウスは不文律をきっと破る。沈黙の掟を破って、あの堕天使を愛するだろう。そして己は、シリウスが愛した天使の命に幕を引かねばならない。
なんという裏切りだと、シリウスを諭したが彼は笑うだけだった。アルスの痛みは、シリウスには分からない。ふたりはいつでも背中合わせの対極上にいた。

「シリウス」

「…」

「おまえ、どうしてピーターを愛した」

愛しさえしなければ。何千年も苦しまずにこれたはず。
ピーターを愛してさえいなければ。ヴァルディスだってあそこまで愛さずに、息子の死を恐れながら可愛がることもなかっただろうに。
死ぬ定めのない自分達が今後どれほど辛い歩みを進めるか、分からないはずはない。

「理由はない」

「何?」

「理屈じゃない」

「…」

「気づいたら、愛してた」

はじめは好みだったからと軽い理由だった。その容姿が好みで境遇もあまりに不憫で性奴隷にぴったりだと思ったから手を回してこの手におさめた。それだけだった。
けれど寝台に引きずり込んで何十年もともに過ごすうちにシリウスはピーターの中に燃え盛る情炎を見つけた。それに焼かれるように、シリウスはピーターを愛していた。

決して優しい愛じゃなかった。お互いを食らいつくすような激しい愛だった。

「…アルス、お前にもいつか分かる」

「…」

「愛さずにいるつもりでも、いつの間にか愛している。もう二度と、そんな恋はしないと思うくらいの、恋をする」

たとえそれが痛みしかもたらさないと分かっていても、止められない。シリウスがピーターを愛したように。まるで一瞬とも言えるようなたった数十年しかともにいなかった天使をその死後も数千年愛しぬいているように。

「だから、耐えられない。ピーターと同じ容姿仕草声の男など。それでも、あやつはピーターではないのだから」

「輪廻していたら魂はピーターだ」

「違う。私はすでに死んだピーターを愛している。ほかは認めぬ」

魂が同じだったとしても。シリウスにとってピーターはもう死んだのだ。
シリウスの情愛は非常に深い。その全てが向けられているのはピーターとあと一人ヴァルディスだけだ。そしてその情愛は、決して他の存在を認めなかった。

「本当にいいのか」

アルスは念を押すように言った。ここでシリウスが頷けば、あとはこの手で彼の願いをかなえるつもりだった。
果たして、シリウスは頷いた。

「構わん」

シリウスの横顔はぴくりとも動いていなかった。その手がぎり…と握り締められているのを見てアルスは嘆息した。そしてここまでシリウスを動かすピーターが今更恨めしく思った。
死んで尚、ここまで縛り付ける、その呪縛。その紐を切りたくても、切れなかった。
変えられるなら、シリウスがピーターを見つけたとき、ピーターを殺しておく。過去を変えられるならそうしたかった。
最高神は過去に戻ることは出来るが過去を変えることが出来ない。それがどれだけ悔しいか、シリウスには分からないだろう。

眉根を寄せるアルスに低い声がかかった。

「…アルス」

「何だ?」

「お前は、私を愛しているか?」

シリウスがぽつりと呟いた。アルスは目を見開き、手で弄んでいた宝石を落した。からん、と床を転げていく青い石が沈黙を破っていった。
シリウスはゆっくりとアルスを見る。金色の沈殿した瞳がじっとアルスを見つめた。
その目が普段の傲慢さを失っているのがアルスには分かってしまった。
それが哀しく、虚しかった。
彼に光を取り戻させたい。やっと笑った彼に、もう絶望はいらないと思った。

――けれど

「――いや、愛してはいない」

アルスはしばらく黙った後、ぽつん、と返した。
本当は、死なない彼だけは、愛している。恋愛感情ではなく。ただシリウスがどういう愛を問うているか分からない以上、愛しているとは言えなかった。

「――そうだな」

シリウスはそれだけ言った。
その顔が寂しそうに翳っていたのは、見間違いだろうとアルスは身体から力を抜いた。

神殿は、いつの間にか夕陽に染まっていた。




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